第八番 制作日誌

2014年06月

06/
10

【撮影日誌】いよいよ「第八番」の編集が始まりました。

【撮影日誌】いよいよ「第八番」の編集が始まりました。

編集室のレイアウトやモニター、編集機など、
準備に手間取ってしまいましたが、素材も一通り揃って、
ようやく監督にも編集機に触れてもらえるようになりました。

まず最初に「阿古父尉(あこぶじょう)」の能面が復活していくパートから、
編集が始まりました。

いままで撮影してきた素材を、
丁寧に見直し、じっくりと吟味しながら、
その場面に合いそうな最良の映像を取り出していきます。

作品がどのような流れに仕上がっていくかは、
編集をしていく中で徐々に見えてくるので、
ピックアップした映像を何度も見たり、
映像のバックに別のシーンの音を流してみたり、
編集中に音楽を流したりして、試行錯誤を繰り返しています。

その中でも最初に編集を始めたところ、
作品の冒頭になるかもしれないという場面で、
映像がズームしていく長さと、監督の選んだ音楽の長さが、
奇跡的にピッタリと合うということがありました。

これから始まる編集の何かの前触れではなかろうか?
編集をやっているとこういうことが起こってくる、
と、監督もその出来事にとても喜んでいました。

監督は編集をしていると、
時間が過ぎるのも忘れてしまうほど集中しています。
全体の構造から、それぞれの映像の意味、出演者の言葉、
音楽のことなど含めて、たくさんのことをイメージしているようです。
まだ始まったばかりですが、つないでいく映像がどう変わっていくのか、
楽しみにしていてください。

(助監督 池田剛)

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06/
03

第八番に向けてのカウントダウン上映会5/31(土)「第三番」:星野直子さんからのメッセージ

第八番に向けての第三番上映会 ∞ 星野直子さんからのメッセージ

去る5月31日、明治神宮での第八番へのカウントダウン上映会 で、「第三番」が上映されました。五月晴れのもと、明治神宮の爽やかな空気に包まれた会場は、満席になるほどの方々にお越しいただきました。
本当にありがとうございます。

本来ならば、星野直子さんをゲストにお招きする予定だったのですが、やむを得ないご事情で、アラスカからメッセージを頂戴する事になりました。
「第三番」のエンディング映像の直後、そのメッセージはスクリーンに映し出されました。
そこには、18年という歳月が長くもありまた短くもあったであろう直子さんの心の模様が、しっかりと映し出されていたように感じました。

その後の第二部では、龍村監督が生前の星野道夫さんの姿を描いた番組映像が、一部上映されました。そこにも、きっと今も変わらないまっすぐに自然と対峙する星野さんの姿が焼き込まれていました。

そんなお二人の姿に何かを受け取ったのでしょう、
龍村監督の口から「第八番」の編集にあたり、またもやシンクロニシティーがあった事など、まったく予定になかった話がこぼれ出てきました。
そしてさらに「第八番」の出演者の一人、能面打ちの見市泰男さんも登壇され、今回600年の時をへて復元された面「阿古父尉(あこぶじょう)」の撮影時にまつわる秘話などを伺う事ができました。

この日上映された「三番」の魂が「八番」にも脈々と受け継がれている事を実感させてくれる一時でした。

次回は、7月12日(土)に名嘉睦稔さんをゲストに迎え「第四番」が上映されます。
さらに前に進んでいるであろう「八番の」姿が顕われている事を、是非楽しみにしていて下さい!

∞星野直子さんからのメッセ-ジ∞

※2/1(土)「第一番」トークの様子はコチラ
※3/8(土)「第二番」トークの様子はコチラ

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2014年05月

05/
28

5/28「ガイア三番」トリヴィア#10(最終話)もうひとつの時間

5/28「ガイア三番」トリヴィア#10(最終話)

#10(最終話)もうひとつの時間

1997年8月
「第三番」の編集作業も終盤にさしかかったある日のことです。
フィルムの編集を終え、さらに字幕、音楽、音入れもすべて終わり、後は最終的な音のバランスの調整をとるのみ、という所まで漕ぎ着けました。
ここに至るまで、数えきれないほどの試行錯誤が繰り返され、またそれを乗り越えて来たはずでした。ところが今、あるシーンをめぐりスタジオでは龍村監督を中心に議論が交わされていました。

そのシーンは、この映画の序盤に姿を現し、そしてさらに終盤で再び現れる一見同じシーンなのですが、二つは何かが違っているのです。なぜなら、その間に描き込まれた様々な物語があるからこそ、再び現れたそのシーンは同一に見えこそすれ明らかに次元は違っているものでした。
議論の矛先は、その事をどう表現するのか…。

そこで慎重に見極められたのが、“ある音を残すか否か”でした。

今思えばそれは、星野さんが事あるごとに思い描いた“悠久の時のながれ”を、その写真や書物でどうやって伝えようとしたのか、という事へのひとつの答えだったのかも知れません。
フリーマン・ダイソンが問うた生と死、ナイノア・トンプソンが求め続けたビジョン。是非、「第三番」の中で“悠久の時のながれ”を感じ取って頂ければと思います。
そこには、目には見えない耳には聞こえない、時が刻まれています。

《人間にとって、きっとふたつの大切な自然があるのだろう。ひとつは、日々の暮らしの中で関わる身近な自然である。それは道ばたの草花であったり、近くの川の流れであったりする。そしてもうひとつは、日々の暮らしと関わらない遥か遠い自然である。そこに行く必要はない。が、そこに在ると思えるだけで心が豊かになる自然である。それは僕たちに想像力という豊かさを与えてくれるからだと思う。》 
星野道夫著『長い旅の途上』より

※今現在も、悠久の時は刻まれています。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
27

5/27「ガイア三番」トリヴィア#9ワスレナグサ

5/27「ガイア三番」トリヴィア

#9ワスレナグサ

1996年7月、新宿御苑のカフェテラス
星野さんがカムチャッカへ旅立つ直前、龍村監督と共に後に始まる旅の構想を話し合った一時があります。
それはお互いのイメージを、生身で共有し合う事ができた、最後のひと時でもありました。

その際、一冊の本が星野さんから手渡されました。
それは、表紙の見開きに
“アラスカでお会いしましょう”
と書かれた著書『旅をする木』でした。
私たちはこの言葉に導かれ、一年近く掛けてこの旅をしてきたのかもしれません。そして、この本の最終章に記されている「ワスレナグサ」の章まで、やっとの事で辿り着いたのです。

1997年6月
海に沈み行く太陽の光の中で、強い風にあおられながら凛と咲いているワスレナグサを撮影していました。
この場所は、アラスカではありません。
スケジュール、予算、様々な理由から、今このタイミングで野生のワスレナグサが撮影できる場所を探した結果、ここに行き着いたのです。
それは期せずして、新宿御苑で二人がイメージした、“この旅の終着の地”でもありました。
ここは日本の北、青森です。

