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45●スピリット・キャッチャー


 2006年3月9日、午前4時、釧路湿原キラコタン岬、気温マイナス13度。
  奈良裕之が弓に弦を張った途端、それまで静寂に包まれていた湿原に不思議な音が響き渡った。 弓が歌い始めたのだ。
  折から昇り始めた太陽に、紫紺の地平線がみるみるうちに黄金に染まり、凍てついた大気が解きほぐされ、風となって広大な湿原を吹き渡ってくる。その風が今張られたばかりの弦を震わせ、低いうなり音を上げている。
  その音は、音というより、黄金の太陽が湿原を覆う白雪や霧氷に降り注いで砕け散り、光の粒子となって舞い踊る"光の音楽"にも聴こえてくる。
  音は光であり、光もまた音である、ということが一瞬にしてわかってくる。
  光は真空の宇宙を渡ってくる。音は地球の大気がなければ生まれてこない。にもかかわらず、今この湿原に鳴り響く弓のうなりは、耳には聴こえないはずの光の音を、聴こえる音に変えて私達の耳元に届けてくれる。
「クワーッ!」
  いずこからか鋭い丹頂鶴の一声が響いてきた。丹頂も"光の音"を聴いたのだろうか。
 遠く水面を渡っていた一頭の鹿がフト立ち止まり、いぶかしげに聴き耳を立てている。
  折から飛来した大鷲が悠々と大空を旋回しながら、その聞き慣れない"音"の在りかを捜している。
  奈良裕之は、さらに高く天空に向かって弓を捧げた。そのうなりが一段と高まってゆく。
  細かく震える弦が太陽の光をさらに細かく砕き、湿原は"光の波"にあふれた大海と化していった。この地上の全ての存在を生み出し、形づくり、今も生かしめている大いなる光の海。
  天空に向かって弓を捧げる奈良裕之の姿は、その大いなる光に向かって、畏怖と感謝の想いを捧げる祈りの姿だった。
  かつて「弓」を発明した我々の先祖たちは、この、他の生命をいただくための道具のことを「スピリット・キャッチャー」と呼んだ。 「魂を捕らえるもの」とでも訳せばよいのか。
  人間は生きるために他の生命を奪わなければならない。宇宙は人間をひ弱な裸の猿として設計した。人間には鹿のように草原を駆け抜ける力も、熊のように一撃で相手を倒す力も与えられなかった。裸の私たちは、きわめてひ弱な哺乳動物の一種に過ぎなかった。
  しかし宇宙は私達に「想像力」を与えた。
  極めて大きな脳を持ち、そこから生まれる「想像力」によって世界を理解し、言葉を生み、道具をつくった。
  「弓」はひ弱な私たちが、容易に他の動物達の生命をいただくための道具として生まれた。しかし、私達の祖先はそれが単なる道具ではないことも知っていた。自分を生かしてくれる他の生命に呼びかけ、その魂に感謝する"祈り"の道具でもあったのだ。
  『地球交響曲 第六番』「虚空の音」の章に登場する異色の音楽家、奈良裕之は、この"祈り"の道具を楽器として現代に甦らせた男である。撮影は彼の生まれ故郷・釧路湿原で行った。
 

デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2006年11月号


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