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●お薦め

監督が薦める、読む『地球交響曲』vol.1

 



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『宇宙船とカヌー』ケネス・ブラウワー(JICC)

この本に出会うまで、私は活字を映像化しようと思った事が一度もなかった。結構多読の方だとは思うけれども、それはあくまで自己確認の手段であり、情報や知識の仕入先であって、映像づくりはもっと直感的・身体的な営みだったのだ。ところが、この本との出会いは違っていた。初めから体が疼いた。画面が次々に浮んで来て読み進むのが苦痛になる程だった。森の匂いが漂い、岩礁の唸りが聴え、月光の海からは鯨の歌、森からは狼の遠吠え、アラスカの海の風さえ肌に感じた。私は、いてもたってもいられなくなってカナダに飛んだのだ。放送のメドも立たないままの自主制作だった。86年夏、本と同名の映像作品、「宇宙船とカヌー」は完成した。


 



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『多様化世界』フリーマン・ダイソン(みすず書房)

フリーマン・ダイソン博士は、若冠19歳のとき、相対性理論と量子力学を統合する理論を数学的に証明し、プリンストン高等学術研究所に招かれて、アインシュタインやオッペンハイマーと共に研究生活を始めた、世界の超頭脳である。その彼を私は、おこがましくも、私の師、と仰いでいる。というのは、彼が、私の様な凡人の頭脳では到底理解し難い高度な宇宙物理学の理論と計算を基盤にしながら、生命とは、宇宙とは、科学とは、遺伝とは、蝶とは、日本人とは、といった事を、わかりやすく語ってくれるからだ。私にとっては直感的にしか理解できない「私は何故、今ここにいるのか」という根源的な問いに、彼は科学の側からやさしく答えてくれるのだ。


 



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『ケルト/装飾的思考』鶴岡真弓(筑摩書房)

いかにも学術的で硬いタイトルとは裏腹に、この本は、一種の幻想小説を読む様なスリルと魅力がある。それは多分、著者の鶴岡真弓さんが、少女の頃に観てしまった内なる闇の恍惚をそのままに抱えながら、ケルトの世界を螺旋状に旅されているからだろう。ケルトの人々に最も崇拝されたのは、大地の女神ブリギッド。彼女は、全ての生命を生み育む慈母であると同時に、その生命を思いのままに喰い尽くす魔女でもある。太陽であって地球であり、火であって水であり、光であって闇であり、聖女であって蛇である。螺旋状の旅を怖れる男達にとっては、この事がなかなか理解し難い。しかし、この本はヘッピリ腰の男達をやさしく螺旋状の旅に誘ってくれる。


 



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『ナンガ・パルバード単独行』ラインホルト・メスナー(山と渓谷社)

数あるメスナーの本の中で、敢えてこの本を選んだのは、この山、ナンガ・パルバードが、彼が愛する弟ギュンターを亡くし、800メートルの墜落体験をし、さらに、幻覚ではない「超自然体験」をした山だからだ。酸素ももたず、たった一人で世界の8000メートル級の山全てを登り尽したこの地球で唯一人の男メスナーを、我々は、自分とは全く違う「超人」あるいは「超能力人間」だと思いがちである。しかし、読み進む内に、彼がいかに「超人」ではなく普通の人であり、彼が体験している事が「超自然」的なことではなく、自然なことだ、という事がわかってくる。全ての人が彼と同じ“現実”を体験するのは不可能だが、それぞれが自分の場で、自分のやり方で同じ体験を持つことは、それ程困難なことではないのだ。


 



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『神界のフィールドワーク』鎌田東二(青弓社)

我々日本人の心の無意識層には、今も古神道の時代の記憶が必ず刻まれているはずだ。その記憶を呼び覚すのに、鎌田東二氏は、宇宙飛行士の体験や、F1レーサー、登山家のメスナー、ユーミンの歌まで引き合いに出す。そこが面白く又説得力がある。我々日本人は、無意識の世界を敢えて意識化しない事に依って、独特の文化を築いて来た。外来文化を一見、全く節操もなく受け入れ自分のものにしながら、根源的にはほとんど何も変わらない。この日本人独特の精神構造を西洋人は不思議がり、時に嫌悪する。全てが地球規模で動く現代では、私達自身が自分の無意識を意識化する事を迫られている。こんな時代に、鎌田氏は、私達が最も知りたい自分自身を、様々な角度から見せてくれるのだ。


 



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『夏の朝の成層圏』池澤夏樹(中公文庫)

