Index
HOME 龍村仁ライブラリー エッセイ
著書  | お薦め vol.1  | お薦め vol.2 エッセイ  

28●音楽の共時性(1)

 ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」には不思議な魔力がある。と言うか、全ての音楽にはその"魔力"が潜んでいるのかもしれない。一見なんの脈絡もなく別々に起こっているように見える「現実」を、一気に時空を越えて結んでしまうのだ。いわゆる"シンクロニシティ"と呼ばれる現象だ。
  映画「地球交響曲」の制作過程で、私は音楽が引き起こしたシンクロニシティを何度も体験している。「月光」もそのひとつだ。
  「月光」は、ピアノを習ったこともない少年時代の私が、初めて聴いて、どうしても自分で弾けるようになりたいという抑え難い衝動に駆られ、楽譜を手に入れて指一本一本で譜面を覚え、ついに弾けるようになった曲である。宙(そら)で「月光」を弾いている時に誘い込まれてゆく境地は、少年時代の私にとって「現実」とは違う"異次元"に存在する自分を感じさせてくれるものだった。ただ当時は、なぜ自分がこれ程までに「月光」に魅かれるのかはわからないままだった。
  「第二番」ジャック・マイヨールの撮影の時だった。 カリブ海の孤島、サウスケイコス島で、奇跡的に見つけた白いグランドピアノを前にしたジャックが、突然「月光」を弾き始めた。そして言った。 「私はピアノを習ったことがない。でも少年時代、どうしてもこの曲を弾きたくなり、独学で覚えた。この曲を弾いていると、水深105メートルのグラン・ブルーの世界にいた時の境地が甦ってくる。地上にいながらあの境地に戻れるのは『月光』を弾いている時だけだ」。
  この撮影の後、それまで「イルカ人間」らしく我がままばかり言っていたジャックが、少年のように素直になって、撮影は全てうまくいった。
  「第五番」アーヴィン・ラズロー博士の撮影で、イタリア・トスカーナ地方に行った時のことである。海岸を散歩するラズロー博士に同行して、偶然目の前にエルバ島があることを知った。エルバ島は2001年12月、ジャックが自ら命を絶った島である。
  ジャックが呼んでいるような気がした。撮影最後の日、エルバ島に渡った。
  ジャックの家は、エルバ島南端の岬の上にあった。突然訪れたにもかかわらず、広大な敷地の二重、三重の門は全て開いており、人影は全くなかった。誰に断ることもなく、夕陽が落ちるまで、彼が素潜り105メートルの記録を達成したエルバの海を撮影した。
  「第五番」の出演者ラズロー博士は、最新の物理学の知見から、「宇宙は記憶を持っている」「全ての存在は時空を越えて繋がっている」ことを話してくれた人である。
  彼は幼い頃天才的なピアニストだった。今は物理学者である博士に、ピアノを3曲弾いてくれるようお願いした。その中に「月光」が用意されていた。博士に、私とジャックと「月光」の話はしていない。 ベートヴェンのピアノソナタ「月光」が、時空を越えて、私とジャックとラズロー博士を繋いでくれたのだ。

デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2005年5月号


Back

Copyright Jin Tatsumura Office 2007