当初、この旅の終わりには“青森の三内丸山遺跡に一緒に立っている”という姿が、星野さんにも監督にもうっすらと、でもしっかりと共有されていたモノでした。
それは、ベーリング海を挟んで行き来した数千年前の人類の足跡を辿る旅でもあったのかもしれません。
そして、その道案内役が、ほかでもないワタリガラスだったのです。

我々の四度にわたるアラスカやカナダでの撮影も、常にワタリガラスの気配に誘われ、その影を追っかけてきた日々だった様に思います。
そして知らず知らずのうちに、この地に導かれてきたのです。

この時のワスレナグサのカットで、第三番のクランクアップとなりました。

※あの時、新宿御苑で手渡された『旅をする木』は、その後の撮影の旅の途上で、こつ然とその姿を消しました。生身の本はありませんが、そこに書かれた言葉たちは、未だ旅を続けています。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
26

5/26「ガイア三番」トリヴィア#8春ですね…

5/26「ガイア三番」トリヴィア#8

#8春ですね…

「春ですね…」
星野直子さんは、窓の外にフッと目を向け、そうささやいた。

シシュマレフ村での撮影を終えフェアバンクスに再び戻って来た時には、明らかに季節が前に進んでいるのが感じられました。それはほんの数日間だったのに、星野さんの自宅に続く道にはワイルドフラワーの花が咲き始めようとしていました。

1997年4月7日
今回のアラスカロケの最後に、直子さんにお話を伺わせて頂きました。
まだ、内面的にも色々な意味で整理が着いていない事は想像されましたが、あえて今のお気持ちを聞かせて頂いたのです。
監督の他、最小限のスタッフだけを部屋の中に残し、インタビューは始まりました。

その間、私は翔馬くんのおもりを屋外でする事になりました。 屋根に積もった雪が少しずつ融け、かすかな水音となって聞こえてきます。その音に興味津々の彼は、時折その雪が屋根から滑り落ちてドサッと音をてるのを見て、声をあげてはしゃいでいました。
ささやかですが、まだ幼い彼と二人で春の訪れを一緒に祝うひと時でした。

ちょうど、部屋の中で直子さんのあの一言が発せられたその時、窓の外にいた彼にもその言葉がきっと伝わってきた事でしょう。
その後の彼の人生は、私には知る由もありませんが、ある意味、普通の環境と違った事に思い悩まされた事もあると思います。
そんな彼も、今ではもう何回となく春の訪れを迎えてきた事でしょう。
そしてこれからも、春は訪れてきてくれます。

「春ですね…」

※この2年半ほど前、同じこの場所で池澤夏樹さんと龍村監督が星野道夫さんにインタビューをしています。その時、星野さんはアラスカの春の訪れを愛おしむように語ってくれました。
『それは本当に感動したっていうか…。それまでなんにも川は動いてないんですね、それがボーンていう音がして一斉に川がドーって動き始めるんですね。静から動へ移っていくなんか季節感っていうか、信じられないシーンでしたけども…』

この時に制作された映像作品の一部は、5月31日の「ガイア三番」
上映時に、特別公開させて頂く予定です。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
23

5/23「ガイア三番」トリヴィア#7もっと低く!

5/23「ガイア三番」トリヴィア#7

#7もっと低く!

「もっと低く!」
ドン・ロスが操縦するセスナに、撮影しながら並走するヘリコプターからのリクエストが無線で伝えられる。

北米最高峰の山マッキンレーを抱く雪原を、龍村監督を乗せたドンのセスナと、赤平カメラマンを乗せたヘリが低空で過ぎ去っていきました。
セスナには、そもそも暖房機能はついていません。ヘリの方といえば、防振機能着きのカメラマウントを装着するため扉は外され、外気が直接機内にも吹き込んできます。4月とはいえ、体感はマイナス数十度の世界。数百キロで飛行を続ける二機の撮影は、離陸から3時間にも及びました。

「この速度で、この高度を保つのはもう限界だ、ジン」とドンが監督に告げた時には、その目前に山がそびえ立っていました。ヘリの速度に合わせるため、失速ギリギリのスピードで低空飛行を保っていたドンのセスナは、次の瞬間スロットルを大きくふかして上昇旋回していきました。

“何をそこまで粘って撮影していたのだろう?”
この空撮で、ドンが操縦するセスナの飛行シーンを様々なアングルやシチュエーションでヘリから撮っていたのは想像できます。
が、この最後に撮ったシーンはいったい何をねらっていたのだろうか?
龍村監督は、あえてオールラッシュ(現像したフィルムを始めて見る試写)まで、その事には触れませんでした。

帰国数日後のオールラッシュ、2日間に分けて今回撮影してきたフィルムのすべてを撮影順に試写していきます。フィルムには、ビデオの様に音は入っていません。
無音の試写室で、次々と数日前に起こったシーンが甦っていきました。
そして、あの空撮シーン。
スクリーンに映し出されたのは、飛行するドンのセスナの姿ではありませんでした。
そこには、まるで生き物のように雪原を飛んでいる、セスナの“影”が映し出されていました。
やがてカメラは、“影”から“生身”のセスナへとパーンアップされていきます。

“あぁ、これが撮りたかったのか…”
不思議と腑に落ちる感覚が、そこにはありました。

光と影、この一対の世界のあちらとこちらを撮影し続けてきたこの数ヶ月。
その象徴的なワンシーンとなりました。

※セスナでの撮影中その寒さ故一番困ったのは、トイレ事情。と、撮影を終え帰ってきた監督が一言。 その苦難が、まさか自分に回ってくるとはその時思ってもいませんでした。
それは、シシュマレフ村まで撮影に行った時の事。星野直子さんと翔馬くん、そして撮影隊を乗せた飛行機が村にやって来るシーンを撮るべく、ドンのセスナで先回りする役目を仰せつかり、6時間の飛行をする事に。途中給油のための寄港はあったものの、もうギリギリでした…。
でも、特別な機内食をドンから分けて頂きました。それは、のり巻きおにぎり。
そう、ドンの奥さんは、日本人だったのです!

