「この岩はいつも鳴っているんですよ。重低音の地鳴りのような音、超新星の爆発の後の余韻の音、といったイメージかな」。
その巨大な岩の前に初めて立った時、長屋和哉は開口一番こう言った。
その言葉を聞いて、私は、ふとあのギリシャの哲学者、ピタゴラスの格言を思い出した。
「岩とは、石と化した"音楽"である」。
私の耳には直接聴えないけれども、この長屋の言葉は間違いなく真実だとその時思った。
『地球交響曲 第六番』「虚空の音」の章のロケで、和歌山県新宮市、太平洋を見下ろす丘の上にある神倉神社の御神体、ごとびき岩の前に立った時の話である。
長屋和哉は、長年、紀伊半島の山深くに籠もって、ひたすら岩から取り出した鉱物の音を求めて修練を重ねてきた「音の求道者(アーティスト)」。ごとびき岩には、およそ2千6百年前、日本国統一をめざす神武天皇が海から紀伊半島上陸を試みた時、天空から一本の鋼の剣がこの岩に降ろされ、それを手にした神武天皇は新たな霊力を得て、無事上陸を果たした、という言い伝えがある。
この岩の前での演奏を頼んだ時、長屋は迷うことなく鋼の板の楽器「磐(オト)」を選んだ。
日本刀を作るために鍛え上げられた鋼の板を並べた楽器である。その板の先は、磨き上げられる前の刀の刃先のように鋭く三角形に切り込まれていた。
撮影は夜明け前から始めた。
晩冬の凍てつくような闇の中を勾配45度を越える石段を538段昇って重い「磐」を運び上げ、岩の前に並べて夜明けを待った。
眼下に拡がる太平洋の水平線が、ゆっくりと紅玄色に染まり始める。それとともに背後の天空が深い紫紺色を帯び始める。振り返ると、それまで漆黒の闇の中に溶け込んでいたごとびき岩が、次第に薄紅色を帯びてその異容な巨体を現し始めた。
長屋はまだ磐の前にたたずみ、じっと水平線を見すえている。
その時、突然、水平線の一点に目を射るような黄金の光が発光したかと思うと、その光が一瞬に光の矢となってまっすぐにごとびき岩を射抜いた。
長屋が磐に最初の一弾を加えたのはその時だった。
それから以後わずか数分の間に、ごとびき岩は長屋が叩き出す音に導かれるかのように、いや、まるで響鳴するかのように刻々と色を変え、薄紅色から真紅へ、やがて灰黒色となって白い光の中に納まった。
第六番の制作を開始する前、この映画は「音を観て、光を聴く旅になる」と書いた。
私たちは、光と音は全く別次元のものだと思っている。しかしそれは、私達の感覚がそのようにセットされているだけで、光と音の違いはただその振動波の周波数帯域が異なるだけにすぎない。この世の全ての存在はそれぞれに個有の振動波(音)を発している。"音"は互いに響鳴することができる。光と音は響き合っている。
ごとびき岩はまぎれもなく「石と化した音楽」だった。
デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2007年3月号
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