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18●青き星への歌声


 私にとって、スーザン・オズボーンの歌声は"聴える"というより、"抱かれる"あるいは"包まれる"と言った方がピッタリする。スーザンの歌声を聴いているのは私の耳でなく、全身の細胞、あるいはもっと小さい私のカラダをつくっている原子の一つ一つが彼女の歌声に抱かれ、共鳴し、合唱し始める様に感じるのだ。
 何しろ、彼女の歌声を聴いていると全身が温かくなって来る。自分の手の掌や胸や喉からポカポカした波動がカラダの外へ踊りながら広がってゆく様に感じるのだ。
 ここ数年間の私の主な作品には、何度もスーザンの歌を使わせてもらった。
 92年に放映したTV番組「宇宙からの贈り物」では、CD「和美」の中から「浜辺の歌」が主題歌になった。この作品で私は惑星探査機、ボイジャー2号が太陽系を離れる前、最後の仕事(ミッション)として行った我が太陽系全体の写真撮影と、それに関わった科学者達を撮影した。そして、その困難な仕事をやり遂げた科学者達の、ボイジャー2号に対する気持、すなわち「ありがとう」「さようなら」「決して君の事を忘れない」「私の魂は永遠に君と共にあります」といった気持と、そして、その科学者達に応えて、ひとり宇宙の彼方へ旅立ってゆくボイジャー2号の気持の両方を含んだ歌声として、スーザンの「浜辺の歌」を選んだのだった。放映が終わってしばらくして、私は不思議な話を聞いた。この太陽系全体写真撮影のミッションが行われていた時、たまたまNASAにいた日本の著名な宇宙物理学者、佐冶晴夫博士が毎晩の様にNASAの科学者達に「浜辺の歌」を聴かせていたのだ、と言う。私はこんな事実は全く知らなかった。放映が終わってこのVTRをアメリカに送ったのだが、観た科学者達がみな、この歌を聴いて言い知れぬ懐かしさに包まれた、と知らされた。スーザンの歌には、個人の違い、文化の違い、国の違い、をはるかに超えて、全ての生命が、大きな生命の一部として共に生きている、という事を教えてくれる温かさがある。実際、スーザンの歌声は、宇宙から観た青く美しい地球の映像によく似合う。スーザンの歌声に抱かれながら地球の映像を観ていると、300キロというその距離の遠さではなく、その身近さ、懐かしさに心が震えて来る。針の先もない地表の小さな一点にいて、喜び、悲しみ、あえぎながら生きる"私"と、はるか宇宙の彼方から地球を観てる私との間に、実は何んの隔りもないことが実感できるのだ。
 95年春に完成した映画「地球交響曲」第二番のために、スーザンは、バッハ・グノーの「アヴェ・マリア」を贈ってくれた。伴奏者もつけず、彼女の住むオルカス島の小さな教会で、マイク一本で録音されたこの歌は例え様もない程シンプルで美しかった。シンプルであるが故に全てを含んでいるこの歌声に似合うは、やはり宇宙から観た地球しかなかった。私はこの歌を映画の内容が全て出尽くした後のエンディング・シーンに、ただひたすら静かな青い地球の映像と共に使わせてもらっている。




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