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
22

5/22「ガイア三番」トリヴィア#6オーロラと彗星とワタリガラスと

5/22「ガイア三番」トリヴィア#6

#6オーロラと彗星とワタリガラスと

1997年3月末、ヘール・ボップ彗星が地球に最接近した頃、撮影隊の姿はアラスカ・マッキンレー山の麓に位置するルース氷河にありました。
「子供たちに厳冬期のアラスカを体験して少しでも何かを感じてほしい」という思いで星野さんが提唱したオーロラクラブのキャンプに同行撮影させて頂いたのです。
ルース氷河は、星野さん自身も撮影に何度も訪れているポイントであり、子供たちを安全に導ける数少ない場所です。
とはいえ、ここはアラスカ。唯一の交通手段は、山あいの一面雪に覆われた氷河の上に不時着するようにセスナで渡って来るしか方法はありません。

その日はよく晴れ渡り360度見渡す限り真っ白。生き物の気配を全く感じさせない、唯一風の音だけが何かの気配を感じさせてくれるものでした。
昼間、星野さんがここに来たならどんな事をするだろう?
そんな思いで、愛用の品々を我々の手で撮影させて頂きました。
夕方、太陽が山陰に近づくにつれ、西の方から山々の影が駆け足でこちらに向かって来るのが分かりました。そしてあっという間に我々のキャンプ地を白から黒色に染め上げていきます。その白と黒のボーダーラインが私たちを通過するや否や、身震いするほど身体の芯から冷やされていくのが分かりました。

その夜、ヘール・ボップ彗星の撮影に挑みました。長時間露光のコマ撮り撮影のため、1カットの撮影に時間を要します。数時間ねばって撮れるのは2〜3分程度。その間、カメラのそばでちゃんとシャッターが切られているかどうか見張ってなければなりません。徐々に我々も凍り付いていきます。
そんな時の事でした。東の空に、もやもやとした何かが動いているのです。
オーロラです。
見る見るうちに色が現れ、こちらに近付いてきます。でも今は、彗星の撮影中、すぐにはカメラを移動できません。
そこで勝手に願ったのは、オーロラさんに彗星の方に来てもらう事でした。 その願いがかなったか否か?それは、三番の冒頭をご覧下さい。

そして、明くる朝にも思わぬ出来事が!
日の出とともにテントの外の様子を見に出た赤平カメラマン。いきなり外から息をころしたような声で、でも気持ちだけは大声で叫んでいます。
「カメラ、カメラ!」
あわてて、カメラを抱えて赤平さんの元へ。
昨日、星野さんならこのルース氷河でいったいどんな風に過すだろう?
というイメージを持ってカメラを向けたその場所に、今朝、思わぬ光景がありました。

“どうして、こんな事があり得るのだろう?”
よければ、少しそんな事を想像しながら3番をご覧頂ければ、また何か違ったものが見えてくるかもしれません。

※赤平さんの声で、あわてたテントの中にいた撮影助手さん。急いだのでしょう、何を思ったのかフィルムのマガジン(ケース)を開けてしまったのです。それは、昨夜苦労して撮った彗星の撮影済フィルムでした。きっと、身体の芯から凍り付いていたのかも知れません。気持ちも凍り付いた一瞬でした。
が、帰国後すぐに現像されたフィルムには、皆の安堵の色が映っていました!

次にヘール・ボップ彗星が戻ってくるのは、4530年ごろだと考えられているそうです。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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21

5/21「ガイア三番」トリヴィア#5夕日のオルカ

5/21「ガイア三番」トリヴィア#5

#5夕日のオルカ

星野さんの訃報を受けたのは、ガイア3番のクランクインをその一週間後にひかえた日の早朝のことでした。
3番のコアになる星野さんの姿なしに、この映画は成立するのか?
フリーマン・ダイソンの撮影を目前に控え、龍村監督の中でも物理的な要因だけではない、様々な葛藤が渦巻いている事は容易に想像されました。
そして導き出されたのが、“少しでも前に進む”という事でした。
その時の心境は「龍村仁・出演者を語る」の第三巻:心に描く/イマジン編で詳しく語られています。

ともあれ我々は、予定通り成田を発ちカナダ・ブリティシュコロンビアのハンソン島を目指しました。長年にわたりオルカの研究を続けるポール・スポング博士の住むこの島は、フリーマンと息子ジョージにとっても記念すべき場所だったからです。
詳細は『宇宙船とカヌー』(ヤマケイ文庫)に描かれています。

今思い返すと、その道程で目にしていた様々な景色が、スローモーションのように感じられていたのを覚えています。
飛行機から見えた霧に煙るブリテッシュコロンビアの沿岸水路に点在する島々、スポング博士の小舟で海原に揉まれながら垣間みた波間に飛ぶ水しぶき、なぜか時がゆっくりと過ぎていく、そんな感じがしていました。

ある日、ハンソン島から更に先の無人島にまで足を伸ばし、撮影に行った時の事でした。
そこはその昔、ネイティブの人々が住んでいたという島でした。今では覆いつくされた草木の向こうに、人間が手を加えたであろうと思われる住居の痕跡がわずかに見受けられる程です。それも言われなければ見過ごしてしまう様なかすかなものでした。
でも、フッとした時に“何かにみられている”そんな感覚がよぎります。

後に、星野さんの足跡を辿りカナダ北部のクイーンシャーロットにまで撮影に行く事になるのですが、そこでも同じ感覚がよぎったのを覚えています。ネイティブのハイダ族が暮らしたその土地も今は無人となり、自然のまま朽ち果てていこうとするトーテムが並ぶクイーンシャーロットは、それ自体が世界遺産登録の場所ですが、ここはそんな記憶にすら残らない場所だったのかも知れません。ただ、同じ感覚を覚えたのだけは確かです。
まるで、どこかでブラックベアーが我々を見ている様な…

そんな感覚を身体に残したまま、一路ハンソン島に向け帰路についていました。
夕日が西の空から、オレンジ色の光を凪いだ海に映していました。
静かに静かに進む船の上で、ある時、急に電話の音が鳴り響いたのです。
それは、スタッフの一人が持っていた海外使用の携帯電話の呼び出し音でした。
今のように通信環境が整っていない当時、この電話が鳴ると言う事は、何か急な知らせだと言う事はすぐに分かりました。
龍村監督の手に携帯が渡され、ある訃報が伝えられました。
ガイア黎明期からの大切な仲間が、この世を去ったという知らせでした。
周りに人の気配すら感じないこんな静かな海の上で、何千キロも離れた場所から一瞬にして人の死を知らせる連絡が入る。
この意味の答えを探すように、あてどなく夕日に包まれた海を見ていたその時、船の舳先に一筋の水煙が夕陽に一瞬輝き、そしてすぐ消えていきました。

一頭のオルカが潮を吹いたのです。
それからしばらくの間、そのオルカの潮吹きの音と背びれが水面に上りまた沈んでいく、その単調な繰り返しが続いたように思います。
まるで、我々に寄り添ってくれているかの様に…
実際にはいったいどれ程の時間だったのでしょう?
それはまるでスローモーションの世界に飛び込んだ様な、この旅の始めから感じていた時の刻まれ方の答えだった様な気がします。
フリーマンが語るタイムスケールの話、宇宙が持つ心の話、その科学的な根拠が数式ではなく、感覚として伝わってきた一瞬でした。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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20

