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龍村仁監督からの言葉・25周年に寄せて
私から我々へ2017

「ガイアシンフォニーはなぜこんなにも長く続くことができたのですか?」

私がよく受ける質問である。その理由は私にははっきりしている。

人間なら誰しも持つであろう「喜び、悲しみ、怒り、寂しさ」という感情や必ず起きる「誕生、不自由さ、死」という出来事を「地球はひとつの生命体である」という根底に流れるテーマのもと、多様な出演者を通して、映像と音楽と言葉で構造化したのがガイアシンフォニーである。

スクリーンの中の出演者たちの心の動きに共感しつつ、観客一人一人の感性が開かれ、

自分の中に眠っている「自分という生命は全てのものに生かされているのだ」という体感が呼び起こされてくる。

「第一番」に出演したラッセル・シュワイカート、そしてその他の宇宙飛行士たちの話を聞くうちに生れた思いを私は次のようなエッセイに書いたことがある。

宇宙飛行士たちの一人一人の話はそれぞれ違っていて、だから面白いのだが、彼らの話を多く聞くうちに

「宇宙飛行士たちは、やはりみんな、宇宙で、ある共通の体験をしているな」と私は確信するようになった。

この地球での個人的な歴史や価値観、現在の環境などで変わってくる話の表面のディテールの奥に秘めたものを
注意深く探ってみると、そこに共通体験が見えてくるのだ。
(中略)

結論を先に言ってしまうなら、彼らはみな、宇宙で”私”という個体意識が一気に取り払われるような体験をしている。静寂の宇宙の空間から地球を見たシュワイカートは、その時わけもなく大粒の涙を流した自分の体験をわかりやすく話してくれた。
『今、ここにいるのは”私”であって”私”でなく、すべての生きとし生ける者として”我々”なんだ。それも、今、この瞬間に、眼下に拡がる、青い地球に生きるすべての生命、過去に生きたすべての生命、そして、これから生れてくるであろうすべての生命を含んだ”我々”なんだ』
(中略)

人間の身体は、もともとすべての自然、すべての生命とつながったものだ。
”私”はもともと”我々”だったのだ。科学技術を進歩させる過程で人間はそのことを忘れかけていた。しかし、宇宙飛行士たちは、科学技術の進歩の最先端で、逆にそのことを思い出し始めている。

(”私から我々へ”抜粋 1995年「地球(ガイア)のささやき」収録 )

このシュワイカートの体験は、ガイアを見たひとりひとりの皆様の想いでもあるに違いない。

「第八番」まで作り続けていつの間にか25年、その道を振り返り私は確信している。

それぞれ違う人生を生きてきた皆様が、ガイアを観ることによって開かれたあなた自身の体験をぜひ、語って下さい。そして分かち合ってください。

わたしたちが、お互いに響き合い、あなたの体験を我々の体験として分かち合うことに依って生かされてきた生命のつながりを思い出して下さい。

                               龍村 仁

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