「地球交響曲 第六番」のテーマを"音楽(バイブレーション)"と定めたとき、最初に「この人には絶対に出演してもらいたい」と思ったのが、ピアニストのケリー・ヨストだった。
彼女については多分、日本人のほとんどの人が知らないだろう。アメリカ・アイダホ州の人口2千人にも満たない小さな田舎町で、クラシック系のピアノ曲のCDをプライベートレーベルで、こつこつと出版し続けてきた65歳になる女性のピアニストだ。
彼女との出会いはもう15年も前、ロサンゼルスのエコグッズの店の片隅に置かれていたたった一枚のCDだった。「Piano Reflection(ピアノリフレクション)」、彼女が初めて出版したCDだ。"リフレクション"というタイトルに魅かれて買った。"リフレクション"とは、鏡のような湖面やガラス窓に映る幻像、とでも訳せばよいのだろうか。
私はリフレクション映像が好きだ。直接目に焼き付く現実の映像とともに光のゆらぎによって一瞬立ち現れては消えてゆく現実の幻像が重なるとき、そこに現れる映像美はまさに映画の醍醐味のひとつだ、と言うことができる。
ピアノ音楽のCDに"リフレクション"というタイトルを付した音楽家の"音楽"に対する姿勢が一瞬にわかる気がして、視聴もせずに買い求めたのだった。帰国してから初めて聴いたケリーの"音楽"は、まさに私が想像し、求め続けていたものだった。収録されている曲の多くが、誰でも知っている名曲なのだけれども、そのひとつひとつが、今まで聴いたどんな有名ピアニストの演奏とも違う。まるで鏡のような湖面に映じた大自然の森や山が、一瞬吹き抜ける風によって、キラキラと輝く光の屑と化して飛び散り、そして再びゆっくりと元の像を結んでゆく、そんな透明な美しさがあった。
こんな演奏のできる人はどんなひとなのだろう、そう思ってライナーノーツを見た。しかし、そこにはケリーの写真はおろか、経歴もバックグラウンドも年齢も、一切の個人情報が書かれていなかった。まるで、「私個人のことはどうでもいいのです。ただこの"音楽"を分かち合いたいのです」と言っているようだった。そのことによって、私のケリーに対する信頼の想いはますます深くなった。彼女個人のことを知らなくとも、彼女の"音楽"に触れていることが、より深く彼女を知ることになると思ったのだ。
そして、現実の彼女と直接出会うまでに14年の歳月が流れた。この間、ひとり息子の景一が生まれた。当時まだテレビディレクターだった妻がロケで家を空けるとき、幼い息子を寝かしつけるのに、いつもこのCDを聴かせた。7曲目のバッハの「プレリュード」が終わる頃には、息子は必ず安らかな寝息を立てていた。第四番のジェーン・グドール編に、フィールドの「ノクターン」を選曲した時、初めてケリーと連絡を取り、経歴を知った。
そして2005年春、第六番の撮影を前に、初めてケリーと直接出会った。それは、14年ぶりの「再会」だった。
デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2006年6月号
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