5/20「ガイア三番」トリヴィア#4ナイノアのインタビュー

5/20「ガイア三番」トリヴィア#4

素晴らしいニュースが飛び込んできました。
去る5月17日に、あのホクレア号が世界一周の航海に向けハワイ・オアフ島を出港したそうです。総航海距離は約8万キロ、26カ国、65の港に寄港し、3年後の2017年にハワイに帰還するそうです。旅の成功と安全を祈らずにはおられません。
そのプレスカンファレンスでナイノア・トンプソンは「機は熟した!」と、まず語ったそうです。
(詳細はポリネシア航海協会まで)

#4いナイノアのインタビュー

思い返せば1997年2月、ハワイの何処かの海の上にいるナイノアを尋ねる、という所から撮影の旅が始まりました。しかしその旅は、成田空港を発った我々の飛行機がエンジントラブルで引き返すという波乱の幕開けでもありました。そして約半日遅れでハワイに着いた所から、ナイノア探しの旅が始まったのです。

この時の様子は、DVDシリーズ「龍村仁・出演者を語る」の第一巻:見えない糸/シンクロニシティー編で詳しく語られています。

ナイノア自身、自分だけがフュチャーされると言う事をあまり好まず、常に周りとの関係に重きをおく、そんな素顔を持った人でした。それは人間関係だけをさすのではなく、この大自然との関わりを含めた、彼独自の感覚。決して表に立たず、いつも最後まで何かを見守っている様な…。
なので、最初の頃はカメラを向けるとスッとフレームを避けるように行ってしまったりという事もありました。さらに、南の島特有のハワイアンタイム!?約束した時間に現れたためしがありません。

ある時こんな事がありました。前もって伝えておいた場所で我々が待っていると、めずらしく約束の時間通りに向こうの方からナイノアが歩いてきたのです。手を振ると、ナイノアも応えてくれます。が、そのまま我々の前を素通りして行くではありませんか?彼の姿はブッシュの中に消えて行ってしまいました。しばらくして、姿を表したナイノアに我々の視線が集中すると、彼はこう言いました。
「みんな、ここで何をしているの?」
そうです、彼はこの時間にここで落ち合う約束を、すっかり失念していたのです。想像するに、ただ用を足しに行く途中に我々に会った、という事なのでしょう…。
自然まかせ、まさに“いナイノア・トンプソン”。
今となっては微笑ましい思い出です。

そんな彼に、撮影も終盤にさしかかった頃、ある大切な内容のインタビューを撮る機会が訪れました。ナイノアにとっても撮る側の我々も、そのセンシティブな部分に触れることの意味する何かは、おいそれと聞いたり話したりできる事ではないと十分理解しています。
そこで、龍村監督はこんな事を考えていました。
“カメラもスタッフもいない状態でのインタビュー”
“でも、どうやって…?”
その答えは、よければ映画の中で探してみて下さい。
そこには、彼が本当に心からリラックスできる聖地で、ナイノアの口からつむぎ出された言葉が映っています。

※インタビューの語源には「お互いに(Inter)見る(View)」という意味があるそうです。その存在を消したカメラに納められていたこの後ろ姿には、まさにナイノアと監督とが対峙し合った時間が映されていました。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
19

5/19「ガイア三番」トリヴィア#3ロード・ムービーの扉

5/19「ガイア三番」トリヴィア#3
#3ロード・ムービーの扉

それは、小雨の降る薄暗い日の午後でした。
フェアバンクスから空路シトカへ移動してきた撮影隊は、雨にも濡れ寒さと少しの疲れをまといながら、ひとまず抱えた機材や荷物とともに宿に入りました。
たしか、その宿の名前は「ポトラッチ・イン」。
少し怪しげな雰囲気を漂わせる古びたモーテルでした。
ここで、あのボブ・サムに会う約束だけを取り付け、はるばるやってきました。

いよいよ「ワタリガラスの伝説」の世界に足を踏み入れた、そんな感じがしていました。
当時まだ月刊誌に連載中だった『森と氷河と鯨』の全切り抜きを握りしめ、その未完になってしまった次のページを知るために、ここまでやってきたのです。
その冒頭に描かれている星野さんとボブの出会いのシーンを思い起こしながら、いつ現れるかも分からないボブの姿を、小さなフロントで待ち続けていました。
でもその時の訪れは、意外なほどあっけなくやってくるものです。
ほぼ時間通り、目深にベースボールキャップをかぶった男がフロントのガラス扉を開けて入ってきました。
それが、あのボブでした。

龍村監督との短い言葉のやり取りで、我々が何をしにきたのか、そして先の分からぬこの旅がどこに向かおうとしているのかを、お互いが分かち合った様なひと時でした。
そう言えばこの撮影の旅では、我々スタッフ同士で交わされる言葉も、いつになく少なくなっていた様な気がします。
初めて辿り着いた場所で、初めて見聞きするものをフィルムに納めていく、そしてまたその繰り返し。
きっと旅のその途上に立っている時は、その先に続く道の事を想像はすれど、分かりもしていないものなのでしょう。
それがロード・ムービーなのかも知れません。

※スタッフの一人が夜中に極度の金縛りにあい、やっとの思いで私の部屋の電話に助けを求めてきました。しかし私自身も体調を崩し寝込んでいる最中、何もできません。すぐさま龍村監督に助けを求めたとか…
おそるべし、「ポトラッチ・イン」

(ラインプロデューサー・西嶋)

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16

5/16「ガイア三番」トリヴィア#2こだまの返事

5/16「ガイア三番」トリヴィア#2

#2こだまの返事

今回の撮影では、星野さんがフィールドで愛用していたものをお借りして、それらと共に旅を重ねていきました。

・コーヒーマグ
・毛糸の帽子
・ランタン
・湯沸かしや煮炊きに使うバーナー
・テント
 等々

手に取ると、どれも大切に使い込まれてきたその証しがしっかりと伝わって来るものばかりです。 これらのグッズは、映画の中でも度々登場しています。
まるで今しがた、そこに星野さんがいたかの様に…

それは、ドッグマッシャーのメアリー・シールズの撮影の時でした。
メアリーに雪原を何度か犬ぞりで走ってもらい、その撮影も一段落。
犬たちは走ったばかりの荒い呼吸をしながら、暑いと言わんばかりに顔を雪の中に突っ込んでしばしのブレイクをとっていました。
おもむろに龍村監督、この雪原で何かの気配を感じたのでしょうか?
手にしていた星野さん愛用の毛糸の帽子を、近くの枯木に何気に引っ掛けたのでした。
その動きを察した赤平カメラマンがカメラを向けてそれを撮影しようとした、その時でした。
雪に顔を埋めていた犬達が一斉に立ち上がり、遠吠えを始めたのです。 何とも人の心を切なくさせる響が雪原を駆け抜け、こだまとなって帰ってきます。 メアリーもスタッフも、ただただ黙って枯木にかけられた帽子の方向に目を向けていました。
でも、帽子を見ているという感じではなく、帽子のその背後に広がる薄ぼんやりとしたもっと大きな風景を見ていた様な気がします。

