沖縄には、「樹齢数百年のデーゴやガジュマルの大木には、必ず"キジムナー"と呼ばれる樹の精が棲んでいる」という言い伝えがある。
北部の離島、伊是名島に育った名嘉睦稔(「地球交響曲第四番」出演者・版画家)にとって、このキジムナーに会うことが少年時代の大きな夢だった。彼はこのキジムナーの話を祖母からいつも聞かされており、恐れと憧れの入り交じった想いを抱いていたのだ。
キジムナーは身の丈60センチぐらい、全身が真っ赤で、髪はボサボサに伸び腰のあたりまで垂れ下がっている。顔は年寄りなのか子どもなのか、そのどっちとも取れる顔をしている。寂しがりやで、いつも人間と友達になりたがっているのだが、同時にとてもイタズラ好きで、時に人間にひどい仕打ちをすることもある。牛を簡単に持ち上げたり、サバニ(船)を一夜のうちに海から山の頂上に運んでしまったりするほどの力持ちなのだが、なぜか小さな石だけは持てない。
そんなキジムナーに会いたい、という想いを抑えられなくなった少年・睦稔は、ある日、ポケットに小石を二つ忍ばせ、禁を犯して、村の御嶽(ウタキ)のご神木、樹齢四百年の大デーゴの樹に登った。
登ってみると、地上5メートルほどのところに、下からは見えない大きな祠のような空間があった。形はまるで大きなゆりかごのようだ。寝ころんでみると、樹の懐に抱かれたような安心感がある。そこには、地上とは全く違う風が吹いている。海からの熱風が、生い茂る木の葉の一枚一枚に細かく砕かれて少年の肌をやさしく撫でてゆく。少年はフト、幼い頃、祖母に団扇であおいでもらいながらキジムナーの話を聞いた昼寝のことを思い出した。
そして、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
どれぐらいの刻(とき)が過ぎたのだろうか。肌の上を吹き過ぎる風の冷たさにハッと目覚めると、陽はすでに水平線の彼方に沈み、空は紅玄(あこうくろう)色に染まっている。沖縄では、陽が落ちてから漆黒の闇が訪れるまでのひとときを「紅玄(あこうくろう)の刻(とき)」という。この刻こそ、昼間は息を潜めていた自然界の様々な妖怪達が一斉に活動を開始する時なのだ。
恐ろしくなった睦稔はあたりを見回した。昼間はやさしい風を送ってくれた木の葉の一枚一枚が、今は黒い塊になって自分を取り囲んでいる。その中に、風もないのにかすかに揺れている数枚の葉がある。そこに目を凝らした睦稔は肝が潰れるほど驚いた。
かすかに揺れる葉の向こうに、ジッと自分を見つめる二つの真っ赤な目があったのだ。
悲鳴をあげ樹から飛び降りた少年は、後も振り返らず、一目散に母と祖母の待つ家へ逃げ帰ったのだった。
睦稔がキジムナーに会ったのはこの時だけだ。しかし、50を過ぎた今も大樹に登る誘惑には勝てない。
「樹は登って欲しいんですよ」と彼は言う。樹は我々に人間の時間をはるかに越えてゆったりと流れる自然の「刻(とき)」があることを教えてくれる。"キジムナー"はそれを人間に伝えるための樹からの使者なのかもしれない。
デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2005年9月号
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