エッセイ 01-21

01●「心の波動」未来に
八九年に撮影を開始し、三年がかりで完成させた映画「地球交響曲」がいま不思議な広がり方を見せ始めている。
この映画は、予算の関係で一般の人々に知ってもらうための広告宣伝が一切できなかった。ところが昨年の暮れから細々と上映会を始めると、その観客の中から自分の手で上映会を開きたいという人たちが次々に現れ始めた。しかも、その人たちは大部分が映画の上映に関しては全くの素人ばかりなのだ。
例えば、今年五月末に、たまたま大阪・中之島での上映会を見た浜松の男性が、どうしても地元の友人たちにこの映画を見せたい、と思い、まず会場探しから始めた。
会場がとれたのは七月十四日、わずか一カ月半の余裕しかない。彼はただ「この映画を人に見せたい」という情熱だけで、夢中で周囲の人々に語りかけた。「切符を売る」という行動を通じて、新しい仲間やネットワークが次々に現れた。実費だけで手伝ってくれる映写技師も現れた。前売り券も二百枚以上売れた。
これでなんとか会場費とフィルム代だけは払える。会場の定員は三百人、上映回数は二回、当日券が百枚も出てくれれば、損をしないで済む。持ち出しを覚悟していただけに、彼はほんの少し安心して本番当日を迎えた。
ところが、一回目の開場をしてすぐ、彼はある異変に気付いた。入場してくる客をみていると、前売りを買ってくれた顔見知りの人よりも、当日券を買って入る見知らぬ人の数のほうが多いのだ。この日の二回の入場数は千人を超えた。
「この映画の感動を一人でも多くの人と分かち合いたい」と思った一人の素直な「心の波動」が、いわゆるプロの常識を超えて、わずか一月半の間に千人を超える人に伝わったのだ。この上映会の後、近郊の都市で自主上映会を開きたいという申し込みがまた三件あった。私にはこの現象が、一つの活性化した細胞が次々に自己分裂を繰り返しながら新しい器官をつくっていく、あの生命誕生の仕組みに似ている様な気がする。細胞の分裂を促しているのは、いわば「生まれたい」と思う細胞の「心の波動」なのだ。
「地球交響曲」は、心の持ち方一つで、人間=自然は、今の常識をはるかに超えることができるのだ、ということを示したドキュメンタリー映画である。
たった一人で酸素も持たず、世界の八千㍍級の山すべてに登ったイタリアの登山家R.メスナー。一粒の普通のトマトの種から、バイオ技術も特殊肥料も一切使わず一万五千個も実のなるトマトの巨木を育てた日本の野澤重雄。象と人間の間に、種を超えた愛とコミュニケーションが可能なのだということを身を持って示したケニアのD.シュルドリック。
宇宙遊泳中に、地球のすべての生命との深い連帯感に目覚めた米国のR.シュワイカート。自然と共に生きた遠い祖先からの魂を、歌によって現代によみがえらせたアイルランドのエンヤ。
この登場人物全員に共通しているのは、自分の命が、母なる地球(ガイア)の大きな命の一部分であるという実感と、その実感に裏付けられた常識にとらわれない、柔らかい心だ。
いま私たちが抱えている苦悩の大部分は、私たちの心が作り出したものだということもできる。人間の心という、一見はかないものの中にこそ、未来を開くカギがある。二十一世紀を前に、人間の心の可能性にもう一度かけてみる、というのも悪くない、と私は思っている。

日本経済新聞(夕刊)1993年(平成5年)9月6日

02●「リアルな共感呼ぶ古代への幻想」

ヒトはいつ頃から、自分の”物の感じ方””考え方”が自分固有のものであり、自分がこの世に生を受けて以後に培われたものだ、と思うようになったのだろうか。私にはそれが、ヒトを現代人たらしめた巨大な”錯覚”であるように思えてならない。
少なくとも私には、例えば、アラスカの大氷原の小高い丘の上に立って、ほおを打つ冷たい風の中にかすかな春の気配を感じる時の、あの言い知れぬ懐かしさが、二十世紀末の今、この日本に生を受けて生きている私の、わずか五十五年の体験から生れているとはとても思えない。さらに、その体感は歴史の教科書を通じて学んだ二千年程度の確かな日本史の知識からもはるかに遠い。
私(私たち)の中には、五千年から一万年を超える時の”記憶”が刻み込まれているように思えてならない。その”記憶”が今の私の”物の感じ方””考え方”を育んでいる。アラスカの氷原や、ナミブの砂漠を前にした時感じるあの懐かしさは、五千年、一万年前にそこに生きた、現実に今の私の命とつながっているすべてのヒトの”記憶”の甦りなのだ、と思う。私はその”記憶”をたどって映画「地球交響曲」を撮って来たと言ってもいい。第一番、第二番を撮り終え、96年からいよいよ第三番を撮り始めよう、という時、私は必然のように一冊の本に出会った。星川淳著『精霊の橋』(幻冬舎)。
この本は、アラスカから送られて来た1枚のクリスマスカードに描かれていた絵に導かれるようにアラスカに渡った一人の現代日本人女性の不思議な幻(原)体験、という形をとって書かれている。アメリカンネイティブの人たちの聖なる儀式、スウェットロッヂに参加したこの女性が、ある”夢”をみる。
”夢”というより、極めてリアルな長編の旅物語であり、本の内容の大半がこの物語に費やされる。物語の主人公は、一万四千年ほど前、最後の氷河期が終わる頃、初めてユーラシア大陸に渡った一人のモンゴロイド系の少女。
まだ女になり切っていないこの少女が、一族の先陣を切って未知の世界へ過酷な旅に出る。今より海面が百メートルも低く、ユーラシア大陸とアメリカ大陸がベーリンジアと呼ばれる氷の陸橋で結ばれていた時代の話である。
この少女が旅立たなければならなかった動機、旅で出会うベーリンジアの壮絶な風景、冒険、愛や恐怖、歓喜、安らぎ、すべてが単なる”夢”とはとても思えないほどリアルなのだ。作者はあきらかにこの少女の旅の”記憶”を持っている。そしてその”記憶”は私自身の”記憶”ともつながる。
旅の途中少女が観た壮大な天空の音楽、オーロラ。海からはシャチが歌いかけ、森からはオオカミが呼応する。その真っただ中に立つ少女は、自らが星であり、天空の音楽そのものであり、時を超え、場所を超え、種を超えてすべてのいのちとつながって、今この一瞬に共に舞い踊っていることを知る。
百代前、見知らぬ森の国から大型のカヌーを駆って今の定住地に渡って来た祖先の魂も、百代後に大陸の草原を駈けめぐる子孫の魂も、さらにそれから何百代後に大都会の片隅にヒッソリと生きるひとつの魂も、すべてが大宇宙が織りなすいのちの織物の一部分として共に永遠に生きつづけているのだ。
この次元では、少女は百代前の予言者とも、現代の女性とも、何の障壁もなく響き合い、励まし合っている。「私はオーロラから舞い下りた地上の星」。 作者星川はこの少女に託し、「私」のいのちにつながるすべてのものへの感謝を歌う。
95年12月、私は「地球交響曲」第三番の調査を兼ね青森県・三内円山縄文遺跡の前に立った。五千年以上も前にこの地で営まれていた人々の極めて高度な生活文化は、『精霊の橋』に描かれた少女の魂の営みに直結していたであろうし、二十世紀末の今の日本に生きる私たちの”記憶”にもはっきり刻まれている。第三番ではその”記憶”を呼びもどしたい。

1996年1月21日(日)朝日新聞

03●心の「器」

いま思うと私が5年生まで通った小学校は、本当に不思議な小学校でした。兵庫県・雲雀ヶ丘の山奥にあった私立の小学校です。
5歳で終戦を迎えた私は、戦後の混乱期にまぎれて学齢より一年早くその小学校に入学しました。そんなことが許されたのもまた不思議なのですが、戦後のアメリカ的民主主義教育とはまったくかけ離れた教育方針をもっていたその小学校は、時代の流れに勝てず、5年生のときついに廃校になったのです。この小学校での体験は、当時の私には大変辛いものでした。
しかし、いまふり返ってみると、このときの体験が「器」としての私をつくってく れたのだとつくづく思います。
例えば、こんな体験です。
夏休み、生徒は2週間の寄宿生活をします。小学校の低学年で、2週間も親元を離れるのは、なかなか辛いことです。年下の弟や従兄弟たちが親を慕って毎晩泣きます。自分も泣きたいのを我慢して弟たちを激励したものです。
宿舎は学校の校舎、床板の上に直接寝ます。固い床に寝ることが育ち盛りの子どもの骨の矯正によいということは、いまになって知ったことです。起床は必ず日の出の1時間前。山からの湧水で洗面した後、裸足で岩だらけの山道を山頂の遥拝台まで登ります。
そう、寄宿中の2週間は遠足の日をのぞいて一切履物ははきません。裸足で岩や土や草の上を歩くことが、足裏に変化に富んだ刺激を与え、その刺激が全身の感覚を鋭敏にし、内蔵の働きを活性化し、頭脳の発達にも大きな影響がある、などということも当時の私には知る由もないことでした。山頂の遥拝台に着くと間もなく、地平線から太陽が昇り始めます。子どもたちは整列して太陽に遥拝するのです。
この、毎朝太陽を拝んだ体験がいまの私にどんな影響を与えているのか説明することはできません。ただ、このころ見た黄金に輝きながら雲間から登ってくる太陽の姿は、いまでも目を閉じると、いま現在それを見ているようにクッキリと思い出すことができるのです。
遥拝を終え、宿舎にもどって清掃をすませたころ、遠くからほら貝の音が聞こえます。食事の合図です。食堂は山の中腹にあります。子どもたちは板の間に正座して、まず3分間の黙想です。戦後の食料のない時期で、ただでさえ飢えていた私には、この3分間は本当に長い時間でした。高尚なことを思うどころか、ただただ早く食べたい一心で口の中が唾だらけになり、食べ物を受け入れる態勢が整いすぎるぐらい整ってしまうのです。
食事は一汁一菜、主食は玄米です。先生がまず「玄米は一口入れたら百回噛むまで飲み込むな」と命じ、数を数えるのです。これが辛かった。顎はだるくなるし、おなかは満たされないし。しかし百回噛むうちに最初固くてくせのある味だった玄米が、次第に甘く不思議な味に変化してゆく。たぶん玄米の中にあるすべての栄養、すべての生命の源が何一つ無駄になることなく、私の体に吸収される状態になったのだと思うのです。さらに成長期に顎をしっかり鍛えることが大脳の発達に大きな影響を及ぼすことも、いまではよくわかっていることです。 からだは心の「器」です。
入ってくるものの大きさや形に合わせて自在に変化できる柔らかい「器」。その内側には、どんな些細なことも敏感に感じとることのできるセンサーが無数に開発されている。そんな「器」作りこそ児童教育だと思うのですが。

セサミ 97年初春号 No.115

04●ドキュメンタリー

ドキュメンタリーとは、無限に変化し、無限に多様である現実の生命や自然に出会い、その自ら然る姿の中から時を越え、見える世界を越えた普遍なるもの、永遠なるものを描き出そうとする営みである。
だからこそ、現実の生命も、ひとときとして固定した姿形を保つことはない。
だからこそ現実の生命や自然は素晴らしいのだと思う。
しかし、その無限に変化し、多様であるものの中から永遠の真実を描き出すためには、作る側の私たちの姿勢が厳しく問われる。いかに既存の価値観や固定観念にとらわれずに、やわらかく豊かな感受性をもって現実の中の真実を発見できるかが、良いドキュメンタリーを作れるか否かの鍵になる。
もちろん、そのために可能な限り勉強もする。知識や情報も収集する。しかし、その前もって得た知識や情報によって、相手を判断、分析するのではなく、その知識や情報をいったん可能な限り捨てる。捨てて、可能な限り空っぽの器になる。前もって勉強した知識や情報はその器を大きくし、やわらかくし、敏感にするのに役立つ。しかしそれはあくまで捨ててこそ役に立つ。
撮影時(出会いのとき)に、いかに自分がやわらかく、敏感で空っぽの器であり得るかが、無限に多様で変化する現実の中から真実を発見する鍵である。ドキュメンタリーの制作は、多くのスタッフや関係者との共同作業である。共に作る仲間の相互の信頼や、共通の理解が不可欠である。そのためにシナリオを使うのではなく、対話が重要である。なぜ、今この作品をつくるのか、何のためにつくるのか、一人一人の出演者の中に何を見ようとするのか、そういった根源的なことに関する共通の理解と確認のための対話である。
その確認の上で、撮影現場では、自由にダイナミックに撮って行く。撮影時には、出演者、スタッフ、自然に至るまで、できるだけその自発性を開放し、直感的にこれは面白いと思ったことは可能な限り撮って行く。面白いと直感的に感じたときには必ず、テーマにつながる何かがある。撮影の段階でその意味がみえていなくとも、編集を通し、誰にでもわかる普遍的なものになってくる。だから、私は編集が最も大切な作業であると考えている。

