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5/27「ガイア三番」トリヴィア

#9ワスレナグサ

1996年7月、新宿御苑のカフェテラス

星野さんがカムチャッカへ旅立つ直前、龍村監督と共に後に始まる旅の構想を話し合った一時があります。

それはお互いのイメージを、生身で共有し合う事ができた、最後のひと時でもありました。

その際、一冊の本が星野さんから手渡されました。

それは、表紙の見開きに

“アラスカでお会いしましょう”

と書かれた著書『旅をする木』でした。

私たちはこの言葉に導かれ、一年近く掛けてこの旅をしてきたのかもしれません。そして、この本の最終章に記されている「ワスレナグサ」の章まで、やっとの事で辿り着いたのです。

1997年6月

海に沈み行く太陽の光の中で、強い風にあおられながら凛と咲いているワスレナグサを撮影していました。

この場所は、アラスカではありません。

スケジュール、予算、様々な理由から、今このタイミングで野生のワスレナグサが撮影できる場所を探した結果、ここに行き着いたのです。

それは期せずして、新宿御苑で二人がイメージした、“この旅の終着の地”でもありました。

ここは日本の北、青森です。

当初、この旅の終わりには“青森の三内丸山遺跡に一緒に立っている”という姿が、星野さんにも監督にもうっすらと、でもしっかりと共有されていたモノでした。

それは、ベーリング海を挟んで行き来した数千年前の人類の足跡を辿る旅でもあったのかもしれません。

そして、その道案内役が、ほかでもないワタリガラスだったのです。

我々の四度にわたるアラスカやカナダでの撮影も、常にワタリガラスの気配に誘われ、その影を追っかけてきた日々だった様に思います。

そして知らず知らずのうちに、この地に導かれてきたのです。

この時のワスレナグサのカットで、第三番のクランクアップとなりました。

※あの時、新宿御苑で手渡された『旅をする木』は、その後の撮影の旅の途上で、こつ然とその姿を消しました。生身の本はありませんが、そこに書かれた言葉たちは、未だ旅を続けています。

(ラインプロデューサー・西嶋)