こだまに乗って何か返事が返ってくる様な、そんな気にとらわれていました。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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5/15「ガイア三番」トリヴィア#1ビル・フラーの静寂

5/15「ガイア三番」トリヴィア#1

来る5月31日(土)に「第三番」が明治神宮の参集殿で上映されます。

初めてご覧になる方もいらっしゃると思いますが、きっと今までに多くの方々が色んな思いを持ってこの映画をご覧になったと思います。
そこで、今回の日誌では「第三番」の制作時にまで記憶を遡り、スクリーンには見えない、でもその背景に感じて頂けるかもしれない事を少しだけ綴っていきたいと思います。

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#1ビル・フラーの静寂

1996年9月

アラスカ・フェアバンクスに降り立った時には、もうすでに初雪が舞っていました。
つい1週間ほど前、亡き星野さんを送るメモリアル・サービスがこの地で行われた時には、澄み渡った青空と萌えるような紅葉があたりを覆っていたのがウソのようです。そしてその夜に初めて見たオーロラが今でも忘れられません。
この数日で、足音も無く、でも駆け足で冬がやってきていました。
そんな中、静かにガイアの撮影も始まりました。
今回会う方々は、メモリアル・サービスで初めて会った方々ばかりです。
でも、星野さんの本の中では何度も会っている、そして今この時を我々と同じ思いで迎えている方々ばかりでした。

まず最初にお会いしたのは、ビル・フラーでした。
70歳を過ぎても水道を持たないその生活は、窓の外を舞うかすかな雪や、木の葉のわずかな動きも感じる様な、静かな佇まいでした。

ゆっくりとそして一言一言、愛おしむ様に言葉を発するビル。
その言葉と言葉の間に散りばめられた、一瞬の静寂。
その「静寂」が、なんとフィルムにも映っていたのです。

それは、後にフィルムを現像して初めて分かった事なのですが、
そこにはカメラが回っている音が、かすかに聞こえているのです。
正確には、静寂の音ではなくカメラの音です。 でもその音は、ビルが発する大切な言葉の中に宿る「静謐さ」故の何かとしか思えませんでした。

静寂の中、カメラは自然とビルの手元にパーンしていきます。
そのレンズの先には、
「幸せは その中に悲しみを内包しています」
という、ビルの言葉がありました。

※ 映画の中でビルが歌う「You are my Sunshine」のハモりパートを歌っているのは、龍村監督です!共に歌う二人の目には、一粒の輝くものがありました。

2007年、ビル・フラーはこの世を去りました。

(ラインプロデューサー・西嶋)

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05/
13

【事務所だより】5/13監督の自然治癒力

【事務所だより】5/13 監督の自然治癒力 

約1年前に監督がぎっくり腰になった事は、いろいろな所で 
本人が話しているので既に御存知の方も多いかもしれません。

それは去年4月17日の朝、2日後に迫った能楽堂での撮影への 
ゲネプロ(リハーサル)という大事な日に突然のぎっくり腰発症! 

本当ならば最低数日間は絶対安静ですが、
こればかりは監督なしでは進みません。
「絶対やりきる」と脂汗を流しつつタクシーで現場に向かい、
2日後の本番も、杖をつきながら無事に撮り終えました。

翌日は明治神宮での連続講座、翌週以降も講演会・ロケ下見と
安静などろくにとれぬまま、鍼治療で乗り切っていった監督・・。 

今は笑って語れるエピソードになっていますが、
当時は「監督にもしもの事があったら・・、 
第八番はこれで終わりかも・・・」 と、皆が青ざめた事態のひとつでした。

数ヵ月後には日常生活ほぼ支障なし、自転車にも乗れるほど回復して
スタッフ一同ひと安心、監督も一息つけるスケジュールの合間を縫って
人間ドックで精密検査。 

すると、監督の背骨は圧迫骨折状態だった事がレントゲンで判明!!
画像の赤丸内、骨の間の椎間板が 
潰れてしまっているのが、わかるでしょうか・・ 


人間ドックから帰ってきて 
「いや~、背骨、折れてたよ!」と言う監督は 
何故か少し嬉しそう…  
「縄文時代なんかだったら、骨折したってレントゲンとかで 
わからないから、こういう風に皆自分で治してたんだよな~」と 
自分の自然治癒力を実感した模様・・!? 

監督によると徐々に自転車に乗っていた事が 
腰に一番良かった、との事。 確かに 
『 自転車独特の動きがインナーマッスルである大腰筋を鍛え、 
腰痛解消に抜群の効果を発揮する  』 と、 
解説しているサイトなどありますので、そうだったのでしょう。 

自転車を体の一部のように愛用してきた監督、 
今回はまさにピンチに陥った監督の治癒力を手助けする盟友でもあったようです。 
(制作デスク:石亀) 

冬の間、愛車を制作室で「ひなたぼっこさせる」と言っていた監督


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2014年04月

04/
30

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・後編

【撮影日誌】4/20 春の室根山 

5)室根山を望む 

昨年10月に室根神社大祭(4年に1度)を撮影したところを 
桜のつぼみ越しに春の室根山を撮り終えて、クランクアップ!

 
私はロケ撮影にほとんど立会っていないので今回は現場を経験でき、
何かと興味津々でもあり、また緊張感も走る2日間でしたが、
帰りの新幹線ではぐっすり寝てしまい、監督に帽子で頭を叩かれ 
目覚めた次第です。夢の中では撮影シーンだけではなく 
夕飯のあと部屋飲みで、岩手出身のカメラマンが海鞘(ホヤ)を 
さばいてくれてご相伴に預かったことなども。 
「海鞘にはビールだ!」と云うことご存知ですか。

撮影スタッフのみなさん、ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
第八番完成時には乾杯したいものです。
(第八番担当プロデューサー恩田映三) 

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04/
25

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・中編

【撮影日誌】4/20 畠山さんとあずさ丸 

3)西舞根(にしもうね) < 畠山さんのカキ養殖場 > 

  
監督:今回の春の甦りの撮影を終えると編集に入るんです。  
畠山:編集が大変なんですよね? 
監督:80時間ぐらい撮影したものを観ながら2時間に構成するのです。 
   最近やっと音楽が聞こえてくるようになってきたので
   まさに編集スタートかなと思っています。 
畠山:風が少し弱まってきたのでそろそろ、 
   あずさ丸(和船)で海へ出ますか。 