05●祈り

”祈る”という心の営みが、どの様な仕組みで私達の心に生れるのか私は知りません。

”祈る”という心の営みが、どの様な仕組みで世界を浄化するのかも私は知りません。

それでも私は祈っています。フト気付くと生活の全ての一瞬一瞬に祈っている様な気がするのです。まるで生きているということそれ自体が”祈り”である様にさえ思います。

”生命即神”という言葉があります。

この、太陽系第三惑星地球(ガイア)のはかなくも美しいブルーの被膜の内側に息づく無限に多様なる生命。この多様なる全ての生命をつなぐものこそ”祈り”なのではないでしょうか。例えその仕組みが如何なるかを知らなくとも、人は祈ることができると思います。

生命そのものへの感謝こそ、”祈り”だからです。

06●無題(21世紀の市民運動について)

みんな、大きな変化が必要な時だという事を知っている。
しかし、自分は小さな人間で、自分ひとりの力では何もできないと思っている。 それが間違いだ。
小さな力も寄り集まれば大きな力になる。
というのも、間違いではないが消極的すぎる。
実は、大きな変化は、小さな変化に依ってしか起こらないのだ。
ひとりひとりの、自分の場での、ほんのチョットした選択の違いこそが、大きな変化をつくるのだ。
つながりは自然に生れる。制度は後からついてくる。
それが21世紀の市民運動だろう。

1998.1.23 龍村 仁

07●“ひとつながり”のいのちとして ~「地球交響曲」を撮影して~

映像・地球交響曲のお話の一つは、アフリカのケニヤで、密猟者に象牙のために親を殺された子象を育てて野性に帰す活動をしているダフニという女性と、その女性に育てられ現在は野生で生活している三十七才のメスの象エレナのお話です。
象は0才から3才くらいまではミルクが必要ですから、親を殺された子象は人間の手で育てなくてはなりません。けれどもそれ以上は人間と一緒ですと、野生で獲得する知恵をなくしてしまうので、どうしても野性に帰さなくてはいけないのです。象は人間と同じ十五、六才になるまで一人立ちできませんので、大人の象の保護がいります。それでダフニは、子象が三才くらいに育つとエレナに子象を預け、エレナが十六、七才まで面倒を見るのです。
言葉はないのだけれども共通の理解がある、そういう素晴らしい関係が人間と象との間に成立しているのです。

伝わる“心”

このエレナを撮影に行きました時に、非常に感動したことがあります。
映画の中で、ダフニさんが「エレナ、エレナ」と呼んでいる場面がありますが、それは撮影のためにお願いしたことで、不思議な事ですがエレナは声を出さなくても来るのです。
ナイロビ(ダフニさんが子象を育てているところ)とツァーボ野生国立公園(エレナが住んでいるところ)の間は四百キロ離れていますけれども、ダフニさんが子象を連れて行くときには、エレナは必ず前もってわかっています。人間には超能力に見えるいわゆるテレパシーのような能力は、動物にとってはごく当たり前ですから、それを使ったコミュニケーションの方法があるのだと思うのです。
私たちは、そんなエレナとダフニさんの出会いを、少し距離をおいて後ろで撮影しておりました。そうしましたら、ダフニさんを抱いていたエレナが、突然こちらに向かってやってきたわけです。
野生の国立公園の中で突然、3㍍を越えるが象むかって来るのですから、カメラマンも皆、一瞬怖いと思って下がったわけです。けれども私は、こわいという感じも、象だという感じも全然しなくて、ずっと会いたかったあなたにあえて本当に良かったという気持ちでおりました(エレナという象がいることは日本で知っていましたし、エレナについての記録も読んでおりました)。そうしましたら、エレナが私のところにきて、あの鼻で私を抱いてくれ、なでてくれたのです。
これをどう理解してよいかわかりませんが、ある種の“心”、私たちが本当に相手のことを思い、少しも疑わずに、ある“心”で彼らに対応した時、それが確実に伝わるということです。こちらに少しでもこわいという気持ちがあったり、あるいはこれは象だからという感じがありますと、相手もわかりますから、それなりの距離をおきます。こちらが恐怖すれば、その恐怖から生ずる関係になります。
エレナの場合は人間のことを非常に良く知っている象ですから、そんな風に私を抱いてくれたのだと思うのです。

“いのち”を見失った時代

「動物保護」といいますと、「かわいそうだから守らなくてはいけない」という論理が一方で出てきますと、必ずもう一方で、例えば象を例にとりますと、「人間は長い歴史の中で象牙を使った文化を作ってきたのだから、象牙を全く使わなくなるのは不合理だ、それを職業にしている人たちの生活が失われる」という二律背反の議論が起こり、対立が生じ、この二つの見方しかしなくなります。
けれども、象牙の文化を生み出したベースになっている時代と、現代の私たちが象牙のために象を殺すこととの間には、非常に大きな違いがあるのです。最近の密猟者はマシンガンで象を殺します。密猟は不法ですから、見つかれば捕まります。ですからできるだけ短い時間に殺して、できるだけ早く取っていこうと、数十頭もの象を一度に殺せるようなテクノロジーを手に入れているわけです。このマシンガンで一気に殺してしまうことと、ブッシュマンの人たちが一年に何頭かの像を撃ち肉から何から全部使うために費やすものすごいエネルギーそしてそこで得られるものとには、大きな差があるのです。
粗末な槍や一本矢で殺していたときには、“この象からいのちをいただき、その命の移し変えによって私たちは生きています”という非常に深いつながりの中で、象を一頭射止めるという営みがあったわけです。ところがマシンガンを持った密猟者は、象を、単純に象牙を生産する材料としてしか見ていないのです。
象という一つの存在は、全体の自然の生態系に大きな役割を果たしていますし、いろいろな要素を含めて、(“いのち”という非常に大きな要素も含めて)“象”なのですが、マシンガンを持ち、これが象牙の材料だと見ると、“象”という存在の中の象牙という部分でしか象を考えなくなってしまうのです。テクノロジーの進歩の中で、いのちに対する想像力を見失っているのです。
これは樹木についても言えます。たとえばアメリカインディアンの人たちにとっては、木は本当に自分達に教えてくれるものであり、ヒーリング(治療)の材料であり、その他いろいろな要素を含めて“木”と対応しています。ところが、木は紙の材料だということだけで木とかかわった場合には、木を切るという行為一つとっても、紙の材料としての価値があるかないかのレベルでしか木と対応しなくなります。

共に生きる存在として

“いのち”の持つ、非常に大きな複雑さの中から、単純に紙の材料や象牙の材料という意識でしかかかわらなくなることによって、人間は平気でいろいろなことができるようになったかわりに、そのことによって大きな“いのち”としての循環の輪をどこかで平気で切り、そうして自分自身にダメージを与えているのです。
象についても、象牙の材料として増えた、減ったというレベルだけで考えるのではなく、人間が象から教わるものは本当にたくさんあるのです。象が持っている知恵や自然に対する象の生き方を知れば知るほど、“象”とは何かを知れば知るほど、象牙のために殺してしまうのはあまりにももったいない、という心が生じてきます。
昔の人はもちろん、ブッシュマンの人たちは、象からいろいろなことを学ぶ方法を知っていました。現代の私たちのライフ・スタイルでは、直接、象から学ぶチャンスは少ないです。けれども英知によって、象という存在が持っている自然との付き合い方や生き方のノウハウを知ることはできるのです。
そうして象を理解したときに、単純に「象がかわいそうだから」ということは全く次元の違う意味での「自然保護」や「地球環境を守る」論理が出て来ると思います。
しかもそれは、テクノロジーの進歩と矛盾することではないのです。なぜなら、科学技術を進歩させてきたのも人間の一つの特徴なのですから。

自然の循環を作る象の英知

京都でワシントン条約会議が開かれ、象牙の保護の問題について解禁するかどうかの議論がされた時でも、増えたか減ったか、数として十分かどうか、という議論しかされませんでした。これでは、全く利害が違うところで両方に確実に言い分が出来てしまうのです。
たとえば、象が増えすぎて自然破壊しているから殺さなくてはならないという論理が平気で出されますが、これもある小さい範囲だけに限って考えると、正当性を持っているのです。ある地域だけに象を閉じ込めて数だけ増やしていけば、象は生きるために当然たくさんのものを食べます。そうしてそこだけ見ると、森林破壊しているように見えます。けれども、実際はそうではないのです。
もし象が、自分の知恵と代々培ってきた英知の全てを含めて、自然のままに動いていれば、象たちは何百マイルという大きなテリトリーを動きながら、自然の循環のすべてを自分で作るのです。たとえば、あるところで森を食べるとします。自由に食べている時の象はとてもデリケートに食べます。樹木をメキメキと倒して、象が通った跡には草木一本残らないという人がいますが、それは閉じ込めているからなのです。非常に厚くて日差しがあたらない森がありますと、ある部分は日差しが地面にあたるような食べ方をします。そうして土壌が変化すると植生が変わります。
したがって同じ森は続きませんが、新たにサバンナや草原に戻り、草原からまた森に再生していくのです。
森がそうして草原に戻っている間に、象は食べた葉の種をお腹の中に入れて、種の「ぬる」をとり、温め、何百マイルか先へ行ってうんことして出すわけです。そうすると発芽の条件がよくて生命力のあるものが生えてくるのです。森が再生するまでに三十年あるいは百年かかるかも知れませんが、そのスケールで象は自然の循環を全部作っているのです。
ところが、食べられた森だけを見ますと、森がだめになったと見えるわけです。

テクノロジーの進歩と自然の調和

人間は、宇宙に行くほどの時代になっているのに、宇宙的な時間で自分の生命を考えることを忘れ、目の前のことしか考えられなくなってきているのです。人間の生命は、六、七十年のサイクルですから、「私」という時間軸だけで考えればそれが“いのち”のサイクルのように思えますが、私たちの生命は延々と何十億年前からつながっている大きな一つの循環の中の一つなのです。
そういう宇宙的なスケールで自分の生命をもう1度考え直した時、目の前の森がつぶされたということを、象が森をつぶしたというレベルで理解するのか、あるいはもっと大きい循環の中で理解しようとするのかの違いがでてくると思います。
私がアフリカの象エレナに会いに行き、エレナからいろいろ教わって来るということも、昔の日本に生きていたら、おそらくできません。航空機があったり科学技術の進歩があるからこそ、できるわけです。けれども、この科学技術の進歩の先でもう1度、古代からの英知や、木や象や自然から教わることが本当にたくさんあるのです。それに気づくことが、地球全体の未来、そして生命自体の未来に非常に深く関わっていると思います。
ただ、私は地球の未来については全く心配しておりません。私たちがどう思うか、悪い方向に思うか良い方向に思うかで言えば、私たちが良い方向に思うことによって、本当に良くしていけるのです。心で思うということは絵空事のように見えますが、とても大きいことなのです。体でも自分の気持ちの持ち方によって変わります。同じように人間の未来も、人間の心の持ち方によって変わるだろうと思いますから、今の悲劇的な状況をきっちりと認識することも必要ですが、大きな意味で言えば、オプティミスティック(楽観的)に考えることによって、私たちの次の世代やその次の世代、未来の生命に対する責任を果たせるのではないかと思います。

