映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の撮影では、大自然の予期せぬ働きに助けられることがしばしばある。
地球の女神ガイアはこの映画のことをよく知っていて、撮影の度に、一つ、二つと想像もしていなかった自然現象を眼前に展開してくれるのでは、と思えるほどだ。
第六番の「虚空の音」の章の撮影で伊豆大島に行った時もそうであった。
大島では、三原山の噴火口でKNOB(ノブ)のディジュリドウ(楽器名)の演奏を撮影した。ディジュリドウは、楽器というよりオーストラリアの先住民アボリジニの人々が、大地の精霊や大宇宙の神々と交感するために使う媒体(メディア)である。
実際の形は、長さ1m前後、直径10cm前後の細長い木の筒のようなものだ。アボリジニの人々は、中味を蟻に喰われて空洞になったユーカリの木を使ったそうだ。
その音がすごいのだ。まるで地の底から湧き上がってくるマグマの音、地震の際、最初に地中を渡ってくる超低周波のような音だ。
私が初めてこのディジュリドウの音を"生"で聴いたのは、東京で催された自主上映会のオープニングで主催者から招かれたKNOB(ノブ)が演奏した時だった。暗闇から聴こえ始めたその音は、モダンな会場の雰囲気を一気に地球創生期に遡行させてしまうような力があった。
この世で初めて耳にする音、私が連想したのは、水深400mの深海に響くザトウ鯨の歌、チベット仏教の僧達が唱える超低音のマントラだった。
第六番のテーマを"音"と定めた時、この世の全ての存在の背後にあって、全ての存在を形づくり動かしている「虚空の音」=耳には聴こえない音と、耳に聴こえる音を繋ぐシーンがどうしても必要だと考え、4人の無名(これは敬称である)の音楽家達に協力を依頼した。
その一人がKNOBだったのだ。
さて、このディジュリドウの音をどこで撮影すれば良いのか、最初に思いついたのは活火山の噴火口だ。火山活動こそ、誕生以来45億年間絶えることなく続いている地球(ガイア)の生きている証である。ディジュリドウは、その母なる大地の歌声と響き合うためにアボリジニの人々がつくった"楽器"である。だから、火山の噴火口こそディジュリドウに相応しい。
しかし、今現在爆発している火口の淵にKNOBを立たせる訳にも行かないし、そんなことが許されるはずもない。そこで選んだのが三原山の噴火口だった。私は、爆発を終え新しい生命を生む準備を始めた、壮大だが静逸な風景を想像していた。
撮影予定日の前日、午後遅く下見のため火口に登った。するとどうだ、俄に風が起こり雲が湧き、その風が火口の底に雪崩れ落ちたかと思うと、火口から噴き出る小さな噴煙と交じり合い渦巻きながら激しく吹き上げてくる壮絶な風景になった。私は急遽、KNOBに崖淵に座って存分に吹いてくれるよう頼み、暴れ踊る白い龍雲の中に現れては消えてゆくKNOBの姿を撮影したのだった。
デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2006年12月号
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