第八番 制作日誌

2013年12月

12/
26

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その6

クレモナにてポー川のほとり

イタリアでは、一日だけ雨の予報だった。

中澤さんがフレームに入って撮れるシーンは、ほぼ撮り切っていたこともあって、それ以外で何が撮れるか?という日だった。僕がふと思いついたのは、この日、土曜の朝は街の中心でマーケットをやっていることだった。とにかく何がある街、というわけでもないので、提案できるのもそれぐらいだった。

街の象徴でもある、ストラディバリ広場のストラディバリ像が、マーケットの屋台に埋もれて消えてしまうほど活気がある。と同時に庶民的すぎて、あまり画にならない。かろうじて大聖堂前の広場の花屋がきれい。でも雨のせいでテントが出ている分、見晴らしもよくなくて、残念なイメージ。。

そんな雨の中、ポー川に来た。ポー川は北イタリアを東西に走る大河川である。映画のタイトルになったり、パルマの生ハム製作の過程においても重要とされている川で、僕はクレモナにはポー川に訪れるためだけに来ていたこともある。

川のすぐ横には大きな公園があるものの、河川敷には運動ができるような場所があるわけではなく、対岸も林で覆われている。象徴的な何かがあるわけでもないが、このシンプルさが僕を引きつけていた。それと空気汚染がひどい街にいただけに、澄んだ空気に包まれた静かなこの空間がやけに愛おしかった。

撮影されていた川にはどんなものが映っていたのかといえば、大したものはないだろう。僕にはそこにあった空気を目で感じることができるかといえば、そうでもないのかもしれないが、そのときの生活と対比されたものが、そこには映っているのかもしれないと思うと、それこそが僕に必要なものなのかもしれない。

いつまでも忘れずに自分の中にしまっておきたいもの。それがこのクレモナの街にあったように感じた。

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【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その5

クレモナにてカパノーネ

僕にとって、よく見た風景が並ぶ。懐かしいというより日常。おそらく初めてこの街を訪れたときも、そんな感情を抱いていただろう。イタリアにいても特に人が優しく、すべてを受け入れてくれるような、温かさを感じる街。そしていつの間にか、この街のとりこになっている。

クレモナに行っていた頃、必ず歩いていた通り。そこがこの日の撮影のスタートポイント。パン屋やバールが懐かしく、ある出来事のあった思い出のある街角である。

中澤さんのヴァイオリン製作用のパーツを販売するお店がすぐそこにある。パネヴェッジオで切り取られた木が、一つ一つの木に印をつけられて、所狭しと並べられている。
ここで中澤さんにインタビューをする。パーツごとに説明を一生懸命にしてくれる中澤さん。気持ちが入りすぎて滑稽な感じになってしまっているのも、それもクレモナに関わる人の性なのだろうか。とても愉快でありながら、言葉が染み込んでくる。

この日の街は、修学旅行で来ていた学校の子供たちが、頻繁に通りを歩いていた。そんな光景を監督は気に入ったようで、お店での撮影の最中、しきりに「子供!子供!」というが、カメラを向けたときには過ぎ去ってしまっていた。

午後は街から少し離れた郊外にある、カパノーネという大きな倉庫のようなところへと向かった。
カパノーネという言葉を調べると、建物、小屋のような意味が並んでいて、工房なのかなと思ったところ、とんでもなく大きな施設が現れて来た。一つのフロアにバイオリンからコントラバスまでのそれぞれの木の材料が、ビッシリと詰め込まれている。

下のフロアでは、木を切り分ける部屋や、バイオリン製作の部屋などがある。中澤さんは職人さんが製作している部屋を、行ったり来たりしていた。「木の厚みを0.2mm削る」など、とにかく細かく、懇切丁寧にやり方を教えている。

ヨーロッパだと、とかく人種に対する偏見が多く、特に日本人を含めたアジア人は、民族的に低級に見られがちだから、尚のこと、中澤さんから技術を吸収しようとしている様を見せられ、信頼されていることを感じた。「毎日、板を叩いて、耳を鍛える」職人としてのスタンスを伝えているようだった。それでも弟子の中にもプライドが見られるようで、伝えることの難しさを、その場でも口にしていた。

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12/
20

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その4

クレモナにてヴァイオリン博物館

極寒の中からやって来たクレモナの街。
さすがに雪は目にしないものの、息は白く、肌に痛みが走っている。

クレモナと言えば弦楽器。街の至る所に職人の工房があり、振り向けば職人同士が会話をしている。友達同士の予定もみんな知っている。

今年、新しくオープンになったヴァイオリン博物館は、僕もまだ足を踏み入れたことがなかった。以前は美術館の中にこじんまりとあったストラディバリ博物館と、市庁舎にストラディバリのコレクションがあった。オープンしたてということもあり、建物はとてもきれいでコレクションの数も多く、かなり気合いが入っている様子がうかがえた。