合掌

08●トマトの”心”

野澤重雄さんは、たった1粒のごく普通の種から、バイオテクノロジーも特殊な肥料も一切使わず、1万5千個も実のなるトマトの巨木をつくってしまった人である。私は映画「地球交響曲」の撮影開始に当たって野澤さんに新しい種植えをお願いしてその成長過程を撮影した。トマトは約9ヵ月で、幹の直径10センチ、枝はの広がりが直径8メートルに成長し、たわわに実をつけたのだった。
人間がトマトを育てるのではなく、トマトが”心”のままに育つのをお手伝いする、というのが野澤さんの哲学だ。
我々が見慣れている普通のトマトが1本の茎から80個ぐらいしか実をつけないのは、トマトが今、自分に与えられている条件、すなわち、現在の地球の自然環境を自分で感知し、それが一番自然だと感じているからだ。しかし”心”を持っているトマトは、実は自分に与えられている環境が変われば、その変化に応じていくらでも姿を変えることができる。このことに気付いた野澤さんは、今の地球の環境の中で、トマトの成長を制約している一番大きな条件が何であるか、を考えた。その条件を一度人工的に取り除いてやれば、そしてトマトが成長の最初の段階で「自分はいくら大きくなっても大丈夫」と思いさえすれば、きっと大きくなる。
一番大きな制約条件は”土”だった。”土”は大部分の植物の母であり、命の源である。しかしそれは同時に命を制約しているものだ。トマトに限らず、すべての植物は土の持つ条件を自分の”心”で感知して今の姿をとっている。
もし、土から離してやればどうなるのだろう。
これが発想の第一歩だった。野澤さんのトマトは豊かな水と栄養が循環する水槽の中で育つ。細かい技術的なことを書くスペースはないが、今までの科学者と決定的に違うのは、トマトが”心”を持っていることを知っていたからだろう。野澤さんが語るトマトの”心”とは、私たち人間が言う心とは違う。
自分の存在を外部に向かって主張しようとする心ではなく、自分に与えられた環境をできるだけ素直に受け入れ、その中で精一杯生きようとする”心”だ。
野澤さんは「どのくらいの大きさに成長するかはトマトが決めるんです」と言う。 想像を絶する巨木をつくることに成功したのは、トマトの心と野澤さんの心が通い合ったからだった。
私が最後に満開のトマトを撮影したのは、89年の4月だった。ロケ先のヨーロッパに「トマトがもう成長の限界を超えているので早くしないと満開状態は撮れないかもしれない」という連絡が入ったのだが、ロケを中断する訳にもいかず・・・。結局、野澤さんから指定された日を1週間も過ぎてからようやく帰国し、高槻市にある研究温室にかけつけた。熱帯のジャングルのようにおい繁った緑の葉の下で、真っ赤に熟した5千個余りの実が咲き誇る姿は圧倒的だった。
私はトマトが待っていてくれたことに心から御礼を言った。
そのトマトがいっせいに実を落とした、と知らされたのは、撮影して東京に戻った翌日のことだった。
前夜、この9ヵ月間、トマトの世話をしてきたSさんが、温室の方角から聞こえてくる奇妙な物音に気付き、おっかなびっくりで温室に行ってみると、ナント、約5千個のトマトの実がいっせいに落ち始めていたのだ。青白い月光の下、数秒の間隔も置かず落ち続けるトマトの姿に、Sさんは声も出なかったという。
トマトは、自分が今回は撮影のために生きた、ということを知っていたのだろうか。

「TVぴあ」92年2月20日号

09●エレナの「眼」が語るもの


子ゾウとキス ガイアシンフォニー制作中。ダフニー氏のところで。

エレナとの最初の出会いは、「眼」だった。テレビ画面にほんの一瞬クローズアップされた彼女の「眼」を見た時、私は今までに出会ったどんなヒトの眼とも異なるそこ知れぬやさしさのようなものをその「眼」に感じた。どうしてもエレナに会いたいと思った。
彼女は体長3メートルを越える巨大なアフリカ象だった。ムツゴロウさんのテレビ番組でほんの数分間紹介されたのだ。
エレナは、密猟者に親を殺された小象を育て、野生に還す活動をしているダフニー・シェルドリックが、30数年前に初めて育てるのに成功した雌の象だ。今はダフニーのもとを離れ、野生の中に戻っているが、いまだにダフニーとの関係を絶たず、3歳以上に育った小象を預かり、母親替わりをしながら野生に還す手伝いをしている。
人間とアフリカ象の間にもそんな関係が成立していること自体大変な驚きだけれども、私にとってもっと強烈だったのは彼女の「眼」だった。その「眼」は人間に何かを教えようとしている。それが何であるかを知りたくて、彼女に会うためにアフリカのケニアに渡った。
2歳の時からエレナを育てたダフニーが様々な話をしてくれた。
エレナが順調に成長し、野生に還る準備も整ったちょうど頃、1歳足らずの赤ちゃん象がダフニーのもとに送られて来た。目の前で母を殺されたその赤ちゃんは心に深い傷を負って生きる気力を失っていた。象の赤ちゃんは大変デリケートで育てるのが本当に難しく、ダフニーも何度も失敗していた。ミルクを調合することより、生きる気力を回復させてやることの方が難しかった。
自分の手でミルクをつくることのできないエレナは、ダフニーがミルクを飲ませている間、自分の腹の下に赤ちゃんを置き、鼻で赤ちゃんを撫でてやる。すると、赤ちゃんは自分の鼻で「母の」肌に触れることで安心してミルクを飲むのである。エレナはその赤ちゃんが生きる気力を回復する手伝いをしたのだ。こうして、ダフニーとエレナの共同の子育てがうまくいくようになった。
それ以来、エレナはたくさんの孤児たちの母となった。象の赤ちゃんだけでなく、サイやシカなど、ダフニーのもとに送られてくる全ての孤児たちの母となった。森の中で親を殺されて死にかけている小象を見つけて孤児院まで連れて帰って来ることも何度もあった。
ダフニーの孤児院と野生の象たちが住むサバンナとの間にはなんの境界線もなかったから、昼間、エレナは自由にサバンナに出て野生の仲間たちと交流できた。エレナが育てた孤児たちは思春期になると、自然に野生の中に還っていった。しかし、エレナだけはダフニーとの関係を保ち続けた。あまりにも次々と孤児たちが送られ続けたからだった。
不思議な話を聞いた。エレナが18歳の頃、生まれて初めて仲間の死体を見た時、その死体から象牙だけをとりはずして砕こうとしたという。それまで一度も経験がなかったはずなのに、エレナは象牙がもたらす悲劇の意味を知っていたのだ。「エレナは全てを知っている。それでも人間を愛してくれているんです」とダフニーは言った。
そして、エレナは今36歳になった。動物孤児院もツアボから首都ナイロビに移転したが、その絆は今も保たれ、授乳期を終えた小象たちが毎年エレナのもとに送られている。私もダフニーに連れられて、ナイロビ郊外から400キロ離れたツアボに向かった。
「エレナ!エレナ」広大なサバンナの真ん中でダフニーが呼んだ。その声は風に乗ってはるかかなたのブッシュの中に消えていった。エレナはダフニーが来ることを必ず前もって知っているという。10分程経っただろうか。ブッシュの陰から巨大な象が姿を現わした。ダフニーは久し振りに娘に会う母のように歩を速めた。私も数メートル離れて後を追った。エレナはその長い鼻でダフニーを抱き、初老の母をいたわるように背中を撫でた。感動的な母と娘の再会のシーンだった。
ダフニーを抱きながらエレナがこっちを見ている。あの「眼」だった。私は「あなたに会えて本当に嬉しい」と心で伝えた。すると、エレナはダフニーを抱いていた鼻をほどいてゆっくり私の方に近づいて来た。私は彼女が象であることをすっかり忘れていた。恐怖心などは全くなかった。エレナの鼻は暖かく、固い毛が少し痛かったけれど、涙が出る程やさしかった。
このエレナとダフニーの再会の物語が、昨年完成させた映画「地球交響曲」の重要な一章となった。

「TVぴあ」92年1月7日号

10●見られる風景

91年はどういう風の吹き回しか海外での取材や撮影がとても多かった。イギリスに2回、ポーランドに1回、南アメリカの熱帯雨林に1カ月、南アフリカのナミブ砂漠に1カ月、インドネシアのジャワ島、バリ島に2回、そしてアメリカには計4回。すべて撮影とそのためのロケハンや打ち合わせだった。私のパスポートは増刷分の空白も少なくなって、出国の際、いつも係官がスタンプを押す空白を探しながらいぶかしげな表情で私を見る。
こんな風に書き始めると、いかにも旅慣れた人間に聞こえるかもしれない。ところが、わたしは32歳を過ぎるまで一度も外国に行ったことがなかった。それどころか、飛行機に乗ったことすらなかった。
それまで飛行機にも乗ったことがなかったのには理由がある。別に閉所・高所恐怖症だった訳ではない。当時、NHKに就職してすでに10年、ドキュメンタリーのディレクターになってからも6年経っていた。私の周囲のディレクターたちは、やれ北海道だ、九州だと四六時中地方ロケに出ていた。東京に犯された“被害者”としての地方を描くことが当時のNHKドキュメンタリーの流行だったのだが、私は違った。それより、自分の日常生活でもあるラッシュアワーの山手線や、昼食時の渋谷のラーメン屋や、夜明け前の歌舞伎町に現代のテーマは無限に転がっているのではないか。そんな想いから、私は東京の中でのテーマばかり企画するようになり、フト気がつくと「旅」をしないディレクターになっていたのだった。
そして、その頃の私が「旅」をしなかったのは、実はもうひとつの旅に夢中だったからだ。
旅にはふたつある。内なる旅と外なる旅。内なる旅は身体を敢えて遠くに運ばなくてもできる旅だ。ふだん、無意識に見過ごしてしまっている風景や人々の営みが、ある日突然、全く遠い別世界の出来事のように見えてくる旅。この旅の乗り物は飛行機ではなく、想像力だ。
「山手線に乗れば海につく」ことが本当だ、とわかるような旅。それは、大変危険な旅でもある。今ある場所を捨て、今ある自分を捨てて、全く新しい世界に旅立とうとする強い誘惑をはらんでいるからだ。
ともあれ、私が初めて飛行機に乗ったのは初めての海外旅行で、それは「仕事」ではなかった。「仕事」がなくなったので旅に出た。
およそ40日間、北アフリカのモロッコ、チュニジアを1日千円程度の予算でフーテン旅行をした。全くのひとり旅だった。一番安い航空便でパリに行き、汽車を乗り継いでスペインの南端から船でアフリカ大陸に入った。飛行機の安全ベルトの締め方や座席の倒し方も知らず、30歳過ぎた男がそんなことをいちいち尋ねる訳にもいかず、恥ずかしい思いをいっぱいした。緊張の連続だったが、“旅”とはナニか、を考える上で本当に貴重な旅だった。
モロッコの旅は「見る」旅ではなく、「見られる」旅だった。現地の人々と同じバスに乗り、同じものを食べ、同じ宿に泊まる私はいつも好奇の目に晒されていた。私は彼らの日常生活に入り込んで来た“異物”だった。私にしても、食べること、寝ること、行くことなど、当たり前のことをするのに精一杯で、とても“見物”する余裕がない。
その緊張から解き放たれるためには、結局自分がどんどん裸になってゆくしかなかった。現地の人たちと並んで、砂漠で、平気で脱糞できるようになって、初めて緊張から解放され、“見る”ことができるようになった。
テレビの旅は“見られる”ことなしに“見る”ことのできる安全な旅だ。この安全性の中に落とし穴がある。高級ホテルを泊まり歩くツアーもまた同じことだ。それなりに“快適”だが、本当の意味の旅の醍醐味が失われる。旅の醍醐味は“見られること”を通して“見る”ことから生まれる。
自分の日常とは異質の文化・自然・人々の生活から“見られる”ことによって、ふだんの生活の中で気付いていない自分に気付く。忘れている自分を思い出す。すなわち、内なる旅をする。外なる旅は内なる旅と共にあって初めて面白い。
“見る”ことだけになりがちなテレビの旅の中にどうやって“見られる”危険を持ち込むかが私の役割であり、また人はだれでも“見られる”ことが好きなのだと思う。

