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龍村仁ライブラリー
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エッセイ
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08●トマトの”心” |
野澤重雄さんは、たった1粒のごく普通の種から、バイオテクノロジーも特殊な肥料も一切使わず、1万5千個も実のなるトマトの巨木をつくってしまった人である。私は映画「地球交響曲」の撮影開始に当たって野澤さんに新しい種植えをお願いしてその成長過程を撮影した。トマトは約9ヵ月で、幹の直径10センチ、枝はの広がりが直径8メートルに成長し、たわわに実をつけたのだった。 人間がトマトを育てるのではなく、トマトが”心”のままに育つのをお手伝いする、というのが野澤さんの哲学だ。 我々が見慣れている普通のトマトが1本の茎から80個ぐらいしか実をつけないのは、トマトが今、自分に与えられている条件、すなわち、現在の地球の自然環境を自分で感知し、それが一番自然だと感じているからだ。しかし”心”を持っているトマトは、実は自分に与えられている環境が変われば、その変化に応じていくらでも姿を変えることができる。このことに気付いた野澤さんは、今の地球の環境の中で、トマトの成長を制約している一番大きな条件が何であるか、を考えた。その条件を一度人工的に取り除いてやれば、そしてトマトが成長の最初の段階で「自分はいくら大きくなっても大丈夫」と思いさえすれば、きっと大きくなる。 一番大きな制約条件は”土”だった。”土”は大部分の植物の母であり、命の源である。しかしそれは同時に命を制約しているものだ。トマトに限らず、すべての植物は土の持つ条件を自分の”心”で感知して今の姿をとっている。 もし、土から離してやればどうなるのだろう。 これが発想の第一歩だった。野澤さんのトマトは豊かな水と栄養が循環する水槽の中で育つ。細かい技術的なことを書くスペースはないが、今までの科学者と決定的に違うのは、トマトが”心”を持っていることを知っていたからだろう。野澤さんが語るトマトの”心”とは、私たち人間が言う心とは違う。 自分の存在を外部に向かって主張しようとする心ではなく、自分に与えられた環境をできるだけ素直に受け入れ、その中で精一杯生きようとする”心”だ。 野澤さんは「どのくらいの大きさに成長するかはトマトが決めるんです」と言う。 想像を絶する巨木をつくることに成功したのは、トマトの心と野澤さんの心が通い合ったからだった。 私が最後に満開のトマトを撮影したのは、89年の4月だった。ロケ先のヨーロッパに「トマトがもう成長の限界を超えているので早くしないと満開状態は撮れないかもしれない」という連絡が入ったのだが、ロケを中断する訳にもいかず・・・。結局、野澤さんから指定された日を1週間も過ぎてからようやく帰国し、高槻市にある研究温室にかけつけた。熱帯のジャングルのようにおい繁った緑の葉の下で、真っ赤に熟した5千個余りの実が咲き誇る姿は圧倒的だった。 私はトマトが待っていてくれたことに心から御礼を言った。 そのトマトがいっせいに実を落とした、と知らされたのは、撮影して東京に戻った翌日のことだった。 前夜、この9ヵ月間、トマトの世話をしてきたSさんが、温室の方角から聞こえてくる奇妙な物音に気付き、おっかなびっくりで温室に行ってみると、ナント、約5千個のトマトの実がいっせいに落ち始めていたのだ。青白い月光の下、数秒の間隔も置かず落ち続けるトマトの姿に、Sさんは声も出なかったという。 トマトは、自分が今回は撮影のために生きた、ということを知っていたのだろうか。 「TVぴあ」92年2月20日号 BackCopyright Jin Tatsumura Office 2005 |