ガイアの撮影で中澤さんが修復する様子を追っていた、グァルネリのヴァイオリンが、今回このヴァイオリン博物館の中の、ヴァイオリン黎明期の製作者たちのコレクションのコーナーに加わることになり、博物館の方々に手渡すシーンの撮影がありました。

一般のお客さんはいなかったものの、展示用のガラスケースに入ったバイオリンを撮影したりするシーンも多く、ガラスに反射して自分がカメラのフレームに入らないように、それでいて撮影の補助をしなくてはならない。ジタバタアタフタしていた。

博物館の係の人から情報を仕入れていると、コンクールで優勝したクレモナの職人の楽器も展示さているようで、僕が個人で撮影していたマエストロの楽器も展示されているという。これは見ておかないと、と思うのも束の間。そんな余裕すらないままに撮影隊は突き進む。

職人さんにとって弦楽器以外に興味を示すことのない、小さく素朴でシンプルな街ではあるが、こと弦楽器といえば世界にその名を轟かす街だけに、その博物館のコレクションに、修復した楽器を納める中澤さんの腕というのは一体どれだけのものなのだろうか。

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12/
16

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その3

パネヴェッジオにて木の伐採

パネヴェッジオ2日目。
スプルースというヴァイオリンの表板にする針葉樹の伐採に立ち会う。
カメラがハイレベルから伐採の様子を狙う。監督はカメラの横で指示を出す。僕は下の位置で伐採をするレンジャーなどに作業工程を聞き、それを監督にトランシーバーで伝える。

300年という年輪を重ねた木を切るという。これはあのストラディバリが生存していた頃から育った木である。この木を切るとき中澤さんはどんな想いで立ち会ったのだろうか。

レンジャーが木に印を刻み、チェーンソーが徐々に木の中に入っていく。倒れる方向へよろめく木は、最後一気に倒れ、雪の煙が辺り一面に舞う。ここに何百年もあったものが、あっという間に姿を移す。木や辺りが感じていることは、悲しみなのか、喜びなのか、前進なのか、後退なのか、よくわからない。

監督から伐採する作業をする人に、この後どうするのかを聞きに行けと言われた。実は僕が不安に思っていたのは、彼らが何語を話しているのかがさっぱりわからなかったことだ。でも監督の指示があったので、何も考えずに話しに行くと、たどたどしいイタリア語ながら、会話が通じたのでホッとした。後々、コーディネーターに聞くと、イタリア語とフランス語が混じっている言葉を話しているという事だった。「君にはわかるはずないよ」レンジャーもスイス人だけに、この国境地帯では、僕の聞きなれたイタリア語は耳にすることはなかったようだ。

2本目の伐採が終わり、これはあまりいい木ではないということで、中澤さんが「これはいい木だろう」という3本目の木の伐採に取り掛かった。この木の伐採ともなると、さすがにみんな要領を得るようになっていて、僕が工程を聞く必要もなくなっていた。それでも伐採に時間が一番かかる木であった。

普段と同じように木を切る作業を進めるのだが、プルプル震える木を上に、その下でどんなに趣向を凝らしてみても、ガンとして木は反応しない。「ここから離れたくないのかな?」

かなりの時間を要しながらも、3本目の木を切り倒すことができた。やはりこれがいい木であると、中澤さんが確信したその通りであったようで、早速、切り取った木の一部をクレモナまで持ち帰っていた。

これだけの大きなものに刃を入れて、新しいものを作る。一体どんな想いで刃を入れていくのだろうか。その答えは、まだこれから先にあるのだろう。

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【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その2

パネヴェッジオにて白銀の風景
‐15℃。
はりつめた空気に、凍てついたかのような雪に埋もれたイタチの足跡。
この日の最低気温まではいっていないはずだが、スタッフ全員の気持ちはそこまで行っていた。

パネヴェッジオまでの移動の車中、朝の光が差し込んでくると、助手席に座っていた監督が叫び声を上げた。そしてすかさず中澤さんもカメラを手にした。そこには影が一つもないように見えた。「今回のロケを象徴しているようだな」

パネヴェッジオはイタリアの北、オーストリアとの国境近くにある山岳地帯で、一般的にはスキーリゾートとして楽しまれているような地域。カレンダーの12月で見た事のあるような、絵に描いたような針葉樹が広がっていて、雪の中に足を踏み入れようものなら前進できないほどに足を取られる。そしてその中で撮影は進んでいく。

「レディ、アクション!」

監督の怒声が森の中で鳴り響き、それに合わせて中澤さんたちが動き始める。どれがヴァイオリン作りにいい木なのか? 中澤さんは一つ一つの木を叩いて確かめる。樹齢300年の木と、ようやく出会えたことの喜びを噛みしめながら、言葉にならない言葉で、じっくりと対話をしているようだった。

カメラマンの手も、かじかんでまともに動かない中で、それでもそのワンカットワンカットをフレームにおさめていた。そして僕はせっかく用意していたコーヒーを、あまりの寒さに逆に、みんなに提供することを忘れてしまっていた。

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【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ

今回の撮影日誌からスタッフが交代しました!