「TVぴあ」

11●ニコラおばさんの歌声

それは、濃い霧の夜だった。
そして、天空には燦々たる満月。
ブリテイッシュ・コロンビアの沿岸水路では、夏に、海面から数十メートルの高さまでが濃い霧におおわれ、その上は満天の星空、という光景がしばしば見られる。その日もそんな夏の夜だった。
「ジン、起きなさい!やって来たぞ。」小屋の外で、スポング博士の呼ぶ声がした。私たちは飛び起きて彼の研究室に走った。風に乗って流れる霧の冷気が私達の眠気を一気に覚ましてくれる。午前3時。
スポング博士は、ブリテイッシュ・コロンビアの小さな無人島・ハンソン島に野生のオルカ(シャチ)の研究所を作って住みついた私と同い年の友人。’88年「宇宙船とカヌー」の取材で知り合って以来、毎夏家族で訪れ、御世話になっていた。
研究室に飛び込むと、壁にかけられたスピーカーから、懐かしいオルカの歌声がかすかに聞こえ始めている。博士は、複雑にいりくんだこの海の水路のあちこちに水中マイクを仕込み、もう20年以上もオルカの歌=コトバの研究を続けているのだ。
「ニコラの一家だ。まだ、数キロ彼方にいるが、確実にこっちに向かっている。この前を通る時には外に出てあいさつしよう。」博士が静かな声で言った。
オルカは、それぞれの家族で独特の声のパターンを持っている。人間で言えば、家族の名前みたいなものだろうか。そのパターンが複雑な歌声の中に必ず折り込まれているので、オシログラフに録画してみると、誰が、どの一族の出であるかが一目でわかるのだ。しかし、長年オルカと付き合ってきた博士には、声を聞くだけで誰が来るか、がわかるのだ。
「ニコラはもう80歳を越えたオバアチャンなんだ。うんと長生きしてくれるといいね。」
まるで、自分の年老いた母のことでも語るように博士がつぶやいた。
オルカたちの歌声がますます大きくなってきた。いつもよりずっと賑やかで楽しそうだ。彼らも満月の夜には私たちと同じようについ浮かれてしまうのだろうか。その声を聞いているとこっちまで楽しくなってくる。しかし、私たち人間の声に聞こえている彼らの歌声は、彼らの歌のほんの一部分に過ぎない。彼らは人間の何万倍もの聴覚を持っている。人間の耳には全く聞こえない低周波や高周波を使って互いに交信しているのだ。彼らは“音”によってものを“視る”ことすらできる。
小さな研究室がオルカの歌声で満ちあふれた時、私たちは研究室を出て海辺の岩に立った。突然の静寂。海面下で歌う彼らの歌声は空中にはほとんど伝わってこない。風が霧を流し、現れた鏡のような黒い海面には一条の金色の月光がゆれている。ニコラの一家がやって来る方向に目を凝らした。岩に打ち寄せる波音以外、物音ひとつしない。
「ニコラ!」博士が叫んだ。
その声はあたりの島々に反響し、幾重にも重なりながら霧と海の中に溶けていった。ようやく静寂が戻りかけたちょうどその時、突然、ものすごい爆発音が霧の彼方から一気に響き渡った。
ニコラ一家がいっせいに海面に出て息を吐いたのだ。それは“音”というより、海も霧も森も月光も含めたあたり全ての自然が一気に震えたような、そんな“音”だった。人自然に君臨する巨大な“神の声”にも聞こえたその音は、同時にとても優しく、懐かしかった。それは我々と同じ哺乳類の“生命の息吹”だった。
その“息吹”が全身を通り抜けていった時、私の体は、一瞬、透明になった。透明になった私の体は、顔も胸も足も、全身が“音”の受信体となった。そして、今は静けさの戻った鏡のような海の底から聞こえてくるニコラたちの歌声に共鳴し、ただ震え続けていた。
1988年、夏の夜のことだった。

12●“宇宙人”ダイソン博士

フリーマン・ダイソン博士は、その並外れた頭脳も“宇宙人”だけれども、その顔もまた“宇宙人”と呼ぶのにふさわしい。トンガッタ耳、見開かれた眼・・・。それは、スピルバーグの映画に登場する宇宙人とソックリだ。
私は’86年製作の「宇宙船とカヌー」で初めて出会い、’92年製作の「宇宙からの贈り物・
ボイジャー航海者たち」で再会した。
そのダイソン博士が、全く新しいタイプの宇宙船のアイデアを話してくれた。それは機械というより“生き物”に近い。彼はその名を「アストロチキン」または「スペースバタフライ」と呼んでいる。見かけは“蝶”に似ている。
博士の発送は、現在の“常識”からはるかにはずれているので、初めて聞くと、まるでSF映画の空想の産物のように聞こえる。しかし、実は厳密な計算に裏付けられており、テクノロジーの進歩によって実現が可能なものなのだ。
さて、この「スペースバタフライ」だが、まず、重さはわずか1キロから2キロ。ボイジャーなど現在の宇宙船が2トン以上あるのに比べてケタ違いに軽い。
卵のようなカプセルに入って地球から打ち上げられ、蝶がふ化するようにカラを破って外にでて巨大な羽を拡げる。その羽は、アルミ箔のような薄い膜で出来ており、太陽風を受け、それを推進力にして宇宙のあちこちを飛びまわる。
太陽風の力は小さいが、抵抗がない真空の宇宙では、風を受けつづけることでスピードはどんどん増し、ボイジャーが9年かかって到達した天王星にわずか2年で到着する。
さらに、「スペースバタフライ」はニワトリの脳ほどの小さな人工頭脳を持っていて、我々は地球からこの脳と無線交信する。この脳を働かせるのに使うエネルギーは、宇宙船の植物部分(背中辺りに生えている緑の葉)の光合成によって作り出す。
この宇宙船には動物部分もある。筋肉でできた脚を持っていて、惑星や彗星に着陸する時やその上を歩き回って調査する時に使う。惑星と惑星の間を旅する途中、あちこちにある彗星に立ち寄って、植物部分や動物部分が生きてゆくのに必要な水分やミネラルを、ニワトリがエサをついばむように“食べて”補給してゆくのである。
また、引力のある星に降りた場合、そこから離脱するにはどうしても科学燃料ロケットが必要になるが、このロケットも地球から持ってゆくのではなく“生き物”宇宙船が自分の生体の中でつくる。お手本は熱帯地方にいる昆虫、俗称“爆弾虫”(ゴミムシダマシ)である。体内に熱い液体を蓄え、外敵が来た時、それに向かってオシリから強烈な勢いで液体を噴射するその仕組みは、そのままロケットとして使用できる、というわけだ。
つまり、ダイソン博士が考えたのは、植物と動物と昆虫が合体し、そのすべてが人工知能につながった21世紀の“生き物”宇宙船なのだ。
話を聞きながら私はフト思った。これは我々の星“地球(ガイア)”のことではないか。植物・動物・昆虫が合体し、コンピューターとつながって宇宙を飛ぶ「スペースバタフライ」「アストロチキン」は、「宇宙船地球号」のミニチュアだったのだ。

13●「命の移しかえ」

「塔組みは樹のくせ組み、人の心組み」
“生命”への敬虔な心をもって樹と取り組む創造者が教えてくれたこと。

 樹と話ができる人がいる。
薬師寺の宮大工・西岡常一さんもそのひとりだ。千三百年前の飛鳥時代の工法を守って、薬師寺の五重の塔・西塔の再建に成功した人である。
西岡さんは口ぐせのように言う。「塔を建てるという営みは“建築”ではなく“命の移しかえ”なんです。」
薬師寺には、再建された西塔と向き合って、千三百年も前に建てられた東塔が今も美しい姿で立っている。
実は、地上33.0メートルにもなるこの美しい東塔は、釘も接着剤も一切使わずに組み立てられている。
しかも、外部からみると左右均衡の美しい姿を保つこの塔を、内部で支えてる1本1本の部材がみな、それぞれ形や大きさが違っている。
現代建築の“常識”からみると、これは奇跡に近いことなのだ。
もし我々が現代の“常識”で東塔のような左右均衡のシンメトリーな建物を造るとすれば、必ず、左右の同じ部分を支える部材は、同じ大きさ・同じ形・同じ材質のものを用意するだろう。そうしなければ、左右のバランスがとれず、塔はたちまち崩壊してしまう、と思っている。
ところが、東塔の場合は1本1本の部材がみな違っている。それでいて、見事なシンメトリーな姿を保ちながら千三百年という歳月を立ち続けているのだ。
こんな不思議なことができたのも、飛鳥時代の宮大工さんたちが、みな“樹と話ができた”からなのだろう。“樹と話をする”ことは、そんなに難しいことではない、と西岡さんは言う。
我々現代人は、樹を単なる“モノ”と思っている。樹を自分たちの生活に有用な“材料”と思っている。そこに現代人のどうしようもない“思い上がり”がある。この“思い上がり”が、現代の地球環境破壊をつくり出し、自分自身も含めた地球のすべての生命の危機をもたらしている。
樹は単なる“モノ”や“材料”ではない。私たち人間と同じように、“心”も“感情”も“意志”も、そして“個性”も持っている生命なのだ。その“心”に触れ、それぞれの“個性”を知った時、初めて塔が組める。「塔組みは樹のくせ組み、人の心組み」西岡さんは塔を建てると言わず、塔を組むと言う。
例えば、山の南側に植えていた樹には南の方に向かう見えない“力”が内在している。北側の斜面の樹には、その反対方向への“力”がある。樹に内在するその見えない力を見抜き、その“力”をうまく組み合わせることによって、釘など1本も使わなくても、多少の大きさが違っていても、樹は、自分自身の“力”で互いに支えあって、バランスを保ち、さらに年月を経れば経るほど、その関係を緊密にして“ひとつ”になってゆく。だから東塔は千三百年もの間、美しい姿を保ちながら“生き”続けている。
もし、この樹のくせ(個性)を組み損なうと、塔の内部から破壊が始まり、塔はたちまち崩壊してしまう。西岡さんの“塔を組む”という発想は、人間社会にも、そして地球の全生命の関係にも通じるものだ。
複雑な構造を持つ社会が全体としてハーモニーを保つためには、部分(個性)はみな、同じ大きさ・形・材質でならればならない、という発想が個々の生命の多様性を殺してきた。しかし、この“塔組み”の発想は、部分(個性)の生命を生かすことこそ、全体の“生命”を生かし続けることだ、ということを教えてくれる。
西岡さんの発想は、テクノロジーの進歩を否定しているのではない。塔を建てるために樹齢千年の樹を切ることを否定してはいない。
「樹齢千年の樹を切る限り、そこから生まれた新たな“生命”即ち“塔”は、千年生き続けるものをつくらなければならない。」ということを言っているのだ。
単に便利な“モノ”をつくるのではなく、その底に“命の移しかえ”という心があった時、テクノロジーの進歩と、地球の環境保護とが両立する道が開けることを教えてくれているのだ。

