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14●「宇宙のささやきが聞こえる」


〜“映像を創る”という私の「外宇宙への旅」は、私のからだをつくる細胞や
原 子と“喜びや悲しみを分かち合う”「内宇宙への旅」でもある。〜


 「人間のからだは、宇宙物質のまとまり方のひとつである。人間のこころは、宇宙物質の働き方のひとつである。このことが、からだの実感を通してわからない限り、いくら“母なる星・地球”だの“地球環境保護”だのと言ってみても、それは単なる言葉だけのことになってしまう。そのことをどうしてもからだの実感を通してつかみたい。それがボクの体操なんです。」知る人ぞ知る“野口体操”の創始者・野口三千三さんの言葉である。野口さんは、人間のからだの旅、すなわち内宇宙の旅を通して外宇宙を語る達人。3年前、3分CMのシリーズにご出演いただいて以来の間柄である。その野口さんの一番弟子のHさんから、素晴らしいお手紙をいただいた。去る2月15日TBS系列で放送したNTTデータスペシャル「宇宙からの贈りもの〜ボイジャー」についての感想だった。「……見終って、涙ばかりがあふれ出て、呆然としてしまったのです。<中略>「宇宙からの…」の映像と音楽を通して、ひとつ分かったことは、涙は、涙腺だけから出るわけではないということ。全身の細胞、60兆の細胞が涙を流す。もっと言えば、銀河を遥かに超えて、10億光年も離れた宇宙の距離よりも遠い数、10の27乗個以上の人間のからだを形作っている原子が、いっせいに泣き出すのですね。<後略>」この手紙を読ませてもらいながら、私自身も泣きそうになってしまった。私のからだの細胞が、Hさんの言葉に共振したのだ。最初に紹介した野口さんの言葉は、私自身の実感でもあり、それが私の創作や演出の原点だからなのだ。
 映像の仕事始めてすでに30年近くになる。その間“私”をずっとつき動かしてきたのは、外界から前頭葉のホンの一部分に注入される。“知識”や“教養”や“情報”ではない。私のからだ全体が感じとっている“あの実感”、すなわち60兆もの細胞が感じとる“喜び”であり、“悲しみ”であり、10の27乗個の原子が思い出す“記憶”や“共感”なのだ。
 膨大な資料を読んで企画を錬る時も、瞬間の選択が迫られる撮影の時も、無限の試行錯誤を繰り返す編集の時も、常にあるのは、“私”と私の“からだ”との対話なのだ。
 そして、答えはいつも細胞や原子のレベルから返ってくる。細胞の笑い声や原子のささやきに素直に耳を傾ければ良いのだ。
 私たちのからだをつくっている物質の最小単位、例えば心臓の細胞をつくるタンパク質の中の炭素原子や、肋骨をつくるリン原子など、すべての原子は“私”の所有物ではない。2百億年前のビッグバン以来、この広大な宇宙に生まれた原子の1個が、ある時は彗星の一部になり、ある時は水になり、ある時は木になり、草になり…、という生死を繰り返しながら、空気や食べ物を通して、今たまたま私のからだの中に入って“私”を構成しているだけなのだ。その原子たちも、私が流した涙となってため息となって、また“私”の外に出てゆく。
 人間のからだをつくっている物質は、5年間ですっかり入れ替わってしまう。人間のからだは、宇宙から来て宇宙へ還ってゆく“宇宙物質”の通り道でもある。
 今、私の目の前で春の陽光を浴びて輝く緑の若葉の中に、かつて私のからだの中にあった原子の1個があるかもしれない。今、脈打っている私の心臓の細胞の中には、かつてお釈迦様がクシャミをした一瞬に飛び出した原子の1個が入っているかもしれない。
 そう思うと、新宿御苑の楓の木も、アフリカの象のエレナも、カナダの鯨たちも、室町時代の一休さんも、10億光年の彼方の星たちも、惑星探査宇宙船ボイジャーが出会うかもしれないETも、そして、これから生まれてくるすべての生命も、みな仲間なのだ、ということが実感としてわかる。
 「宇宙からの贈り物」の放送前から始めたこの連載も、これで最後になる。拙文をお読みいただいた皆様に心から感謝します。ありがとう。



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