4)あずさ丸船上の畠山さんと孫たち 

 
畠山さんは孫たちに何故「あずさ丸」と言う名前か分かるかな? 
この櫓がね、「あずさ」と言う木で作られているからだよ。 
そんな話から櫓の漕ぎ方の説明になり、先ずは年上の子が漕ぎ始めました。 
船上で揺られながらカメラを回すスタッフを、
私も足場が不安定ながら何とか写真に収めました。 
  (第八番担当プロデューサー恩田映三) 

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04/
24

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・前編

【撮影日誌】 4/20 撮影開始から気仙沼ロケまで 

2年前の2012年5月21日の金環日食のとき、
監督は太陽の活動が気になっており先ずは撮っておこうと、
奈良吉野の天河神社と大都会東京中野のビル屋上より 
それぞれの金環日食を撮影しました。 

その後、監督は東日本震災後の「真の復活とは?」と思う中で 
「第八番」ではその「真の復活」、「魂の甦り」を問うことを決意し、
1年後の5月26日に明治神宮・参集殿にて「第八番」制作宣言を行いました。

そして2年に亘る第八番の撮影もいよいよ大詰めとなりました。 
今回の撮影は気仙沼で「春の甦り」がテーマです。 

1)せせらぎ公園(大川べり)  
桜の開花が東京より2・3週間遅く、 
ちょうど今回満開のタイミングとなりました。 
この撮影器具(手動クレーンとでも言うのでしょうか)で 
上下左右スムーズに動き回っていました。 
モニターを覗いてはいませんが 
  気持ちのいい桜と川のせせらぎを想像します。 
 

 2) 神山川べりの桜並木

カメラの先は土手の両サイドに桜並木があり、 
まさに桜のトンネルでした。(お楽しみに) 
撮影スタッフは前日にロケハンしているので、カメラ位置など 
手早いセッティングですぐにカメラが回ります。 
しかし、少しでもモタモタするとピリッとした言葉が飛んできます。 
淡い桜の下ながら緊張の撮影でした。  
(第八番担当プロデューサー恩田映三) 
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04/
24

【事務所だより】4/23(火)祝!監督お誕生日

4/23(火)祝!監督お誕生日
4月23日(火)、スタッフ+αで監督のお誕生日会を開催しました!

お子さん達からのプレゼントは「歌舞伎モンチッチ」
本当はお能がよかったんだけど、なかったから・・・と娘さんが言ってました。
そして、お父さん宛のお手紙も読んでくれました。
監督の満面の笑顔が印象的でした!

参加者からのお祝いの言葉が一周した後、監督も74歳になった自分の思いを語って下さいました。
・・・みんなの支えのおかげで、ここまで来れた。

との言葉に実感がこもっていました。

明けて4月24日。
74歳になったばかりの監督。
いつものコーヒー屋にいるところをお昼休みに発見したので撮ってみました。

第八番がどのような作品になっていくのか、これから楽しみです!
引き続き、応援よろしくお願いします!
(デスク・船見)

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04/
16

【撮影日誌】3/29 和船あずさ丸進水式

【撮影日誌】3/29 和船あずさ丸進水式

この日を待っていたかのように晴れ渡った空。
震災で流されてダメージを受けたあずさ丸が復活し、
早朝に舞根の海に到着しました。

復活の日を喜ぶように孫たちが集まってきて、
重篤さん信さんと一緒に櫓を漕いで、
少しの間、沖へ出ていきました。

着いたばかりのあずさ丸で、
親子3世代が一緒に船を漕いで行く微笑ましい風景に、
監督はとても喜んでおられました。

進水式は多くの人に見守られて始まりました。
神事が始まり、大漁旗がはためいて、多くのモチがまかれ、
監督もいくつかモチを手にしていました。
春の訪れを待っていたかのように、
皆が笑顔でその後の船出を見守っていました。

この進水式の撮影が入ったため、
尼崎で予定されていた「第八番」支援のための上映会に、
監督がやむを得ず行けなくなったため、進水式の日の午後は、
ガイア初のロケ地と上映会場の中継を行いました。

スマートフォンを使ったスカイプでの中継でしたが、
私が撮影していたこともあり、監督は会場の様子を目にできないながらも、
あずさ丸の上から現地の様子をお届けできました。
支援して下さる皆さんからいただいている想いが、  
「第八番」完成への力となっています。
(助監督 池田剛)

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04/
14

【事務所だより】4/14 クランクアップ間近

【事務所だより】4/14 準備OK !
ここ数日で一気に暖かく春らしくなった事務所周辺、
監督は先週金曜から関西方面へ5日間出張で不在。
今日14日は奈良の天河大弁財天社での春季例大祭に参加、
奉納能楽を堪能した事でしょう。

第八番ロケもあと一回を残しほぼ完了、
制作室では編集に備えて準備が着々と進行中。

( 助監督、プロデューサーが
機材のチェック中 )

この場所に監督が座って細部にまで精魂傾ける
編集作業がいよいよ始まります。     (制作デスク:石亀) 

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04/
02

【事務所だより】3/29 尼ガイア上映会

【事務所だより】3/29ガイアシンフォニー史上初の実況生中継!@尼崎
監督の講演を予定した第八番支援の上映会で進んできましたが、
同じ日に気仙沼でどうしても外せない撮影(ロケ日誌を読んで)が 
入ってしまい、尼ガイア会場に監督の肉体は居ないが、 
魂は一緒に居ると云う事でスタートしました。

冒頭に監督のビデオメッセージを流し、上映後にはスカイプで 
主催者の中山さんが気仙沼の監督にロケの様子を聞きました。
3・11津波で壊滅した木造船「あずさ丸」が、この日復活し進水式となり、
その船上から大漁旗や監督の映像が会場に届けられました。

(終了後の尼ガイアのみなさんです) 
尼ガイア主催の方よりメッセージ

余談 : 会場ロビーで奈良から参加の原章(書籍編集者)さんが、 
冒頭の監督ビデオメッセージに著書『ガイアのささやき』(原さん編集)
が映ったので「うれしかった!」とスタッフの方々との雑談になり、
監督話題から誰かが「監督って一休さんに似ていますよね!」
となり、その本にある十文字美信さんの写真見てみたい!
何故かその日その『ガイアのささやき』を持ってきており、
みんなで「ほんとうだ!」と楽しみました。 
またその本は1995年第1版第1刷発行で唯一初版のみのミス印刷が
一休さん写真の裏焼きなんですね。原さんはそれも今となっては
貴重な一冊になりましたねと。
尼崎に来られない監督の魂と思って持ってきたのでしょうか。
(第八番担当プロデューサー: 恩田映三 ) 

「地球(ガイア)のささやき」 創元社 単行本 <絶版> 
(角川ソフィア文庫 「地球(ガイア) のささやき)」は, 
ほぼ同内容ですが写真掲載はありません。)

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2014年03月

03/
19

【事務所だより】3/11 第八番のエキスが名古屋で出現!