14●「宇宙のささやきが聞こえる」

~“映像を創る”という私の「外宇宙への旅」は、私のからだをつくる細胞や
原 子と“喜びや悲しみを分かち合う”「内宇宙への旅」でもある。~

 「人間のからだは、宇宙物質のまとまり方のひとつである。人間のこころは、宇宙物質の働き方のひとつである。このことが、からだの実感を通してわからない限り、いくら“母なる星・地球”だの“地球環境保護”だのと言ってみても、それは単なる言葉だけのことになってしまう。そのことをどうしてもからだの実感を通してつかみたい。それがボクの体操なんです。」知る人ぞ知る“野口体操”の創始者・野口三千三さんの言葉である。野口さんは、人間のからだの旅、すなわち内宇宙の旅を通して外宇宙を語る達人。3年前、3分CMのシリーズにご出演いただいて以来の間柄である。その野口さんの一番弟子のHさんから、素晴らしいお手紙をいただいた。去る2月15日TBS系列で放送したNTTデータスペシャル「宇宙からの贈りもの~ボイジャー」についての感想だった。「……見終って、涙ばかりがあふれ出て、呆然としてしまったのです。<中略>「宇宙からの…」の映像と音楽を通して、ひとつ分かったことは、涙は、涙腺だけから出るわけではないということ。全身の細胞、60兆の細胞が涙を流す。もっと言えば、銀河を遥かに超えて、10億光年も離れた宇宙の距離よりも遠い数、10の27乗個以上の人間のからだを形作っている原子が、いっせいに泣き出すのですね。<後略>」この手紙を読ませてもらいながら、私自身も泣きそうになってしまった。私のからだの細胞が、Hさんの言葉に共振したのだ。最初に紹介した野口さんの言葉は、私自身の実感でもあり、それが私の創作や演出の原点だからなのだ。
映像の仕事始めてすでに30年近くになる。その間“私”をずっとつき動かしてきたのは、外界から前頭葉のホンの一部分に注入される。“知識”や“教養”や“情報”ではない。私のからだ全体が感じとっている“あの実感”、すなわち60兆もの細胞が感じとる“喜び”であり、“悲しみ”であり、10の27乗個の原子が思い出す“記憶”や“共感”なのだ。
膨大な資料を読んで企画を錬る時も、瞬間の選択が迫られる撮影の時も、無限の試行錯誤を繰り返す編集の時も、常にあるのは、“私”と私の“からだ”との対話なのだ。
そして、答えはいつも細胞や原子のレベルから返ってくる。細胞の笑い声や原子のささやきに素直に耳を傾ければ良いのだ。
私たちのからだをつくっている物質の最小単位、例えば心臓の細胞をつくるタンパク質の中の炭素原子や、肋骨をつくるリン原子など、すべての原子は“私”の所有物ではない。2百億年前のビッグバン以来、この広大な宇宙に生まれた原子の1個が、ある時は彗星の一部になり、ある時は水になり、ある時は木になり、草になり…、という生死を繰り返しながら、空気や食べ物を通して、今たまたま私のからだの中に入って“私”を構成しているだけなのだ。その原子たちも、私が流した涙となってため息となって、また“私”の外に出てゆく。
人間のからだをつくっている物質は、5年間ですっかり入れ替わってしまう。人間のからだは、宇宙から来て宇宙へ還ってゆく“宇宙物質”の通り道でもある。
今、私の目の前で春の陽光を浴びて輝く緑の若葉の中に、かつて私のからだの中にあった原子の1個があるかもしれない。今、脈打っている私の心臓の細胞の中には、かつてお釈迦様がクシャミをした一瞬に飛び出した原子の1個が入っているかもしれない。
そう思うと、新宿御苑の楓の木も、アフリカの象のエレナも、カナダの鯨たちも、室町時代の一休さんも、10億光年の彼方の星たちも、惑星探査宇宙船ボイジャーが出会うかもしれないETも、そして、これから生まれてくるすべての生命も、みな仲間なのだ、ということが実感としてわかる。
「宇宙からの贈り物」の放送前から始めたこの連載も、これで最後になる。拙文をお読みいただいた皆様に心から感謝します。ありがとう。

15●地球交響曲(第一番)

私はこのほど1989年の夏から約2年の歳月をかけて「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」というタイトルの映画を完成させた。この映画は劇映画ではなく、又従来のドキュメンタリー映画とも異なる一風変った映画で、その特徴を表わす適当な日本語がみつからないので、私はこの映画に“スピリチュアル・ドキュメンタリー”という造語を付すことにした。
この「スピリチュアル」という言葉は70年代の後半頃からアメリカのいわゆるニュー・エイジと呼ばれる人々の間でさかんに使われるようになった言葉で、最近日本でも“日本語”として少しずつ浸透し始めている。
私は外来語を軽々に日本語化し、我国古来の言霊を平然と捨ててしまう現代の風潮が好きではないが、ただ古来からの日本語ではどうしても表現しきれない現代の風潮というのも確かにある。例えばこの“スピリチュアル”という言葉は、「霊性」と訳すと多少オカルトがかって気味が悪いし、「聖性」と訳すと今度は妙に有難そうに聞こえて気恥ずかしい。
この言葉の持つ雰囲気をなんとか説明するとすると「二十一世紀を迎えようとする今、科学の進歩がもたらしてくれる恩恵を充分に知り、世界を科学的・唯物的に理解する方法を身につけた上で、なおかつ、その様な方法では捉えきれない何か宇宙的な、あるいは超自然的な見えない力の存在に気づき始めた人々の魂のあり方」とでも言おうか。

「地球交響曲」は、世界の5人の「スピリチュアル」な体験を持つ人々のメッセージをオムニバス風につづった映画である。例えばアメリカの元宇宙飛行士ラッセル・シュワイカート。彼にとってその体験は全く突然にやって来た。1969年3月8日、アポロ9号の乗組員として宇宙に出て5日目のことだった。この日の彼の任務は月面着陸船の外に出て宇宙遊泳しながら外部を点検することだった。この任務を宇宙船内に残ったマクデビッド飛行士が16ミリカメラに納めることになっていた。この日がラスティー(シュワイカートの愛称)にとって生まれて始めての宇宙遊泳だった。重力のない宇宙空間に来てすでに5日目とはいえ、それまで飛行士達は狭い宇宙船の中で連日の激務をこなしていた。ちなみに、この5日目というのもあくまで地球時間での5日目であって、宇宙船の軌道上では実は、1日(24時間)に16回も日の出と日の入りをくりかえす。したがって、宇宙時間で言えば彼はすでに80日間も宇宙空間で過ごしたことにもなる。
宇宙船のハッチを開け、宇宙服に身を固めたラスティーがゆっくりと宇宙空間に浮いた。続いてマクデビッドが出口に姿を現しカメラを構えた。「それじゃあ始めるぞ」ラステイーが声をかけた。「OK」マクデビッドが即座に答えた。彼らにとって時間はこの上なく貴重なものだった。3ヶ月後に予定されている人類初の月面着陸を成功に導くためには、このアポロ9号による宇宙空間での様々なテストが、最後の、そして最も重要なテストだった。そのため宇宙飛行士達のスケジュールはほとんど分刻みで組まれており、彼らは1秒の無駄もなく任務をこなしてゆかなければならなかった。マクデビッドの合図でゆっくりと宇宙船を離れたラスティーの耳に突然鋭い声が飛び込んで来た。「ちょっと待てラスティー、カメラが変だ」さっきまで快調に動いていたマクデビッドのカメラが突然動かなくなった。マクデビッドは必死で何度もシャッターを押す。しかしカメラはビクとも動かない。ついにあきらめた彼は、ラスティーに5分間だけそのまま待つように言い残して修理のため宇宙船の中に姿を消した。

突然の静寂がラスティーに訪れた。地上からの交信も途絶えた。ラスティーは何もすることがなくなった。彼の体は、宇宙船を離れ、宇宙の底知れぬ闇の中にたった1人で浮いている。そして真空の中の完全な静寂。彼はゆっくりとあたりを見回した。眼下には青く美しく輝く地球が拡がっている。その風景は、彼が今までの人生で観たどんなものとも違う信じられない美しさだった。視界をさえぎるものは一切なく、無重力のため上下左右の感覚もなく、宇宙服を着ているという感覚もなく、まるで自分は生まれたままの素裸で、たった1人で宇宙の闇の中に浮いているようなそんな気がした。
その時だった。突然ラスティーの胸の中に、ナニか、言葉では全く言い現すことのできない熱い奔流のようなものが一気に流れ込んできた。考えたのではなく、感じたというのでもなく、ナニか熱いものが彼の体のすみずみまで一気に満ちあふれたのだ。
彼は宇宙服のヘルメットのガラス球の中で、訳もなく大粒の涙を流した。そして彼の心にこんな想いが次々と湧き起こってきた。
「どうして私はここにいるんだ!」
「ナゼこんなことが起こっているんだ!」
「私はいったい誰なんだ!」
これは、いわゆる疑問ではなかった。問いであると同時に答えでもあった。
彼は、この瞬間に眼下に拡がる美しい地球の全ての生命に対して言い知れぬ愛と連帯感を感じていた。
「今ここにいるのは私であって私でなく、全ての、生きとし生ける者としての“我々”なんだ。それも、今この時間に生きている生命だけでなく、この青く輝く惑星地球に、かつて生まれ死んでいった全ての生命、そしてこれから生まれてくるであろう全ての生命を含んだ“我々”なんだ。」
こんな静かな確信が彼の心に生まれていた。彼は、自分の全身が深い深い感謝の想いに満たされているのを感じていた。
この一瞬からラスティーの中で何かが大きく変わった。マサチューセッツ工科大学を最優秀の成績で卒業し、エリート空軍のパイロットとして核戦略爆撃機の機長を務め、また史上最年少で宇宙飛行士に選ばれ、典型的なアメリカンヒーローの道を歩んできた彼の世界観が、この一瞬から大きく変わったのだ。

