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龍村仁ライブラリー
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エッセイ
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10●見られる風景 |
91年はどういう風の吹き回しか海外での取材や撮影がとても多かった。イギリスに2回、ポーランドに1回、南アメリカの熱帯雨林に1カ月、南アフリカのナミブ砂漠に1カ月、インドネシアのジャワ島、バリ島に2回、そしてアメリカには計4回。すべて撮影とそのためのロケハンや打ち合わせだった。私のパスポートは増刷分の空白も少なくなって、出国の際、いつも係官がスタンプを押す空白を探しながらいぶかしげな表情で私を見る。 こんな風に書き始めると、いかにも旅慣れた人間に聞こえるかもしれない。ところが、わたしは32歳を過ぎるまで一度も外国に行ったことがなかった。それどころか、飛行機に乗ったことすらなかった。 それまで飛行機にも乗ったことがなかったのには理由がある。別に閉所・高所恐怖症だった訳ではない。当時、NHKに就職してすでに10年、ドキュメンタリーのディレクターになってからも6年経っていた。私の周囲のディレクターたちは、やれ北海道だ、九州だと四六時中地方ロケに出ていた。東京に犯された“被害者”としての地方を描くことが当時のNHKドキュメンタリーの流行だったのだが、私は違った。それより、自分の日常生活でもあるラッシュアワーの山手線や、昼食時の渋谷のラーメン屋や、夜明け前の歌舞伎町に現代のテーマは無限に転がっているのではないか。そんな想いから、私は東京の中でのテーマばかり企画するようになり、フト気がつくと「旅」をしないディレクターになっていたのだった。 そして、その頃の私が「旅」をしなかったのは、実はもうひとつの旅に夢中だったからだ。 旅にはふたつある。内なる旅と外なる旅。内なる旅は身体を敢えて遠くに運ばなくてもできる旅だ。ふだん、無意識に見過ごしてしまっている風景や人々の営みが、ある日突然、全く遠い別世界の出来事のように見えてくる旅。この旅の乗り物は飛行機ではなく、想像力だ。 「山手線に乗れば海につく」ことが本当だ、とわかるような旅。それは、大変危険な旅でもある。今ある場所を捨て、今ある自分を捨てて、全く新しい世界に旅立とうとする強い誘惑をはらんでいるからだ。 ともあれ、私が初めて飛行機に乗ったのは初めての海外旅行で、それは「仕事」ではなかった。「仕事」がなくなったので旅に出た。 およそ40日間、北アフリカのモロッコ、チュニジアを1日千円程度の予算でフーテン旅行をした。全くのひとり旅だった。一番安い航空便でパリに行き、汽車を乗り継いでスペインの南端から船でアフリカ大陸に入った。飛行機の安全ベルトの締め方や座席の倒し方も知らず、30歳過ぎた男がそんなことをいちいち尋ねる訳にもいかず、恥ずかしい思いをいっぱいした。緊張の連続だったが、“旅”とはナニか、を考える上で本当に貴重な旅だった。 モロッコの旅は「見る」旅ではなく、「見られる」旅だった。現地の人々と同じバスに乗り、同じものを食べ、同じ宿に泊まる私はいつも好奇の目に晒されていた。私は彼らの日常生活に入り込んで来た“異物”だった。私にしても、食べること、寝ること、行くことなど、当たり前のことをするのに精一杯で、とても“見物”する余裕がない。 その緊張から解き放たれるためには、結局自分がどんどん裸になってゆくしかなかった。現地の人たちと並んで、砂漠で、平気で脱糞できるようになって、初めて緊張から解放され、“見る”ことができるようになった。 テレビの旅は“見られる”ことなしに“見る”ことのできる安全な旅だ。この安全性の中に落とし穴がある。高級ホテルを泊まり歩くツアーもまた同じことだ。それなりに“快適”だが、本当の意味の旅の醍醐味が失われる。旅の醍醐味は“見られること”を通して“見る”ことから生まれる。 自分の日常とは異質の文化・自然・人々の生活から“見られる”ことによって、ふだんの生活の中で気付いていない自分に気付く。忘れている自分を思い出す。すなわち、内なる旅をする。外なる旅は内なる旅と共にあって初めて面白い。 “見る”ことだけになりがちなテレビの旅の中にどうやって“見られる”危険を持ち込むかが私の役割であり、また人はだれでも“見られる”ことが好きなのだと思う。 「TVぴあ」 BackCopyright Jin Tatsumura Office 2005 |