「宇宙船とカヌー」が初めて映像化したいと思ったノンフィクションだとすれば、これは私が初めて劇映画化したいと思った小説である。池澤夏樹氏はこの小説を「壮大な神殿を建てようとして、柱だけ建てて終った。」と自評された。しかし私にとっては、神殿が未完であるからこそ、そびえ立つ柱と柱の間に、見えない壮大な神殿が見え、そこで繰り広げられる大宇宙の神々と人間との交感の姿がみえる。これ程までに映像的な小説を読んだことがない。完璧に書き込まれた小説は映像化する必要もない。地方紙の平凡な一記者に訪れた突然の運命の大逆転。人が初めて人となった時からの数百万年の時間を、彼は一気に生き直さなければならない。言霊の生れいずる時から現代までに人類がたどった魂の話だ。


 



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『宇宙的ナンセンスの時代』宮内勝典(教育社)

宇宙飛行士・ニューヨーク・インディアン・ET・セックス・家庭・砂漠・老人ホーム・コミューン・核・恐竜・瞑想・火山・コンピューター・ニューメディア・虹の戦士。宇宙的ナンセンスの時代のこの混沌を突き抜けてゆくのは、情報でも知識でも感覚でもなく宮内勝典の屹立した男根なのだ。透明なヴァジャイナに依って愛撫されながら、萎えることを拒否して屹立し続ける悲しくも雄々しいリンガ。その、震えるリンガの波動に共振して生じた光の波が、かろうじて、この渦巻く混沌の世界に光を当て、我々の時代の真実を垣間見させてくれるのだ。宮内勝典の仕事に出会うと、私はいつも奮い起つ。そして自分もまだだいじょうぶだ、と思うのだ。


 



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『クジラの心』J.マッキンタイアー編(平凡社)

私は、鯨に興味を持ち始めた人たちに、最初にこの本を読むように推めている。鯨達の神秘的な能力に触れた人々の体験談と共に、その鯨達の能力に関する可能な限りの「科学的」解説がなされているからだ。私は、鯨と象は確かに、私達人類に何か非常に大切な事を教えるために、あるいは想い出させるために、あの巨体で六千万年もの間地球に生き永らえて来たのだと思っている。彼らは共に、人類に匹敵する程の複雑で深いシワの刻まれた大きな脳を持っている。それは彼らが何らかの高度に発達した「知能」を持っている事を意味している。しかし彼らは、人間の様に自然をコントロールするためのテクノロジーを一切持たなかった。人間の知能とは異なる「知能」があることを彼らは教えようとしているのだろうか。


監督が薦める、聴く『地球交響曲』vol.1

 



『EGG OF TIME』(Brian / Mind Research)

新宿御苑の中に、私の崇拝する楓の巨木がある。朝の開門直後、まだ人がほとんど入ってこない時間に、私はその樹の下に座ってよく瞑想をする。私の様に、普段瞑想の境地とはほど遠い生活をするものにとって、この曲は、いとも楽にその境地に運んでくれる瞑想推進剤になる。樹齢400年の樹の霊気とこの曲のおかげで、いつの間にか呼吸が深くなり、背すじが伸びて、肉体の呪縛から解き放たれてゆく。自分の肉体が大地と天空をつなぐ一本の空の筒になるのだ。さらに有難いことには、この曲は、40分でかっきり終る。それと共に私の瞑想タイムも終る。○時○分、○○テレビ打合わせなんて手帳にビッシリ書かれたスケジュールも、この時ばかりは、老眼鏡なしに読めるのだ。


 



KELLY YOST 『PIANO REFLECTIONS』(Channel Productions)

私は水に反射する光の波が好きだ。作品の中にその映像を度々使っている。光の映像は、それ自体としても確かに美しい。しかし、度々使う理由はそれだけではない。ある風景と他の風景の間に光の映像をはさみ込むと、突然その風景の印象が大きく変って来る。光の映像に依ってその風景の表層がはがされ、深層が浮び出てくるのだ。ピアノリフレクションは、我々のよく知っているピアノ曲を集めたCDだ。ただその曲と曲の間に、すなわち選曲と配列の中に、ちょうど光の映像にも似た“何か”が聴える。その“何か”が演奏の質感にも反映している。私は反射する光を聴いているのか、それともなつかしい名曲を聴いているのか…。ピアノリフレクションとはうまいタイトルをつけたものだ。


 



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エンヤ 『ウォーターマーク』(ワーナー・パイオニア)

石が“ほんとうに歌う”のだ、という事を知ったのは、冬のアイルランドの光の中だった。まして、あんなにも透明な、澄み切った声で歌うなんて想像もできなかった。もし歌うとしても、それは地鳴りの様な低い怖ろしい声だろうと思っていた。360度見渡せる丘の上に、もう5000年も前から輪になってたたずむケルトの巨石の群れ。地平線に黒々とした雲が湧き上り、風に乗って渦巻きながら走る。その蠢く臨界が、突然黄金にふちどられた時一瞬雲が裂け、一条の光がまっすぐに石の上に降りた。霧雨は光の粒となり、七色の虹が渡る。その時、石が歌い始めた。それはエンヤの歌声だった。


 



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宮下富実夫 『誕生TANJO』(Biwa)