退役後、彼はソ連(現:ロシア)も含めた世界中の宇宙飛行士に呼びかけ、「国家」という枠を越えて宇宙飛行士達が連帯し、宇宙での体験を世界の全ての人々に語りかける組織ASEをつくった。この組織は世界の宇宙飛行士達の約70%を会員にして今も奉仕活動を続けている。
ラスティーのこのスピリチュアルな体験を生み出した背景には、科学技術の進歩、軍事目的、国家の威信、個人の名誉、といったひとつ間違えば全て生命に壊滅的な破壊をもたらす要素が含まれていた。しかしその要素があったからこそ彼の体は宇宙空間に運ばれ、彼にこのようなスピリチュアルな覚醒をもたらした。この「矛盾」はたぶん、二十一世紀を生きる全ての人々が抱える「矛盾」なのだろう。そして、人という種の未来は、この「矛盾」を避けるのではなく、それを内側から越えてゆく時に開くのだ、と私は思っている。
植物学者の野澤重雄さんは、たった一粒のごく普通のトマトの種から遺伝子操作も特殊な肥料も一切使わず、1万3千個も実の成るトマトの巨木をつくってしまった人である。
普通の土で育つトマトの場合は1本の茎からせいぜい50個も実が成れば良い方だそうだから、1万3千個というのは奇跡のような数である。私は「地球交響曲」の撮影を開始するにあたって野澤さんにお願いして新たに種植えを行い、その成長過程を撮影した。そのトマトはおよそ9ヶ月で幹の直径10センチ、葉の拡がりが直径8メートルを越える巨木に成長し、推定で1万5千個近い実をつけてくれた。
この満開のトマトの姿は、映画のラストシーンを飾るのにふさわしい映像となった。
何故こんな奇跡のようなことが可能なのか。それは野澤さんにとって、ある意味で当然のことであった。野澤さんには若い頃から生命に関する直感のようなものがあった。
「今、私達がみている生命の姿、例えばトマトならトマトの姿は、トマトが自分の置かれている環境条件(地球の自然条件)を自分で感知して、その環境条件に合わせて現れた姿なのであって、決して絶対不変のものではない。生命はもともと無限の可能性を持っているもので、環境が変わればどんな風にも変化し得るものである。」  この生命観をもとに今のトマトの姿を見直してみると、1本の茎から5、60個の実しか作れないのは、トマトが今の地球の自然条件をある“制約”と感じ、その“制約”に合わせて生命のサイクルを自分で選んでいるのだ、とも考えられる。だとすると、その“制約”をできるだけ取り除いてやればトマトは今の姿とは違う無限の生命力を示してくれるに違いない。野澤さんはそう考えた。
そこで野澤さんはトマトの生命力を“制約”しているものが一体何であるかを考えた。そこからが野澤さんの発想のユニークなところだった。現在地球上に生きる植物の大部分は土に根を下ろし、土から水と栄養を吸収して生長している。土は命の母である。地球に生きる限りそれは全く自然なことだ。
しかし、植物は土を母にしているからこそ、土からの“制約”をうけている。もし存分な水と栄養を与えながらトマトを土から離せば、ひとつの“制約”を取りはずすことになるのではないか。こんな発想から野澤さん独特の水気耕栽培法が生れた。野澤さんのトマトは新鮮な水と栄養が常時流れている水槽の中で育つ。細かい技術的なことを述べることはできないが、野澤さんのトマトとの接し方には基本的な哲学がある。
「トマトは自分自身の智恵と意志を持っている。人間がトマトを育てるのではなく、トマトから学び、その成長を見守りサポートするだけでよい。」野澤さんのやり方は、いわば“放任主義”である。もし意図的にやっていることがあるとすれば、成長の一番初期段階、すなわち人間で言えば赤ちゃんか、2~3歳児の幼児期に充分な水と栄養を与えることぐらいだろう。
これは赤ちゃんトマトに「安心して思い切り成長して行ってだいじょうぶなんだよ」という情報を与えていることと同じことになる。そうするとトマトは安心して成長する方向を定め、グングン勢いを増して成長し始める。すなわち生命力が高まってくる。するとそれに伴って生きていく為に必要なシステムがどんどん効率の良いものになっていく。例えば病気に対する抵抗力が強まるとか光合成の効率がたいへん良くなるとか……だから人間が手助けする必要もどんどん少なくなっていく。トマトに限らず、全ての生命は、我々人間の現在の知識レベルをはるかに越えた高度な知恵あるいは機能を持っている。現代の科学の方法ではまだ捉えることはできなくても、宇宙的な無限の生命力は“実在”するのだ。トマトの巨木はその“実在”の一つの証明になるだろう。
この宇宙的な無限の生命力を“神”なら“神”と呼んでも良い。神とは、“自然の高度なメカニズムの実体”のことなのだから。
そして、この“実在”に対して素直な開かれた心さえ持っていれば誰でもトマトの巨木をつくることができる。宇宙的な生命力に触れる鍵は結局人の心・魂にあるのだと野澤さんは言う。野澤さんは科学的な手順と方法をとりながら、その科学の枠組では捉えきれない“見えない力”の存在を証明しようとした人なのだ。

野澤さんがトマトと話ができる人だとすれば、ダフニー・シェルドリックは象と話ができる人である。ダフニーはアフリカのケニアで過去30年間にわたって象牙の密猟者に親を殺された子象を育て野性に還えす活動を続けてきた人である。
ダフニーには今欠かすことのできないパートナーがいる。彼女が最初に育てた雌の象エレナ。エレナは今33歳になり、すでに野性に還っているが、今もダフニーとの関係を保ち続けている。ダフニーのもとで3~4歳まで成長した、みなし子達をダフニーから預かり、16、7歳で一人立ちできるようになるまで母親がわりをしてくれるのだ。象は複雑で高度な知能と繊細な心を持った動物である。例えば、その鼻は、地面にいるクモ一匹でも嗅ぎ分けることができるし、地面に残された匂いによって何日も前に起こった出来事を知る事ができる。また人間の耳には聞こえない低周波を使って、何キロも先の仲間と交信もできる。しかし、そうした本能的な能力の他に彼らには、人間と同じように多くの学習が必要なのだ。年長者から、いつ乾期がくるのか、その時どこへ行けば水があるのかなど数多くの知恵を教わり、生きてゆく術を学んでゆく。エレナはそうした知恵をみなし子達に教えるのだ。
私達が撮影に訪れた時、ナイロビにあるダフニーの孤児院には、そろそろエレナのもとに送る年齢に達した子象達が二頭いた。
ある日ダフニーは、エレナのいるツァボ国立公園の草原の下草が充分に育っているかどうかを調べるためツァボに向かった。私達もこの調査に同行した。ツァボは、ナイロビから四百キロも離れている。ダフ二ーの話によれば、エレナはダフニーが来ることをいつも前もって知って必ず会いに来るという。エレナがどんな方法でそれを知るのかは、科学的には説明できない。しかしこの様な、テレパシー能力は野生動物達にとってはごくあたり前の能力であることをダフニーは数多くの体験から確信していた。
草原でのダフニーとエレナの再会は本当に感動的だった。草原のはるか彼方の茂みからまず巨大な象の背中がみえ、しばらくしてエレナの全身が姿を現わした。
エレナはその巨大な体からは想像もできない程の静かな歩みでまっすぐダフニーの方に向かって来た。
「エレナ!」ダフニーも小さく叫んでエレナに向かって歩き始めた。エレナはその巨大な鼻でダフニーの背中を抱き、なでるように上下に何度も動かした。ダフニーは小さな手でエレナの眼の下あたりを何度もやさしく叩いた。これはまさに母と娘の再会の光景だった。二人の間に言葉のやりとりはない。
しかしこの二人の間には、言葉をはるかに超えた愛情と深い信頼があるのがわかった。人間は言葉を持つことによって人になった、と言われている。人はその言葉によって得た知恵の延長戦上に科学技術を生み出した。科学技術の進歩は人を自然の脅威から解放し、生活を豊かで安全なものに変えてくれたように見えた。しかしその豊かさと安全性の代償として人は何か一番大切なものを見失っていた。二十世紀末の今、人はようやく科学技術への盲目的な信仰が惑星地球の全ての生命を破壊に導く危険がある事に気付き始めた。
科学技術の進歩を後戻りさせる事はできない。しかしその科学技術をどのように使い、どの方向に進めるかは結局、人の心・魂のあり方によって決まる。科学技術の進歩に較べて、人の魂の進化が遅れている。このアンバランスが今の地球の危機をつくっている。
二十一世紀を迎えようとする今、最も必要なのは、人の魂の進化なのだろう。シュワイカートのスピリチュアルな体験にもみられるように、科学技術の進歩が人の魂の進化を促している、とも言える。科学技術の進歩によって今まで見えなかった多くのものが見えるようになった。そして人は、その見えた事によって、見えないものが存在する事に気付き始めた。植物の生きる姿から学ぶものが山ほどある。動物の心から学ぶもの、古代の知恵から学ぶもの、そして、全ての生命から学ぶものが無限にある。「地球交響曲」は人の魂のスピリチュアルな進化を願ってつくった映画である。

【伊勢神宮「瑞垣」 1992年新春号】

16●大丈夫、と信じることがアクエリアス時代を、生きるコツ

象のエレナ。アクエリアス時代の話なら、まずエレナの話をさせてください。
ケニアのダフニーさんという女性がいます。密猟で母を失った小象を育て、野生に還す活動を30年続けている人です。エレナはそのダフニーさんのパートナー。ダフニーさんの手元を離れた小象を育て野生生活のノウハウを教える養母役なのです。ふだんはダフニーさんが運営するナイロビの孤児院から400kmほど離れた、広大なツアボ国立公園で、野生の状態で棲んでいます。30歳ちょっと、の女ざかり。ダフニーさんが初めて野生に還すのに成功した象でもあります。
私はダフニーさんが半年ぶりにエレナと再会するというので同行しました。彼女の活動を、映画「地球交響曲」におさめるためです。
エレナは野生の象です。まさか電報を打って、今から行くよ、などと知らせるわけにはいきません。でも、わかっているんですよね。エレナはダフニーさんの前に必ず姿を現し、その長い鼻でダフニーさんを抱きしめるのです。
そんな不思議で感動的なシーンを私は10kmほど離れて撮影していました。そうしたら今度はこっちにエレナが向ってきて、10人のスタッフに中に紛れていた初対面の私を、やはり鼻で抱いてくれたのです。
もうずっと、エレナには会いたいと思っていました。そして、ああ会えて良かった、と思ったそのときの抱擁。エレナはほんと、何もかもわかっているのですね。
人間がエレナのようなことをすれば、テレパシー能力だ!ということになるのでしょう。でも象にとっては自然のなかで生きていくコミュニケーションの、ひとつの方法でしかないのです。
象の脳。それは人類とほぼ同様の大きさと構造を持ちながら、人類とは別の叡智をはたらかせているようです。少なくとも人類のように科学や技術を生み出し、外部をコントロールしようとする攻撃型の叡智ではありません。逆に、自然をすべて受け入れ身をゆだねる、いわば受容の叡智です。さらにいえば、コンピューターなどでは捉えられない、複雑で繊細な自然のディテールを敏感に感知し、生き方を見つけていく。人類よりもっとスケールが大きく、もっと地球本質に根ざした叡智をはたらかせているんですね。
人類だって、太古の昔は受容の叡智のもとで生きていたはずです。しかし科学や技術の力により豊かさや便利さ、安全性などを獲得していく過程で、それが見えなく、いや、見ようとしなくなっていってしまったのです。
私たちは、気づいていないことが多すぎます。動植物から学ぶべきことがたくさんある。
地球上の全生命が持っている、受容の叡智。それを一人一人の人間も持っていることに”気づき”、そして地球の未来のために使っていく。
アクエリアス時代とは、そういう時代なんじゃないかな、私は思います。
そして人類はすでに”気づき”始めています。

あなたの想いが現実や未来を創るのだと信じなさい
私が映像の仕事を通して出会う人たち。彼らはみんなレンズに向かって、自分自身のことや自分の体験を語ります。ポール・スポング、野口三千三、ライアル・ワトソン、エンヤ……内容はまちまちです。でも伝わってくる「なにか」。それが非常に共通しています。
同じ、”気づき”をしているのですね。
たとえばシュワイカートのように、宇宙で特別な体験をして気づいた、という人もいます。それを普通の人は、私は宇宙に行ってないからわからない、と言うこともできる。でも実は私たちも日常、UFOを目撃するといった具体的な体験ではなくても、理屈では説明できない不思議体験をたくさん見たり感じたりしているのです。エレナが私だけを抱いたことも、不思議といえば不思議ですよね。しかしそれを表に出すと「ちょっと変」などと思われちゃうから、いつの間にか心をガードしてしまう。ところが、シュワイカートはもちろん、文学者やアーティスト、はたまた正統派の科学者までもが「理屈に合わない不思議なことを感じても大丈夫だよ」と言い出した。これで普通の人々の心のガードもポコンとはずれやすくなっと思うんです。そして、いままで見ないでいたけれど、なくしたわけではなかった「なにか」に”気づく”人が増えてきたのです。
かつては気づくために、苦しい修行を重ね、いわゆる「悟り」を開く、というプロセスが必要だったようです。でも今は、多くの普通の人々が、それを気軽に感じとれる。これはすごい、素晴らしいことになってきました。
たしかに現在、地球は様々な危機をはらんでいます。世界が破滅に向かっている、そう脅かす予測もあります。このときやはり大切なのは、人類の意識の在り方だと思うんです。「大変だ、怖いぞ」と思っているか、「それでも大丈夫」と捉えるか。未来はそれだけでずいぶんと変わってくるはずです。「自由でありたい!」と国民が願った結果、ベルリンの壁は崩壊しました。心のエネルギーが集約するとどうなるのかをこの事実は教えてくれています。想いや想像力、つまり意識が現実と未来を創っていく。そこに”気づく”こともこれからの、大切です。
「あなた、べっぴんだと思いなさい。思ったら絶対べっぴんになれるから」
宇野千代さんの言葉です。本当でしょ?
だとしたら、地球の未来も「大丈夫」、とみんなが思えば、絶対「大丈夫」なのです。