~3/11 「生きる」をテーマに母なる美しい地球星(ガイア)よ永遠に…
3・11メモリアル「トーク&コンサート」 ~
 ・・・と題されて、  
夢のコラボレーションが名古屋宗次ホールで実現した内容は、
会場全員の合掌に合わせて、第六番出演者の雲龍さんの笛、
KNOBさんのディジュリドゥの演奏へと。
そして地球交響曲ダイジェスト版上映、そしてトークへ。
( 読売新聞 3月13日 )  

第八番出演者のヴァイオリン製作者・中澤宗幸さん、
中部ガイアネットワークの江場康雄さんと龍村仁監督で3名のトーク展開へ。 
トークの終盤で監督がヴァイオリニスト・中澤きみ子さんへの  
インタビューの一部を披露しつつ、
『樹の精霊の歌を聴く』コンサートへ。 
ストディヴァリウスのダビンチと津波ヴァイオリンでの演奏で、
観客全員が感動の様子と受け取りました。 
( 第八番担当プロデューサー: 恩田映三 ) 

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03/
19

第八番へのカウントダウン上映会3/8(土)「第二番」:懇親会

~3/8 第二番上映会 ( 明治神宮 )後の監督を囲む会にて~・知的漫才コンビの誕生か!
今回の懇親会にはゲストトークの理論物理学者・佐治晴夫さんも急遽参加。 
佐治晴夫さんと監督のコンビで料理の入れ替わりともに各テーブルを巡回。 
参加者みなさんからの質問に二人で答えながら、進行してゆきました。 
終盤になると「このコンビの出演は今後増えてくるんじゃない。」と言う 
声も聞こえてきました。様々な知的盛り上がりの中、コンビの挨拶で終演と 
なりました。次回もお楽しみに。(幹事:恩田映三) 
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03/
17

第八番へのカウントダウン上映会3/8(土)「第二番」トーク:佐治晴夫さんx監督対談

3/8(土)カウントダウン上映会報告
3月8日(土)に開催しました「地球交響曲第二番」&佐治晴夫先生×龍村仁トークもおかげさまで素晴らしい会となりました。
佐治先生と監督の息もピッタリで、身近なところから大きな視点の話まで日常を忘れさせてくれる時間だったようです。
終了後、外に出てもまだ明治神宮の杜の中という気持ち良さを多くの方にも味わっていただきたいです!

次回は5月31日(土)「地球交響曲第三番」上映&星野直子さん(予定)×龍村仁トークです。
新緑に輝く明治神宮への皆さまのご参加をお待ちしております。
お申込はコチラ

好評だった佐治先生と監督の対談の動画(抜粋)です。 

≪参加された皆さまの感想≫(アンケートより) 

  以前から興味があったのですが、今回初めて観るにあたり、この神聖なる明治神宮で観ることができてよかったです。映像の中の一言一言が、とても胸に響きました。次回も参加したいと思います。(40代 女性) 

本当にすばらしい対談でした。音と体の神秘やフラクタル宇宙のお話がとても印象にのこりました。忍耐や許しに関するお話がとても感動的でした。佐治先生のお話は初めてできしたがファンになりました。(30代 女性)

初めて「地球交響曲」シリーズを鑑賞しましたが、とても良い言葉や考え方があり、とても良かったです。是非続編を見たいと思いました。(30代 男性)

子供たちにも観せてあげたくなりました。まず自分のことより他人の愛、心に残りました。 (30代 女性)

東京の都心とは思えない、静かな森の中の参集殿での上映は最もふさわしい場所なのではないかと思います。あわただしい日々の中、「人」に必要なエネルギーを注いで頂けて、力(生きる)を頂いて帰れます。1月につくばカピオにて初めて「第一番」に出会った時、自分を変える力を頂きましたので、今後も期待しつつ上映会に参りたいと思います。
(60代 女性)

素晴らしい杜の中でのガイアシンフォニーをして佐治先生と監督との対談。3/11を前に貴重な貴重な時間を過ごすことができました。本当にこのような機会を頂いたこと感謝の気持ちで一杯です。タイミングが合う限り第八番まで伺わせていただきます。
(40代 女性)

(デスク:船見)

※2/1(土)「第一番」トークの様子はコチラ
※5/31(土)「第三番」トークの様子はコチラ

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03/
03

【事務所だより】2/1 正式参拝 於:明治神宮

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2014年02月

02/
26

【撮影日誌】クランクアップに向けての第一歩:2/25気仙沼

クランクアップに向けての第一歩
昨年末から、しばらく撮影から遠ざかっておりました。
その理由は色々あるのですが、それはまた追々と。

で、ともかく本日2月25日の出来事をいち早くお知らせを!

気仙沼の畠山重篤さんと久々のミーティングをしてきました。
その帰りの新幹線の中でこれを書いています。

今回の打合せ内容は、この八番の根幹に関わるかもしれない、いや、きっとラストシーンに関わる案件になるかも!?と、感じずにはいれないひと時でした。
それは、先般の大降雪の跡がまだ残る、でも海の色が窓の外からでも何かを感じさせる重篤さんの書斎の中で、静かに始まりました。

今まで撮影させて頂いた内容をお互いが思い返し、そしてこれからさらに先を見据えた、過去と未来が否が応でもコラボレーションしている、そんな重篤さんと監督の一言一言の単音が発せられていた様にも思えます。
でもその単音どうしは、やがて和音の様に広がりを含めた音へ、瞬間瞬間つみ重なってきたのでしょうか?
何か次回撮影にむけ、龍村監督の中でもぼんやりと心で描かれていたものが、
この映画の終盤に繰り広げられるであろう大切な一コマのイメージとなって現れてきたように思います。
この春にいよいよクランクアップを迎える八番の大切なシーンが、龍村監督の心の中で灯がともった、そんな一瞬だったかもしれません。
監督本人でさえぼんやりとした何かは、我々スタッフには、%&#!??。
でもそれはきっと、「地球交響曲第三番」のビル・フラーがふと発した一言に、すでになぞらえていた何かなのかもしれません。

もう、ここまで話すと中にはお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが…

もしよければ、八番に向けてのカウントダウン上映が明治神宮で密やかにあるので、チェックしてみて下さい。
実は、毎回スペシャルゲストにもお越しいただいているのです。
近々では第二番の3月8日、第三番は5月31日に!

