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51●"神"との再会

 私の友人にとてつもなく変わり者のカヤックづくりの名人がいる。美術工芸品の様に美しい彼の手造り海洋(オーシャン)カヤックは、世界のカヤッカー達の憧れの的である。十六歳で家を飛び出し、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の森の地上30メートルの樹の上に自分の家をつくり、海洋先住民族アリュートのカヤックの復元を始めた男だ。
 名をジョージ・ダイソンという。彼がこんなことを始めた動機は、彼自身にもなかなか説明はつかない。バンクーバーの博物館に保存されていたアリュートのカヤックを初めてみた瞬間、どうしてもこれに乗って海を旅したい、と思ったという。体の中に、海を旅している時の潮の匂いや音、風の感触、波の振動などが一気に湧き起こって来て、抑え難い感動に包まれたというのだ。
 以来30年間、彼は誰に教わることなく、たったひとりでアリュートのカヤックの復元を続けてきた。彼が初めて博物館でこのカヤック見たのは1960年代、この頃アリュート族の中では、カヤックはほとんど完全に消滅していた。彼は保存されたカヤックの構造を徹底的に研究し、一隻復元する度に海に出てそれを試した。
 かつてアリュート族の人々の生活の場であったアラスカ・カナダの沿岸水路の複雑極まりない海を旅し、その体験をもとに次々と改良を加えていった。こうして完成したのが、今や世界のカヤッカー達の憧れの的、ジョージの海洋(オーシャン)カヤックなのだ。
 私がこの話を持ち出すのは、なにも文化財保護論を展開するためではない。16歳の少年の直感から始まったこの営みが、旅の中での"神"との出会いを復活させてくれる可能性を秘めているからだ。私がここで"神"というのは、私達に畏怖と感謝の思いを起こさせてくれる、"自然の超高度なメカニズム"のことだと言ってもいい。そして、進歩した科学技術に支えられた私達の時代の旅は、この"神"との出会いの機会をどんどん狭めている。旅とは本来"神"と出会う絶好の機会であるはずなのに・・・。
 アリュートのカヤックが消滅した理由は明白だ。エンジン付きの大型鋼鉄船やグラスファイバーボートに駆遂されたのだ。科学技術の産物であるエンジン付きの船は、アリュートの人々に、ある一点から一点に、より速くより大量に人や物資を運ぶ、という恩恵をもたらした。さらに、"自らの手で漕ぐ"という労苦から人々を解放し、潮や風を読みとるための、時に命がけの修行も必要なくなった。
 この恩恵のおかげで、アリュートの人々のライフスタイルは大きく変わった。永年住み慣れた小さな入江の奥の居住地を捨てて、大型船やスピードボードが入港しやすい大きな港町に移住するようになった。数千年にわたって、アリュートの人々の生活の場であった沿岸水路の複雑な入江の奥には、ケルプと呼ばれる巨大な海藻が繁殖していて、大型船やエンジン付きボートで入れないからだ。その結果、大きな港町はますます繁栄し、その港町と港町の間に点在した小さな入江、すなわち"神"の宿る地方(ローカル)は忘れ去られていった。
 ところで、ジョージが復元したアリュートのカヤックは、この"神"の宿る地方(ローカル)に潜入するのに最も秀れた乗り物だったのだ。カナダ・アラスカの沿岸水路になる入江は、遠い昔、後退する氷河が岩を削り取ってできたものだ。細長く深い入江には激しい潮流が生まれ、海の水を攪拌し、多量のプランクトンを発生させる。
 それを追ってニシンやサケがやってくる。その魚達をねらってラッコやアザラシが来る。時には大型の鯨達さえやってくる。沿岸水路の入江は、このあたりの海で最も豊かな自然の宝庫なのだ。エンジン付きボートの侵入を妨げる巨大な海藻(ケルプ)の森は、その豊かさの象徴である。
 数千年前からアリュートの人々がここに住みついたのは、この自然の恵みを得るためだった。そして彼らのカヤックは、この海を旅するのに完璧な設計がなされていた。中空構造の軽い船体は、滑るように海藻(ケルプ)の森の上を走る。しなやかな胴体は、激しい潮流が生み出す複雑な衝撃を見事に受け流してゆく。潮にさえ乗れば、時速八ノットのスピードさえ出る。そして何より、このカヤックは、人間に海洋哺乳動物達と同じ感覚を甦らせてくれるのだ。
 皮製(今は布)の胴体から直接体に伝わってくる波の振動が、複雑な海底の地形を教えてくれる。隠れた岩礁の存在が波音の変化でわかる。風に乗ってやってくる森の匂い、川の匂い、嵐の匂い、動物の匂いに、どんどん鋭敏になってゆく。すなわち、人間の中の"神"を感じる力が、どんどん増してゆくのだ。
 16歳だったジョージが直感的にこの事を理解したのは、人間という種の素晴らしい可能性を示している。科学技術が生み出した乗物は、より速く、より遠くへ我々を運んでくれる。しかし、その反面、細部に宿る"神"すなわち、人智をはるかに超えた自然の驚異に触れる機会を奪ってゆく。そんな時、ジョージの様な若者が現われ、再び"神"と出会う機会をつくってくれるのだ。
 今、カナダ・アラスカの沿岸水路では、カヤックに依る旅が大流行だ。自然への畏怖と感謝の想いに満たされることは、人間にとって最も大きい喜びなのだ。
 "神"は細部に宿り給う。

『L&G』 1999年7月


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