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01●「心の波動」未来に


 八九年に撮影を開始し、三年がかりで完成させた映画「地球交響曲」がいま不思議な広がり方を見せ始めている。
 この映画は、予算の関係で一般の人々に知ってもらうための広告宣伝が一切できなかった。ところが昨年の暮れから細々と上映会を始めると、その観客の中から自分の手で上映会を開きたいという人たちが次々に現れ始めた。しかも、その人たちは大部分が映画の上映に関しては全くの素人ばかりなのだ。
 例えば、今年五月末に、たまたま大阪・中之島での上映会を見た浜松の男性が、どうしても地元の友人たちにこの映画を見せたい、と思い、まず会場探しから始めた。
 会場がとれたのは七月十四日、わずか一カ月半の余裕しかない。彼はただ「この映画を人に見せたい」という情熱だけで、夢中で周囲の人々に語りかけた。「切符を売る」という行動を通じて、新しい仲間やネットワークが次々に現れた。実費だけで手伝ってくれる映写技師も現れた。前売り券も二百枚以上売れた。
 これでなんとか会場費とフィルム代だけは払える。会場の定員は三百人、上映回数は二回、当日券が百枚も出てくれれば、損をしないで済む。持ち出しを覚悟していただけに、彼はほんの少し安心して本番当日を迎えた。
 ところが、一回目の開場をしてすぐ、彼はある異変に気付いた。入場してくる客をみていると、前売りを買ってくれた顔見知りの人よりも、当日券を買って入る見知らぬ人の数のほうが多いのだ。この日の二回の入場数は千人を超えた。
 「この映画の感動を一人でも多くの人と分かち合いたい」と思った一人の素直な「心の波動」が、いわゆるプロの常識を超えて、わずか一月半の間に千人を超える人に伝わったのだ。この上映会の後、近郊の都市で自主上映会を開きたいという申し込みがまた三件あった。私にはこの現象が、一つの活性化した細胞が次々に自己分裂を繰り返しながら新しい器官をつくっていく、あの生命誕生の仕組みに似ている様な気がする。細胞の分裂を促しているのは、いわば「生まれたい」と思う細胞の「心の波動」なのだ。
 「地球交響曲」は、心の持ち方一つで、人間=自然は、今の常識をはるかに超えることができるのだ、ということを示したドキュメンタリー映画である。
たった一人で酸素も持たず、世界の八千b級の山すべてに登ったイタリアの登山家R.メスナー。一粒の普通のトマトの種から、バイオ技術も特殊肥料も一切使わず一万五千個も実のなるトマトの巨木を育てた日本の野澤重雄。象と人間の間に、種を超えた愛とコミュニケーションが可能なのだということを身を持って示したケニアのD.シュルドリック。
 宇宙遊泳中に、地球のすべての生命との深い連帯感に目覚めた米国のR.シュワイカート。自然と共に生きた遠い祖先からの魂を、歌によって現代によみがえらせたアイルランドのエンヤ。
 この登場人物全員に共通しているのは、自分の命が、母なる地球(ガイア)の大きな命の一部分であるという実感と、その実感に裏付けられた常識にとらわれない、柔らかい心だ。
 いま私たちが抱えている苦悩の大部分は、私たちの心が作り出したものだということもできる。人間の心という、一見はかないものの中にこそ、未来を開くカギがある。二十一世紀を前に、人間の心の可能性にもう一度かけてみる、というのも悪くない、と私は思っている。

日本経済新聞(夕刊)1993年(平成5年)9月6日




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