※第八番へのカウントダウン上映会の詳細はコチラ

これからクランクアップに向け、監督が抱いたそのイメージを皆さんにどうやってお届けできるのか、監督はもちろんスタッフ一同、思い、悩み、そして切磋琢磨してまいります。
是非、次回のご報告を楽しみにしていて下さい!
(ラインプロデューサー・西嶋)

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02/
17

第八番へのカウントダウン上映会2/1(土)「第一番」:懇親会

明治神宮での第一番上映会終了後の懇親会にて
第一番の上映と榎木孝明さんと監督トークを終えて、
45名の参加となりました。

5つのテーブルに約9名が着席していただき、
監督には随時各テーブルを回っていただくつもりでしたが、
いち早く乾杯前から監督を囲んだテーブルがありました。
アルコールは別料金になっていましたが、みなさんの
熱いラブコールのせいか、お店の方からビールとワインも
フリードリンクに入れま~す。とあり、
一斉に注文がビールとワインに変わってしまい、
早い盛り上がりの会になってゆきました。

2時間半の予定もあっという間に3時間半が経ってしまい、
次回を楽しみに終了しました。
幹事を手伝って下さった方はじめみなさん、ありがとうございました。 
 ( 第八番担当プロデューサー +懇親会 筆頭幹事 恩田 )
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02/
15

第八番へのカウントダウン上映会2/1(土)「第一番」トーク:榎木孝明さんx監督対談

第八番に向けての第一番上映会:ゲストトーク

上映終了後は監督とゲストの対談があり、ゲストはシリーズ『第一番』から 
すべてナレーションをされている榎木孝明さんでした。 

『第八番』に向けての上映会だけに、
監督の周りではこの日は朝からいろんな場所で、
「8」がつきまとっていたという話しもありました。

∞ 8 ∞ ∞ ∞  ∞ ∞ ∞  .. ∞  ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ …  :)

監督が初めて榎木さんと会ったとき、
榎木さんの顔を見て「釈迦族の遺伝子を継いでいる」と思ったそうです。
榎木さんが思うに「日本人という前に地球人である」という意識を、
監督に受けてもらって今にいたっているのではないかということでした。

榎木さんからは会場でしか聞けない話があったり、
榎木さんからのリクエストで、監督からのエピソードが二つ。
『第一番』の「トマトが頑張った話し」「エレナに会った時の話し」

5000個の完熟したトマトを撮影した晩に、
翌日までにすべてのトマトが落ちてしまった話しや、
ゾウのエレナが監督の顔面に、ニュルニュルの鼻の先をブチュ、
とくっつけたという話しなどで会場も大盛り上がり。

そして最後には『第八番』に関して。

300年以上前にストラディヴァリウスの製作したヴァイオリンが、
何故いまだにいい音を奏で続ける事ができるのか。

『第八番』は樹に宿る精霊をテーマにしているわけですが、
その樹が果たしている役割、
中澤さんのように修復に関わる人や、
演奏者の果たす役割も大きいということです。

次回上映時のゲストは佐治晴夫さんですが、
『第二番』のどんな話しが出てくるか。
『第八番』に関する話しが出てくるか。
いまから楽しみです。  (助監督 池田剛)  

※3/8(土)「第二番」トークの様子はコチラ
※5/31(土)「第三番」トークの様子はコチラ

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02/
07

【事務所だより】1/25 モーツァルト+1シリーズ vol4

モーツァルト+1シリーズ vol4  

先日、中澤きみ子さんのコンサートにご招待いただき、
鑑賞してまいりました。ありがとうございます。

僕は以前、クレモナでヴァイオリン職人さんを追いかけて
撮影していましたが、ストラディバリウスのヴァイオリンに
出会う機会はほとんどなく、今回きみ子さんのダ・ヴィンチで初めて
その音を耳にすることになりました。

生のヴァイオリンの音を聴くにしては、距離のあるホールの後方に
座っていましたが、それでもなんとなく高域の音が
美しく聞こえてきたように思えたのは、楽器の力はもちろん、
僕の大好きなモーツァルトの曲が心地よく感じる事ができたから。
そして何よりもきみ子さんが奏でる音色が胸に届いていたからでしょう。

ヴァイオリンとチェロとピアノのトリオでの演奏でしたが、
軽快なハーモニーが絶妙な掛け合いで、
見事にはまったコラボレーションでした。

これだけ自然で違和感のない旋律に酔いしれていた僕に、
ふと訪れる静寂。

「次の曲では、拍手は遠慮させて頂きます」
きみ子さんの深い祈りと共に「津波ヴァイオリン」を手に奏でられた、
シューベルトの『アヴェ・マリア』

ストラディバリウスから変わった音色に反応した鼓膜に、
重厚な音と雰囲気が別の感情を呼び起こしました。

すべてがバラバラのようでいて、
音楽というキーワードで繋がっているすべてが、
調和でまとまっている事に気付かされました。

今年はホントに希望に満ちあふれているように思います。
バラバラのような題材や、出演者、スタッフが集まった作品。
僕もその中に関わる事によって奏でられる「交響曲」

みんなの善し悪しが複雑に絡み合いながらも、
お互いが支えあっていける環境を、
監督と言う指揮者のもとに作り上げられている。

そんな事に感謝しながらも、
新作のメッセージを早く皆さんと共有できるよう、
お手伝いをしてきたいです。

美しい音色と想いが届けられた、
素敵なコンサートをありがとうございました。 (助監督 池田剛)

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02/
05

【監督雑感】 2014/2/2

第一番上映会@明治神宮を終えて 

昨日はご苦労様有難う! 
一瞬一瞬に真心からベストを尽くしてれば
必ずうまく行くという典型的1日でした

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2014年01月

01/
31

【事務所だより】2014/1/31 Hokule’a Happy Star

【事務所だより】2014/1/31 Hokule’a Happy Star
第八番撮影も残りわずかとなり、編集作業に備えて
制作室のレイアウト変更の為に大掃除をしていると、地球交響曲の
20年の様々な写真や記録が出てきて、しばしば整理の手が止まります。

2007年にホクレア号が日本寄港した時にホクレアクルーが
寄せ書きをしてくれたパネルがありました。

監督がホクレアの話をする時よく言う事、
「誰もが皆、一番かっこいいナイノアに憧れるけど、ナイノアだけじゃ
ホクレアは航海できないし、得意な分野は皆違う。 
ナイノアではない自分の役割をそれぞれしっかりやる事で
ホクレア航海は成功するんだ」

この大海原のホクレアの雄姿はまさしく皆の力の結集なんですね。

明治神宮での上映会直前となり、ボランティアの方達が続々と
地道なチラシ配りや発送作業、当日の会場ヘルプに
手を挙げてくださっています。
撮影も終盤に近付きつつある第八番制作航海への強力なクルーの皆さん、
よろしくお願い致します。      (制作デスク 石亀)

( 2007年、ハワイ-日本航海の最終寄港地、
横浜・山下公園でのお祝いパーティにて  )

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