「フラウ」‘91 12月24日号(月2刊)A4版変形 (株)講談社

17●宇宙船とカヌー

「私は宇宙の真理を数式で考え理解しようとするのだが、彼はまるで音楽家が作曲する様なやり方でカヤックを作ってしまうんだ」
世界的な宇宙物理学者、フリーマン・ダイソン博士が息子ジョージ・ダイソンの事をこんな風に話してくれた」事がある。ちょっと照れながら話すこのフリーマンの言葉の中に、私は、若くして自分の下を飛び出し、自分とは全く違った道を歩むひとり息子に対する父親の愛と誇りのようなものを感じた。
世間の常識からみると全くの”変人”としか言い様のないライフスタイルを選び、手作りのオーシャン・カヤックを作り続けてきたジョージの生き方は、結局父と同じある種の”天才”の別の現れ方なのだ、とつくづく思う。
ジョージのカヤックはほんとうに”美しい”。私は86年に新しく完成したばかりのジョージの2人乗りカヤックでアラスカのトーチ湾からカナダブリティッシュコロンビアのハドソン島まで8000キロの沿岸水路の旅を撮影し、「宇宙船とカヌー」という作品にまとめた。ジョージのカヤックは展示してあるだけでも美術工芸品かと思う程に美しいが、何より実際に海を旅している時が最も美しい。
この”美しい”という事には何か大きな秘密があるような気がする。ジョージは、フリーマンが言うように、流体力学的な計算からカヤックのデザインや構造を作っているのではない。音楽家が音楽を作曲する時と同じように”直感”と”ヒラメキ”あるいは”体感”からこの”美しい”カヤックを作っている。そのカヤックが実際に海を旅すると、どんなカヤックよりも”速く””快適”でしかも”安全”なのだ。無限に変化する沿岸の海の自然の中では、ある意味でエンジン付きの近代的ヨットよりも優れている、とさえいえる。
“美しい”という事は、目には見えない”宇宙の真理”に即している、という事なのかもしれない。ジョージはこの”宇宙の真理”を計算ではなく、”直感””体感”で一気に把握してしまう。このやり方が音楽家に似ているのだ。ジョージはこのカヤックの構造・作り方を現実にはアリュートの人々のカヤックから学んできた。といっても誰かアリュート人が彼に教えたのではない。
彼がその”天才”的直感からアリュートのカヤックに興味を覚える頃にはすでに、アリュート人の作り手はいなかった。「遅れた文化」という西洋近代の価値観の下で、アリュートのカヤック作りはすでに断絶していた。16才で父の下を飛び出した彼は、カナダの森の地上30メートルの大樹の上に自分の家をつくり、博物館にほんの少し残っていたアリュートのカヤックを観察し、自らの手で再現し、それに乗って海を旅し、その体験によって改良を加え、今のカヤックを作った。アリュートの人々が数千年にわたって海の自然に直接教えられて作り上げた超高度なデザイン思想を、ジョージは現代の素材、アルミニウムと宇宙開発から生まれた強力な布を使って甦らせたのだ。
ジョージのカヤックに乗って海を旅すると、乗り手の”内なる自然”がどんどん鋭敏になってゆく。舳先が切る波の振動が直接肌に伝わり、匂ひ、風、音、凪の動き等々”外なる自然”に感応する能力が磨きすまされるのだ。”宇宙の真理”すなわち”美しさ”に対する鋭敏さが甦ると言ってもよい。
こんなテクノロジーこそ、我々が21世紀に向かって必要としてる”超高度”なテクノロジーなのでないか、と思う。

ジオ(GEO) 1996.4月

18●青き星への歌声

私にとって、スーザン・オズボーンの歌声は”聴える”というより、”抱かれる”あるいは”包まれる”と言った方がピッタリする。スーザンの歌声を聴いているのは私の耳でなく、全身の細胞、あるいはもっと小さい私のカラダをつくっている原子の一つ一つが彼女の歌声に抱かれ、共鳴し、合唱し始める様に感じるのだ。
何しろ、彼女の歌声を聴いていると全身が温かくなって来る。自分の手の掌や胸や喉からポカポカした波動がカラダの外へ踊りながら広がってゆく様に感じるのだ。
ここ数年間の私の主な作品には、何度もスーザンの歌を使わせてもらった。
92年に放映したTV番組「宇宙からの贈り物」では、CD「和美」の中から「浜辺の歌」が主題歌になった。この作品で私は惑星探査機、ボイジャー2号が太陽系を離れる前、最後の仕事(ミッション)として行った我が太陽系全体の写真撮影と、それに関わった科学者達を撮影した。そして、その困難な仕事をやり遂げた科学者達の、ボイジャー2号に対する気持、すなわち「ありがとう」「さようなら」「決して君の事を忘れない」「私の魂は永遠に君と共にあります」といった気持と、そして、その科学者達に応えて、ひとり宇宙の彼方へ旅立ってゆくボイジャー2号の気持の両方を含んだ歌声として、スーザンの「浜辺の歌」を選んだのだった。放映が終わってしばらくして、私は不思議な話を聞いた。この太陽系全体写真撮影のミッションが行われていた時、たまたまNASAにいた日本の著名な宇宙物理学者、佐冶晴夫博士が毎晩の様にNASAの科学者達に「浜辺の歌」を聴かせていたのだ、と言う。私はこんな事実は全く知らなかった。放映が終わってこのVTRをアメリカに送ったのだが、観た科学者達がみな、この歌を聴いて言い知れぬ懐かしさに包まれた、と知らされた。スーザンの歌には、個人の違い、文化の違い、国の違い、をはるかに超えて、全ての生命が、大きな生命の一部として共に生きている、という事を教えてくれる温かさがある。実際、スーザンの歌声は、宇宙から観た青く美しい地球の映像によく似合う。スーザンの歌声に抱かれながら地球の映像を観ていると、300キロというその距離の遠さではなく、その身近さ、懐かしさに心が震えて来る。針の先もない地表の小さな一点にいて、喜び、悲しみ、あえぎながら生きる”私”と、はるか宇宙の彼方から地球を観てる私との間に、実は何んの隔りもないことが実感できるのだ。
95年春に完成した映画「地球交響曲」第二番のために、スーザンは、バッハ・グノーの「アヴェ・マリア」を贈ってくれた。伴奏者もつけず、彼女の住むオルカス島の小さな教会で、マイク一本で録音されたこの歌は例え様もない程シンプルで美しかった。シンプルであるが故に全てを含んでいるこの歌声に似合うは、やはり宇宙から観た地球しかなかった。私はこの歌を映画の内容が全て出尽くした後のエンディング・シーンに、ただひたすら静かな青い地球の映像と共に使わせてもらっている。

19●『地球交響曲』第四番のために 水平線上の“タヒチ”をヴィジョンする

「『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』の第四番はいつ頃できるのですか?」と問われることが多くなった。
そんな時私は、「21世紀の最初の年、2001年中には必ずできるでしょう」と答えている。
しかし、現実的にはまだなんの保証もない。特に、資金面ではまだ一銭の現金も目の前にある訳ではない。映画は、文学や絵画と違って、作家個人の努力で作品を仕上げてから世に問う、ということができない。発想の最初の段階で何億というお金が動いて初めて、見えるもの・聞こえるものとしての「作品」が成り立つ。発想の初期段階で億単位のお金が動かなければ、“表現”そのものが存在しないことになるのだ。だから“発想”の確かさが常に、社会的に求められる。仕上がりの形がハッキリと見えているシナリオとか、どう
転んでも客が呼べる豪華なキャスト(出演者)とか。ところが、『ガイアシンフォニー』にはそのどちらもない。シナリオは撮影を終え、編集作業も全て終えた後に初めて生まれてくる。キャストだって、クランクインの時に全てが決まっている訳ではないし、その出演者が世界的に有名な人か否かは選択の基準にはない。こんな“先の見えない”作り方をしながら「2001年中には必ずできます」と言うのだから、詐欺師まがいの言動と思われても仕方がないかも知れない。しかし、『ガイアシンフォニー』の第一番から第三番までは、まさにこの作り方で完成し、制作開始から10年目の今、延べ150万人の観客動員を果たしている。日本映画界の「奇跡」と呼ばれる由縁もそこにあるのだろう。私自身も、今の『ガイアシンフォニー』の現実をみるまでは、「こんな映画づくりのやり方が世間に受け入れられてゆくのだろうか?」という不安に苛まれ続けて来た。しかし今は「この『ガイアシンフォニー』の作り方、そして観られ方の中に、21世紀の全ての人の営み(政治・経済・科学・文化)に通じる“示唆”が含まれているのではないか」と思い始めている。
要するに、“先が見えない”時、人はどうすればよいのか、ということだ。
いや、“先が見えない”ことこそ、人の営み、生命の営み・自然の営みの本来の姿であり、その事を謙虚に受け入れる事ができた時、逆に“見えない”はずの先が、“見える”形で眼前に現れてくる、ということだ。“先が見えない”ことへの不安は、人類という種が根源的にもっている不安だ。ある意味では、“先が見えない”という事に気付いた事に依って人類は人間(ヒト)になった、と言えるのかも知れない。何万年にも及ぶ人間の文明史は、“見えない先”をなんとか“見える”ものにしようとして来た営みなのだ。我々が今多大な恩恵を受けている科学技術文明の進歩は、人類が獲得した最も有効な“先を見る
”ための手段だった。いや、科学技術の進歩に依って、我々は“先を見る”どころか、“先は自分の力でコントロールできる”と信じるようになった。
ところが、この“先は自分の力でコントロールできる”と信じたことが、実は巨大な錯覚だったのかも知れない、と気付き始めたのが、20世紀から21世紀に渡ろうとする今の時代なのだ。“先が見えない”ことへの不安は、今、世界の人々のあらゆる営みの背後に渦巻き始めている。一時は、“先が見える”と信じた後に生まれた不安だから、原始的な不安よりははるかに深刻だということもできる。しかし、よく考えてみると“先が見えない”というのは、生命の営み・自然の営みの本来の姿なのだ。無限に多様で、無限に複雑な生命の営みの絡み合いの中から、自ら然ってゆく地球(ガイア=大いなる生命)の未来(先)など、誰にも“見る”ことはできないし、ましてや自分の思い通りに“コントロール”できるはずもない。“先が見えない”という事に多くの人が再び気付き始めたということは、生命の営みとしては、とても健全な状態に立ち戻りつつある、と見てよい。
護岸工事がなされて“先がよく見える”ようになったまっすぐな人工の川と、曲がりくねっていて“先がよく見えない”自然の川と、どちらが健康なのかは今やもう誰でもが知っている。“先が見えない“ことが生命の本来の姿なのだとすれば、結局人はその不安から逃れられないのだろうか。私はその逆だと思う。
人間は、“先が見えない”という不安があるからこそ、今、目の前に起こって来た予期せぬ出来事に対して、今自分の持っている全能力を集中して取り組むことができるのではないだろうか。そして、今たまたま偶然のように自分に与えられた役割に、全身全霊をもって取り組んでゆくことだけが、“見えない先”に関わってゆくことのできる唯一の道なのではないだろうか。
未来(先)はコントロールできるものではないけれども、同時に、きめられているものでもない。未来は、今この一瞬の無限に複雑な生命の営みの中から、自然に創成されてゆくものである。だからこそ、今この一瞬の小さな生命の一つ一つの営みが重要なのだ。その小さな営みの一つ一つが全て、未来の現実に深く関わっているのだ。そして、“先が見えない”時、人間の小さな一つ一つの営みを支えてくれるのが“想像力”だ。“想像力”は多分、人間という種にのみ与えられた特殊な能力だ。その“想像力”が未来に対する“ヴィジョン”生み出す。“ヴィジョン”は見えるものではなく描き出すものだ。多分、人間だけが“見えない先”を、心に描き出すことができる。それが
“ヴィジョン”だ。“ヴィジョン“はその現実をこえたいという意志が生み出すものだ。
『地球交響曲』第三番の出演者ナイノア・トンプソンは、近代航海器具は一切使わず、星や風、波だけを頼りに、ハワイ~タヒチ間五千キロの海を古代カヌーで渡った人だ。彼は、初航海の直前、ハワイの海岸で、師であるサタワル島の航海師マウから突然こう問われた。
「おまえの目にタヒチは見えるか?」ナイノアはしばらく考えて、こう答えた。「見えます。心の中でタヒチが見えます」すると師はこう言った。「それでよい。その“心の中の島”を見失うな。それを見失った時、おまえは現実の航海で道を失うことになる」
私にとって今、タヒチは“『地球交響曲』第四番”だ。資金面でも、出演者の面でもまだ確かな“先”は見えない。しかし、「21世紀を生きる子供達のために」という確かなヴィジョンに向かって、今、目前の難題に精一杯取り組んでいる。
水平線からタヒチが見えてくる日はそう遠くはない、と思っている。

