昨年の秋から、いよいよ『地球交響曲 第六番』の撮影を開始した。テーマは"音"である。
と言っても、窮極的に描き出したいのは人間の耳には聴えない"音"、"虚空の音"と言ってもいい。
ちょっと難しそうなテーマに聞こえるかもしれないが、現実はそうでもない、と思っている。
とは言え、実際に聴こえない"音"は私の耳にも聴こえないのだし、録音できるものでもない。また、これは映画であり、ドキュメンタリーであり、もともと、"音を映像で描く"ということそのものが無理な話なのだから非常識な企画であることは百も承知している。もし、この企画を大手の制作会社やテレビ局の下で制作しようとすれば、企画会議の段階で間違いなくボツにされるだろう。しかし、こんな非常識な企画に挑戦できるのだから、『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』は面白いのだし、それがインディペンデントの監督として映画を制作することの唯一の利点なのかもしれない。もちろん、こんな雲をつかむような企画を現実のものとし、映画として形にし、多くの観客達に観ていただき、感動や共感を分ち合うまでに仕上げるのには、言葉にはできない"苦しみ"もある。しかし、『地球交響曲』には、その"苦しみ"を引き受けても余りある喜びがあり、だからこそ第六番までつくり続けることができたのだろう。その点では、それを支えてくれるプロデューサー、龍村ゆかりをはじめ少人数のスタッフと自主上映を次々と催して下さる素人の主催者達や観客達には御礼の言葉もないほどに感謝している。
さて、「第六番」、人間の耳に聴こえない"虚空の音"をどうやって映画に仕上げればよいのか。その入口は、やはり従来の『地球交響曲』のスタイルと同じく、"人"である。
『地球交響曲』のシリーズは、チョット奇跡にも見えるような偉業を成し遂げた人、一見凡人にはマネができないような素敵な生き方をしている人達に登場願い、その人の生きざまや想い、経験を描くことに依って、その人自身も気付いていないような心の奥の動機、その偉業を可能ならしめた、目には見えない生命エネルギーとの繋がりを描き出そうとして来た映画である。だから、この映画はもともと"目には見えないもの"、"耳には聴えないもの"を描こうとして来た映画である、と言うことができる。さらに、"人"を軸にしているのは、一見"特別な人"に見えるこの人達が、実は、我々と同じ限りある不自由なからだを持ち、我々と同じ悩みや苦しみと闘いながらこの地球に生きている"普通の人"でもあることを示したいからだ。そうすることに依って、彼らが成し遂げた偉業や素敵な生き方は、誰にでもできる可能性があることを示し、観る人が元気になってもらいたい、という願いを込めた映画である。
さて、「第六番」、この宇宙に満ち溢れ、全ての存在を形づくり、生かしめている"虚空の音"を描くのにふさわしい"人"は誰なのか、次回から紹介してゆきたい、と思っている。
デジタルTVガイド『地球のかけら』 2006年5月号
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