その時、開け放れた旧家の奥座敷には、さわやかな初夏の風が吹き抜けていた。黒光りする廊下の先の明るい陽射しの中で、色とりどりの神旗がゆったりと風に揺れている。平成元年、吉野の山奥、天河弁財天社の正遷宮大祭が催される数日前の事だった。世話になった旧家の奥座敷で、私は初めてこの曲を聴いた。「昨日できたばっかりなんだ。」作曲家の宮下冨美夫氏が持参の小さなテープレコーダーにこの曲をセットした。誕生は死の対極ではない。誕生そのものの中に死は含まれている。死の中にこそ誕生がある。甦みがえる生命の歓び、そして、甦みがえる生命の悲しみ。この時私は、この曲が「地球交響曲」の中にくり返し甦みがえることを予感していた。


 



ポール・スポング博士(録音)
『SONGS AND SOUNDS OF ORCINUS ORCA』
(Total)

午前3時頃だろうか。ウトウトしかけていた私を呼ぶ声がした。「ジン、起きなさい。オルカが来たよ!」ブリティッシュコロンビアの北のはずれにある小さな島、ハンソン島。親友のスポング博士は、もう20年もここでオルカの歌声を聴き続けている。満月の夜だった。海中に仕込まれたマイクから、いつもよりズット陽気なオルカ達のハシャギ声が聴える。笑ったり、しゃべったり、中には鼻歌を歌っている奴もいる。満月の夜は彼らもつい浮かれてしまうのだろうか。スピーカーのある研究室を出て海岸に立った。そこではもう彼らの歌声は聴えない。海面に漂う霧の中に、海中で歌い踊る彼らの姿が見える様な気がした。


 



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スーザン・オズボーン 『和美』(日本コロムビア)

「眼を閉じることに依って、初めて見えて来る世界があります。 ボクは今、そんな世界を旅しています。 地球を出発してもう14年。 ここは、全天星空の闇の世界です。 物音は一切聴えず、秒速20キロという猛スピードで飛んでいるはずなのに、自分が動いているという感覚すらない。 そんなボクの耳に、絶えず聴えてくる音楽があります。 その音楽がどこから聴えてくるのか、ボクにはわからない。」 太陽系を出て、宇宙の闇の彼方へ旅を続けるボイジャー。何故旅をするのかを知る為に旅をする彼が聴いているのが、この曲だと思うのです。


 



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ANNE MURRAY 『SPECIAL COLLECTION』(Capitol)

「そりゃあ私だって寂しいし、あなたが側にいてくれた方が嬉しいに決まってる。永遠に抱かれていたいと思っている。でも、だいじょうぶ。私はひとりでやってゆけるわ。もう、地獄も極楽もみました。それでも愛してるってことがわかったの。だから、心配しないで。私を苦しめるなんて思わないで。それとも、私が新しい男を好きになることが怖いの?あなたらしくないわ。さあ、元気を出して。早く行きなさい。」 こんな気分を歌わせたらアン・マレーは絶品である。寂しさを明るく歌う。その方がズット寂しい。帰ることができない旅に出た時、人は本当のやさしさと明るさを知る。アン・マレーはそれを知っている。


 



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『GALAXY』Vol.II(Innovative Communication)

世界のどこかに、信じられない程自分とソックリな奴がいる。顔のことではない。自分自身でも最も言葉にし難い自分だけの感覚。それを共有している奴が確かにいるのだ。このCDを聴いた時そう思った。男か女か、国籍は、年令は、そんな事は全くわからない。でも、そいつがいてくれたお陰で、一つの作品が、一つの時限に完成する。このCDは数人の音楽家の曲を“ギャラクシー”というタイトルでまとめたものだ。そいつは多分、私が作ろうとする作品を、作るズット前に観ていて、あらかじめその作品のために選曲しておいてくれたのだろう。それとも、私とそいつと、そして作品を観てくれる大勢の人々は、もうとっくにどこかで作られていたものを作り、聴き、観ているだけなのかもしれない。


 



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DEAN EVENSON 『OCEAN DREAMS』(Soundings of the Planet)

“音が聴える絵”というものがある。このCDとの出会いはまさにそれだった。サンフランシスコの対岸、サウサリートの、とある小さな雑貨店。元宇宙飛行士のシュワイカートを訪ねた帰り道だった。フェリーを待つ間、フト足を踏み入れた店の壁に一枚の絵が架かっていた。紫がかった、透明のピンク色の空間にイルカが4匹泳いでいる。上から差し込む光の波がかすかに水の感触を残しながらも、そこは現実の海中とは違っていた。光が音楽に変るそんな空間。潮騒やイルカの声と共に、アコースティックな楽器の音が聴えた。絵の下に、その絵をジャケットにした一枚のCDが置かれていた。私は迷わずこのCDを買った。


Copyright Jin Tatsumura Office 2005