SV VOL.290 FEBRUARY 2000:僕らの知恵の果てるまで

20●「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、今日私はリンゴの木を植える」

1989年から映画「地球(ガイア)交響曲(シンフォニー)」のシリーズを撮り続けて来てもう17年になる。
この間「第一番」から「第五番」まで、5本の映画が完成し、延べ20数名の世界中の人生の達人達に登場願った。
科学者、宗教家、自然保護活動家、冒険家、芸術家等々、その国籍も専門分野も多種多様なのだが、この人々に、インタビューの一番最後に、必ずぶつけてみた質問がある。

「あなたは、地球の未来、人類の未来について楽観的ですか、それとも悲観的ですか?」

その答えは、異口同音に“楽観的”だった。例えその答えが言葉の上では極めて“悲観的”に聞えるものであっても、それを語っている彼らの微笑みにあふれた表情の中に、「この人は決して悲観していない」ということが、言葉の意味を越えて伝わって来た。
彼らはどうしてこれほどまでに“楽観的”になれるのだろうか。

今、私には静かに確信できることがある。
まず、彼らは決してただ脳天気に楽観的なのではない。いや、むしろその逆で、彼らほど絶望的な状況を身を以て体験し、苦しみ、あがきながら通過して来た人はそうざらにはいない。

例えば、「第一番」に登場したアフリカ・ケニアの動物保護活動家、ダフニー・シェルドリック。
彼女は、象牙の密猟者に親を殺された子象を育て、野性に還す活動をもう40年も続けている。その彼女が苦労して育て漸く野性に還すことのできた孤児達が、また密猟の犠牲になる、という現実を何度も目の前で見ている。
またその密猟者の背後に「動物保護」を訴える政府権力者の黒幕がいることや、内戦に乗じて高性能の武器を密猟者に売り渡す武器商人達がいることも知っている。
一度に数十頭の象を短時間で皆殺しできるような高性能のマシンガンを持ち、ヘリコプターでやってくる密猟者に、旧式の銃しか持たない公園の保護官達が太刀打ちできるはずもない。

こんな絶望的な現実を毎日見続けながら、それでも彼女はきっぱりと言い切る。

「私は地球の未来に“楽観的”です。地球上の全ての生命は、鎖の輪のように繋がって生きています。人間も又その鎖の一部です。目先の欲望に駆られて象を殺すことは、その鎖の輪を断ち切り、結局、自分の手で自分の眼や指を切り落すことになるのです。人間は必ずいつかそのことに気付くはずです。
象は、人間とは異なる、ある高度な“知性”を持っています。その“知性”を駆使して、自然界の超高度な仕組みと調和しながら、人間より遙かに長く、この地球に生き続けて来ました。その象の生き方や“知性”に学ぶことは、“象牙を私有する”という儚い喜びよりは遙かに深く大きな喜びなのです。だからこそ私は、感謝と喜びを持ってこの活動を続けることができるのです。」

今日、メディアを通して届けられる情報だけを見ていると、地球の未来に悲観的になるのもわからなくはない。
しかし、未来に対する悲観や恐怖から生れる環境運動には落し穴がある。さし当ってわかりやすい“敵”を仕立て上げ、それを“攻撃する”という形式で展開する傾向があるからだ。
全ての環境問題は人類という種の本性から生れている。すなわち“敵”は自分の内側にもあるのだ。
恐怖や悲観から生れる攻撃的な運動には、そのことへの痛みが欠落している。今日、多くのメディアや評論家達が悲観論を唱えている。

しかし、ダフニーの言葉は、その対局にある“評論”ではない。悲観的な現実を身をもって体験しているからこそ逆に、楽観的な未来を自ら選びとろうとする“意志”を表明しているのだ。
ダフニーをはじめ、「地球交響曲」の出演者達は皆、人間が地球の未来をコントロールすることなどできないことを身をもって知っている。それでいて地球の未来に関ることのできる“道”があることも知っている。
それは、結果を思い煩うことなく、よりよい未来に向って、自分の場で、自分のできる行動に一歩でも二歩でも踏み出すことだろう。そうすることによって、大きなひとつの生命体である地球の未来は、自ら然ってゆくだろう。
生命はあらかじめ、「できるだけ長く健やかに生き続けたい」という意志を持っている。生命はもともと“楽観的”なのだ。

「たとえ明日世界が終りになろうとも、今日私はリンゴの木を植える。」

『環境会議』 2006年春号

21●ふきのとうのこころ

青森県の聖山・岩木山の中腹にある佐藤初女さんの施設「森のイスキア」は冬の間3メートル近い雪に閉じ込められる。
雪解けが始まるのは、ようやく4月、「地球交響曲第二番」の撮影を始めた最初の日のことだった。

初女さんが施設の裏庭に出て、雪のなかにほんの少しだけ黒土がのぞき始めた場所にしゃがんで何やら始めた。
近づいてみると「ふきのとう」だった。
わずかに消え残る雪の下に、この年初めてのふきのとうが薄緑色の輝きを見せている。初女さんはこのふきのとうを私たち撮影隊に食べさせるためにとりに出たのだ。

初女さんは近くで拾ってきた1本の枯れ枝を使って、ふきのとうの周囲の雪をていねいにとり除いてゆく。カシャッ、カシャッという澄みきったかすかな音が、凛とした雪の静けさのなかに心地よく響き渡ってくる。初女さんの優しくいたわるような手の動きにつれて、氷結した雪の結晶がキラキラと輝きながら散り、その度にふきのとうの薄緑色が鮮やかさを増してゆく。まるでふきのとうが喜んでいるようだ。

ものの10分も続けていただろうか。ようやくふきのとう全体が雪の下から姿を現した時、初女さんは初めて根元にソッと刃物を入れ、抱くようにそのふくよかな掌の中にふきのとうをとり上げた。その仕草は、まるで新しくこの世に生まれ出る赤ちゃんをとり上げる産婆さんのようであった。この姿を見た時、私は初女さんのつくる素朴な食べ物が、なぜ大勢の心やからだを病んだ人々を癒してきたのかがわかったような気がした。

初女さんはふきのとうを単なるめずらしい”食材”とは考えていないのだ。ふきのとうは、自分と同じ心やからだを持った生命であり、もっと言えば、魂を持ったいのちである、と思っている。そのいのちが、私たち人間のいのちを生かす食べ物になってくれる。”料理する”ということは、ひとつのいのちが別のいのちに”移し変わって”ゆくことを手助けする営みなのだ、と思っているのだ。

このことが初女さんのふきのとうのとり方でわかってくる。自分がふきのとうになったつもりで考えてみればわかりやすい。

ボクはふきのとうだ。
もう半年近くも重い雪の下で春が来るのを待っている。
最近になって急に上からの光が明るさを増し始めた。春が近いのだ。
ボクのからだのなかには、去年、親から与えられた大きく成長する力が漲っている
岩木山のブナ林がくれた水や栄養だって充分にある。
さあ、今から存分に大きくなろう。
でも、まだチョット雪が重いなあ。
やっぱり、もう少しお陽さまが暖かくなるまで待たなければダメかなあ。
あれ!
急にあたりが明るくなりはじめたぞ。
カシャッ、カシャッって気持ちいい音楽まで聴こえてくる。
からだが軽くなって踊りだしたい気分だ。
そうか!これは、いのちの力を漲らせよ、という神様からの合図なんだ。
ヨーシッ!

こんな喜びの心を抱えたままで、フト気づくとふきのとうは初女さんの掌のなかにいた。その喜びの心がそのまま私たちのいのちになる。

これがもし、ふきのとうを単なる”モノ”として考え、初ものとして市場で高く売ってやろうと思う人がとりに来たらどうだろうか。
多分その人は初女さんのような面倒なとり方はしない。スコップなどの無骨な道具でまわりの雪を勢いよくとり除き、アッという間に乱暴にふきのとうをとってゆくだろう。

その時”ボク”はどう感じるだろうか。せっかく「春が近いんだ」、「これから大きくなっていいんだ」と思っていた喜びの心が、上からふり下ろされてくる無骨なスコップの刃先によって、一瞬のうちに凍りつき、恐怖のどん底に突き落とされてしまうのではないだろうか。
喜びの心を抱いたままで初女さんの手で料理され、私たちのいのちに移り変わってゆくふきのとうと、恐怖に縮み上がったまま単なるモノとして扱われるふきのとうとの間に何かの違いが生まれるのだろうか。

多分、数値化できる栄養価だけを比較すれば、さしたる違いは見えてこないだろう。岩木山のブナ林が育てた同じふきのとうなのだから味だって変わりはないかもしれない。
とり方の違いなど些細なことにすぎない。いや、むしろ初女さんのような面倒なとり方をしていたら、一日では限られた数しか手に入れることができない。
それより、簡単に、素早く、大量にとれるやり方をしたほうが、より多くの人に初もののふきのとうを味わってもらう、ということができるのではないか。
ふきのとうにも心や魂がある、などと言ってもったいぶったとり方をするのは、単にロマンティストのひとりよがりにすぎないのではないか。
そんな声が聴こえてくるような気がする。

しかし、果たして本当にそうだろうか。私には、この違いは何か”決定的”な違いをもたらすような気がする。

確かにこの違いを科学的に、合理的に、数量的に説明することは難しい。しかし、初女さんのつくるお料理そのものが、この違いをはっきりと証明している。
初女さんが夕食に出してくれたふきのとうの煮付けは、たとえ少量を大勢で分け合って食べても、どんな高級料亭でいただくふきのとうよりもおいしかった。ひと口含んだとたんに、からだ中のすべての細胞が喜びの声をあげて歌いだすようなおいしさだった。
ふきのとうに限らず、にんじんでも大根でもなんでもおいしい。初女さんの握った梅干入りのおにぎりを食べて自殺を思いとどまった青年がいた、という噂も絶対に本当だと思えてくる。

初女さんの素朴な料理のおいしさは、ふきのとうにも自分と同じいのちと魂がある、という確信から生まれている。そのいのちと魂を、私たち人間のいのちと魂に移し変えさせていただく、という感謝の気持ちから生まれている。さらに、食べる人のいのちと魂を喜ばせたい、という願いから生まれている。
だから、初女さんの食材に対する眼差しは、まるで自分の子供を見るようにやさしく、繊細で、鋭い。
一つひとつの食材がみなそれぞれの個性を持っていることを知っている。それぞれに独自の心や魂を持っていることを知っている。だから、同じふきのとうでも、時と場合によって料理の仕方が違う。塩を何グラム入れる、とか何分煮ればよいとかが言えないのだ、と言う。それは結局”ふきのとうが教えてくれる”としか言いようがない。
それでいて初女さんの料理は、いつでも、何を食べてもおいしい。おいしい、ということは、食べる人のいのちと魂が喜んでいる、ということだ。だから、病んだ人びとが癒されてゆく。

地球のすべての生命はこんなふうに繋がっている。目に見えないいのちと魂を分かち合っているのだ。
その繋がりへの想像力を失った時、私たち自身の心とからだにどんなことが起こるかを、今私たちは思い知らされているような気がする。

ふきのとうにもやはり魂や心があるのだ。そう思ったほうが世界は素敵になる。
毎日のささやかな食卓が”おいしく”なるからだ。

『チルチンびと』 2000年13号

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