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「地球交響曲第六番」を共に奏でる出演者


ケリー・ヨスト Kelly Yost

春まだ浅い大草原の朝、
芽吹き始めた小さな草花の上に朝露が降り、
折しも昇り始めた陽光を浴びてキラキラと輝いている。
その朝露のひと滴(しずく)に目を寄せると、そこには眩いばかりの金色の光と共に、
あたりの大自然を映した小さな宇宙が淡い緑の光となって、
かすかに風に震えている。
光が音楽を奏で、音楽もまた光を発つことがわかる一瞬(ひととき)、
ケリー・ヨストのピアノは、そんな清冽な美しさに満ちている。

アメリカ、アイダホ州の小さな田舎町に生まれ育ち、幼い頃から大自然の山や川、森や湖との超越的な交感を何度も体験したケリー。
有名になることも、喝采を浴びることも求めず、ただひたすらピアノの中から“光の音”を紡ぎだすことに全霊を捧げてきたケリーの生き方が、
そのまま、優しさと気品にあふれたピアノ音楽となって私達のものとに届けられる。
撮影では、ケリーの魂の故郷、アイダホ州北部山岳地帯のレッドフィッシュ湖に向かって65年の人生を遡上する旅をした。
かつてこの湖には、毎夏、1500キロという世界一長い距離を遡上して数万匹の鮭達が還って来ていた。

<ケリー・ヨスト プロフィール>
1940年アメリカ・アイダホ州ボイシー生まれ。6歳よりピアノを始める。アイダホ大学では音楽と哲学を専攻。2000年『地球交響曲第四番』にフィールドの『ノクターンNo.1』が、2004年『地球交響曲第五番』ではバッハの『プレリュード第一番』とパッヘルベルの『カノン』が挿入曲として使われた。彼女の音楽の源泉である、アイダホの自然環境保護運動においても中心的な役割を果たしている。


撮影場所:アメリカ・アイダホ州

ロジャー・ペイン Roger Payne

もう60年も昔、ニューヨーク、マンハッタンの高層ビル街を、上ばかりみて歩くひとりの少年がいました。
チェロを弾くその少年は、時折、空を横切るカモメを鷹であると信じ、
いつか自分も鷹になってこの谷間を飛び出し大自然の中を羽ばたきたいと夢見ていました。
少年は長じて世界的な海洋生物学者となり、ザトウクジラが歌を唄うことを世界で初めて発見し、
その歌声を惑星探査機ボイジャーに乗せて、まだ見ぬ宇宙人に向けて送り出したのです。

全ての鯨達は、人間と同等の深く複雑なシワの刻まれた大きな脳を持っています。
ということは、人間と同等の複雑な精神活動(人間の場合知性)ができることを意味しています。
しかし、彼らは、人間が“知性”に依って進歩させて来た“技術文明”は全く持っていません。
だとすれば彼らは、その高い“知的”能力を何に使っているのでしょうか。それが、鯨達に関する最大の謎であり、神秘です。
彼らは“音”で世界を見、“音”で世界を理解して生きている我々の仲間、哺乳動物です。
シロナガスクジラはわずか3頭いれば世界一周の交信ができます。シャチ、イルカは超音波を駆使して海の自然を克明に理解し、“音”で網をつくって魚を捕らえます。
そんな彼らが歌う“歌”があります。
その“歌”の構造は、人間がつくる“音楽”の構造に非常によく似ています。彼らはいったいなにを“歌”っているのでしょうか。
40年間、鯨の生態研究を続けて来たロジャー・ペイン博士がその謎に迫ります。
撮影はバーモント州の自宅とマサチューセッツ州ケープアンで行い、調査船オデッセイ号にも同乗してザトウクジラと遭遇しました。

<ロジャー・ペイン プロフィール>
1935年、ニューヨーク生まれ、ハーバード大卒、コーネル大で“音で世界を見る動物”コウモリやフクロウの研究で博士号を取得。1967年、初めてザトウ鯨と出会い、鯨と海の環境保護をすすめる団体、“Ocean Alliance”を設立。当時彼が出版したCD「ザトウクジラの唄」は、出版数1000万枚以上。調査船「オデッセイ号」に依る海洋調査航海は延べ100回を超える。2005年、5年間に渡るマッコウクジラの体内に蓄積するPCB汚染の調査を終え、間もなく結果を世界に公示する。

撮影場所:アメリカ・バーモント州、マサチューセッツ州(ケープアン)

ラヴィ・シャンカール Ravi Shankar

かつて、あるアメリカの生物学者がこんな実験をしました。
全く同じ条件で育てられる三本の同種の植物に、それぞれ、ロック音楽、バッハの室内楽、ラヴィ・シャンカールのシタール演奏を聴かせ、その成長ぶりを観察したのです。
結果は驚くべきものでした。ロックには背を向け、バッハへは蔓を伸ばした植物が、
ラヴィ・シャンカールの音には圧倒的な反応を示し、スピーカーに巻きついてしまったのです。

バイオリンの名手、故ユーディ・メニューインは、ラヴィ・シャンカールのことを「20世紀最大の楽聖」と評しました。ビートルズの故ジョージ・ハリソンは、シャンカールの音楽に触れて深く目覚め、一介の弟子となって一年間の修行生活を行いました。
若くしてヨーロッパ文明の洗礼を受け、15才の時、インドに帰って、10年間、師に全てを捧げる苛酷な修行生活を送り、常にインド数千年の叡智に立ち還りながら、西洋近代文明との橋渡しを続けて来たラヴィ・シャンカール。2005年、84才になったラヴィ・シャンカールは、23才の娘アヌーシュカを伴ってワールドツアーを行い、  2日〜3日に一回という苛酷なスケジュールをこなしながら、21世紀を生きる世界中の人々に、ナーダ・ブラフマー=世界は音なり、というインド音楽の神髄を伝え続けています。

<ラヴィ・シャンカール プロフィール>
1920年インド・ワーラーナシー生まれ。67年国連人権週間で、ユーディ・メニューインと共演。60年代、モントレー、ウッドストックなどのフェスティバルに出演。ニューエイジの若者達から圧倒的な支持をうける。74年からインド音楽の原点に回帰する運動を開始。以後、世界の音楽家、政治家、経済人とも交流を深める。

(撮影場所:インド・ニューデリー)



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