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龍村仁ライブラリー
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エッセイ
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23●あいはみどり |
「みどり児」という言葉がある。 万葉集の中ですでに使われている表現で、母の子宮の中で育つ胎児、あるいは三才未満の赤ちゃんのことを愛(いとお)しむ想いを込めて使われる美しい日本語だ。この言葉を英訳しようと思ってハタと困ってしまった。英語には緑という色から幼い生命を連想するという回路がないのだ。ましてや"幼い生命をい愛しむ"などというニュアンスを"グリーン"とひと言に込めることなど期待できない。 地球交響曲(ガイアシンフォニー)第五番の出演者、沖縄西表島で伝統の草木染を営む石垣昭子(あきこ)さんの言葉を英訳しようとして気付いた日本文化の奥深さだ。 石垣さんの工房の庭の老大木の根元に、大きな素焼きの藍甕(あいがめ)が一つ置かれている。 おい繁る緑の葉が強い陽差しを遮り、その下を時折涼やかな風が吹き抜ける、いかにも赤ちゃんの昼寝にもってこいの場所だ。石垣さんは朝夕2回この甕の蓋を開け、豊かな手に特産の泡盛を受けて甕の内壁になでるように浸み込ませてゆく。「御機嫌伺い」だそうだ。 手製の木の櫂で藍の液をかきまぜながら昭子さんはこう呟いた。 「藍はもともと緑色なんです。ホラッ、甕の底の方をみると緑色でしょう。それが、糸を液に漬け空気中に引き上げたとたんに、瞬く間に藍色に変わってゆくんです。甕の底にみどり児が秘そんでいて、空気に触れたとたんに藍に変わる。あいはみどりなんです。」 この"あいはみどり"という言葉の英訳で途方に暮れてしまった、というわけだ。 それにしてもなぜ甕の奥に秘むみどりが、空気に触れたとたんにあいに変わるのだろうか。その秘密を昭子さんが教えてくれた。みどりをあいに変えるのは空気中の酸素なのだ。昭子さんの庭の藍甕の周りには、樹の葉や草花が光合成に依って吐き出したばかりの清らかな酸素が風に舞っている。甕から出て来たみどり児が、この酸素に触れて一気にあい変わってゆくのだ。 この話はまるで人間の赤ちゃん誕生の瞬間とそっくりではないか。子宮(甕)の奥の羊水(藍液)に漂いながら誕生の時を待っていたみどり児が、子宮の外に出て初めて自らの力で呼吸(酸素)を始めた時、母と子の双方向の愛が始まる。 地球の大気中には21%の酸素がある。この数値が数%増減するだけで人間をはじめ酸素呼吸する全ての生きものが絶滅の危機に瀕するだろう。酸素を生み出し、過去数億年に渡って21%という数値に保ち続けてくれているのが"みどり"の植物達、みどりは全ての生命を生かしめている母なる星地球(ガイア)の愛(あい)の色なのだ。 こんなことを知る由もない万葉集時代の日本人が幼い生命への愛と畏怖の想いを"みどり"という色に託して表現していた。自然や生命(いのち)の仕組みに対する柔らかな開かれた心を持っていれば、例え科学的知識がなくとも"あいはみどり"であることが直感的にわかるはずだ。私たちの祖先はこうして美しい日本語と草木染の文化を生んだのだ。 デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2004年12月号 BackCopyright Jin Tatsumura Office 2007 |