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龍村仁ライブラリー
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エッセイ
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03●心の「器」 |
いま思うと私が5年生まで通った小学校は、本当に不思議な小学校でした。兵庫県・雲雀ヶ丘の山奥にあった私立の小学校です。 5歳で終戦を迎えた私は、戦後の混乱期にまぎれて学齢より一年早くその小学校に入学しました。そんなことが許されたのもまた不思議なのですが、戦後のアメリカ的民主主義教育とはまったくかけ離れた教育方針をもっていたその小学校は、時代の流れに勝てず、5年生のときついに廃校になったのです。この小学校での体験は、当時の私には大変辛いものでした。 しかし、いまふり返ってみると、このときの体験が「器」としての私をつくってく れたのだとつくづく思います。 例えば、こんな体験です。 夏休み、生徒は2週間の寄宿生活をします。小学校の低学年で、2週間も親元を離れるのは、なかなか辛いことです。年下の弟や従兄弟たちが親を慕って毎晩泣きます。自分も泣きたいのを我慢して弟たちを激励したものです。 宿舎は学校の校舎、床板の上に直接寝ます。固い床に寝ることが育ち盛りの子どもの骨の矯正によいということは、いまになって知ったことです。起床は必ず日の出の1時間前。山からの湧水で洗面した後、裸足で岩だらけの山道を山頂の遥拝台まで登ります。 そう、寄宿中の2週間は遠足の日をのぞいて一切履物ははきません。裸足で岩や土や草の上を歩くことが、足裏に変化に富んだ刺激を与え、その刺激が全身の感覚を鋭敏にし、内蔵の働きを活性化し、頭脳の発達にも大きな影響がある、などということも当時の私には知る由もないことでした。山頂の遥拝台に着くと間もなく、地平線から太陽が昇り始めます。子どもたちは整列して太陽に遥拝するのです。 この、毎朝太陽を拝んだ体験がいまの私にどんな影響を与えているのか説明することはできません。ただ、このころ見た黄金に輝きながら雲間から登ってくる太陽の姿は、いまでも目を閉じると、いま現在それを見ているようにクッキリと思い出すことができるのです。 遥拝を終え、宿舎にもどって清掃をすませたころ、遠くからほら貝の音が聞こえます。食事の合図です。食堂は山の中腹にあります。子どもたちは板の間に正座して、まず3分間の黙想です。戦後の食料のない時期で、ただでさえ飢えていた私には、この3分間は本当に長い時間でした。高尚なことを思うどころか、ただただ早く食べたい一心で口の中が唾だらけになり、食べ物を受け入れる態勢が整いすぎるぐらい整ってしまうのです。 食事は一汁一菜、主食は玄米です。先生がまず「玄米は一口入れたら百回噛むまで飲み込むな」と命じ、数を数えるのです。これが辛かった。顎はだるくなるし、おなかは満たされないし。しかし百回噛むうちに最初固くてくせのある味だった玄米が、次第に甘く不思議な味に変化してゆく。たぶん玄米の中にあるすべての栄養、すべての生命の源が何一つ無駄になることなく、私の体に吸収される状態になったのだと思うのです。さらに成長期に顎をしっかり鍛えることが大脳の発達に大きな影響を及ぼすことも、いまではよくわかっていることです。 からだは心の「器」です。 入ってくるものの大きさや形に合わせて自在に変化できる柔らかい「器」。その内側には、どんな些細なことも敏感に感じとることのできるセンサーが無数に開発されている。そんな「器」作りこそ児童教育だと思うのですが。 セサミ 97年初春号 No.115 BackCopyright Jin Tatsumura Office 2005 |