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04●ドキュメンタリー


ドキュメンタリーとは、無限に変化し、無限に多様である現実の生命や自然に出会い、その自ら然る姿の中から時を越え、見える世界を越えた普遍なるもの、永遠なるものを描き出そうとする営みである。
だからこそ、現実の生命も、ひとときとして固定した姿形を保つことはない。
だからこそ現実の生命や自然は素晴らしいのだと思う。
 しかし、その無限に変化し、多様であるものの中から永遠の真実を描き出すためには、作る側の私たちの姿勢が厳しく問われる。いかに既存の価値観や固定観念にとらわれずに、やわらかく豊かな感受性をもって現実の中の真実を発見できるかが、良いドキュメンタリーを作れるか否かの鍵になる。
 もちろん、そのために可能な限り勉強もする。知識や情報も収集する。しかし、その前もって得た知識や情報によって、相手を判断、分析するのではなく、その知識や情報をいったん可能な限り捨てる。捨てて、可能な限り空っぽの器になる。前もって勉強した知識や情報はその器を大きくし、やわらかくし、敏感にするのに役立つ。しかしそれはあくまで捨ててこそ役に立つ。
 撮影時(出会いのとき)に、いかに自分がやわらかく、敏感で空っぽの器であり得るかが、無限に多様で変化する現実の中から真実を発見する鍵である。ドキュメンタリーの制作は、多くのスタッフや関係者との共同作業である。共に作る仲間の相互の信頼や、共通の理解が不可欠である。そのためにシナリオを使うのではなく、対話が重要である。なぜ、今この作品をつくるのか、何のためにつくるのか、一人一人の出演者の中に何を見ようとするのか、そういった根源的なことに関する共通の理解と確認のための対話である。
 その確認の上で、撮影現場では、自由にダイナミックに撮って行く。撮影時には、出演者、スタッフ、自然に至るまで、できるだけその自発性を開放し、直感的にこれは面白いと思ったことは可能な限り撮って行く。面白いと直感的に感じたときには必ず、テーマにつながる何かがある。撮影の段階でその意味がみえていなくとも、編集を通し、誰にでもわかる普遍的なものになってくる。だから、私は編集が最も大切な作業であると考えている。



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