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30●チンパンジーと霊性

 「チンパンジーにも『霊性(スピリチュアリティー)』の芽生えがあるんですよ」とジェーン・グドール博士が言ったとき、私はフトこう思った。
「だとすれば、遺伝子が98%同じで、互いに輸血さえできる人間とチンパンジーが、今、これほどまでに違っているのはなぜだろうか」。
  グドール博士の言う「霊性」とは、「自分の生命が地球(ガイア)の大きな命に生かされている、ということを実感できる力」のことであり、その実感から生まれる「他者を思いやる心」のことである。 私はこの話をタンザニアのジャングルの奥深くで聞いた。2001年「地球交響曲第四番」の撮影の時のことであった。
  グドール博士は、チンパンジーが道具を使うということを世界で初めて発見した霊長類学者、今は人間の子供達の環境教育と霊性の教育に全霊を捧げている女性(ヒト)である。
  タンザニア国立自然保護区のジャングルの奥に、グドール博士が密かに「ゴンベ大聖堂」と名付けている場所がある。昼なお暗いジャングルをかき分けて進むと、突如天空が開け、真っ青に澄み切った空から一条の白い滝が轟々たる水音と共に数十メートルの高さから舞い落ちている。風が起こり、吹き上げられた白い飛沫が霧となって流れ、その霧の中に七色の虹が、背後の暗いジャングルに映えて幻のように立ち現れては消えてゆく。そこはまさに、アフリカの大自然が造った天然の大聖堂と呼ぶにふさわしい場所であった。
  「チンパンジー達は、ここにやって来ると普段ジャングルの中では決してみせない不思議な振舞いをします。滝の上から下りている長い樹の蔓にぶら下がり、毛を逆立て、ゆっくりと揺れながら、まるで陶酔したかのように聞き慣れない咆哮を上げ続けるのです。その姿は、彼らがこの場所に満ちている大自然の大いなる霊気を感じとり、その力に畏怖の想いを捧げているように見えます。もし彼らがその畏怖の想いを他者に伝える"言葉"を持っていたなら、きっと原始的な宗教が生まれたでしょう」。
  グドール博士は「言葉」こそ人間とチンパンジーを隔てた最も大きな違いであると言う。しかしそれは、より複雑なコミュニケーションができるようになった、という意味ではない。象や鯨をはじめ、あらゆる高等動物達は、人間の言葉とは全く異なったやり方で、人間の能力を遥かに越えた複雑なコミュニケーションを行っている。人間の「言葉」と他の動物達のそれとの決定的な違いは、人間の「言葉」が自己意識を生んだ、ということだ。
「自分はここにいて、世界は自分の外にある」と意識し始めた時、人(ヒト)は人間になった。その意識が人間と自然を隔て始めたと同時に、自分を生かしめている大自然の底知れない不思議に気付き、それを畏怖し、敬い、感謝する、という「霊性」を育んだのだ。
  自分の生命が、自分以外のあらゆる存在との繋がりの中で生かされている、という気付きは、必然的に「他者を思いやる心」を生む。
「人間の究極の本性は慈悲と利他の心である」というダライ・ラマ法王の言葉を、私は「ゴンベ大聖堂」の中で、時折降りかかってくる滝の飛沫に打たれながら思い出していた。

デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2005年7月号


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