11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ
今回、地球交響曲第八番の助監督を務めさせていただくことになりました池田剛と申します。監督からは「GOちゃん!」と呼ばれています。よろしくお願いします。

私は今年4月までイタリアに住んでおり、地球交響曲を参考に、北イタリア各地の職人さんを取り上げて、ドキュメンタリー映画を個人で製作しておりました。その中でも弦楽器製作の街として世界的にも有名な街クレモナの職人さんを主に取り上げ、クレモナには幾度となく訪れていました。今回第八番で弦楽器職人さんを取り上げるという事を知らなかったのですが、不思議な縁でクレモナのロケに同行することになり、どれだけ自分が作品に貢献することができるか楽しみでした。

クレモナはとても小さな街で、見どころや工房のある場所など、歩いて回れるくらい集約されています。なのでクレモナはもともと私の中でイメージが作り上げられていました。
そしてイタリアでは中澤さんがヴァイオリン製作に使う木を伐採する、パネヴェッジオというオーストリアとの国境近くの山脈地帯に行きます。ここはストラディバリもヴァイオリン製作のための木を取りに来たところだという事です。

どちらも零下の寒い中での撮影が続き、監督以下スタッフも凍えながら撮影に臨んでいました。このクレモナとパネヴェッジオでの撮影の様子をしばらく書いていこうと思います。

その前に、
第八番のランクイン記念で「地球交響曲第一番~第七番」のDVDセットが数量限定で販売されております。今回のロケでクレモナにある中澤宗幸さんのお店でヴァイオリンのコマをいただきましたが、こちらをDVDとセットでプレゼントいたします。

このコマの一つ一つには中澤宗幸さんの愛称である「ムーニー」のサインと、ヴァイオリンやf字孔の手書きのデザインが書き込まれております。ヴァイオリンの中でも音を奏でる上でとても重要なパーツです。作品の中でも中澤さんがとてもユニークな形で紹介されることと思います。
八番が完成するまでの間のこの機会に是非お求め下さい。

詳しくはこちらから。

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12/
02

【撮影日誌】10/26気仙沼・その6

10/26気仙沼・その6
午前2時、しばしの仮眠をとった後、撮影再開です。その頃には、神社周りには威勢の良い神輿の担ぎ手たちが集まってきていました。 いよいよ神事が執り行われるという緊張感の中、神官にいざなわれ社殿に入っていく重篤さんの姿をカメラは追っていきます。しかし、撮影は一旦ここまで。社殿の扉が固く閉ざされた後は、ごくわずかの許された者以外、一切の立ち入りを禁じられます。明かりが消され、暗闇の中で御霊移しの神事が始まりました。 この祭りの起源はおよそ1300年前、紀州牟婁郡本宮村(現在の田辺市本宮町)の熊野神を、東北の地にお迎えした事が始まりでした。 その際、熊野神の御神霊は和歌山の港から船で北を目指し、5ヶ月間もかかって宮城県唐桑(からくわ)町の港に到着したとされています。 その唐桑町とは、まさに重篤さん先祖代々の地だったのです。 室根山と畠山さんの住む気仙沼を結ぶ一筋の流れは、一千年を超える時で繫がっていたのです。 >おっと、龍村監督の渋い目線が・・・ という事で、気付けば午前8時を回っていました。 時間外労働です・・・ この日の帰りの新幹線は、寝台車の如くでした!
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2013年11月

11/
29

【事務所だより】地球交響曲の生みの親・堤清二さん逝去

地球交響曲の生みの親・堤清二さん逝去

毎日新聞・余禄より】
企業人で文化人でもある堤さんが一変させたのは日本の企業と文化の関係だった。
美術や音楽、演劇など多彩な分野での企業の文化貢献である。

*********

今から25年前、地球交響曲の制作開始に制作資金を提供してくださったのが堤清二さんです。
当時、既にこの映画企画は日本文化の貢献に値すると読み取られたのでしょう。
この堤清二さんの志に叶うよう「第八番」制作に臨むのが私たちの使命だと思わずにはいられません。

ここに感謝申し上げ、ご冥福を祈ります。

(地球交響曲 第八番担当プロデューサー・恩田)

2013年11月29日付・毎日新聞

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27

【撮影日誌】10/26気仙沼・その5

10/26気仙沼・その5
松明のはぜる音が、パチパチと闇の中に響いています。
ここは、4年に一度の大祭を待つ室根神社の境内です。
まだ人影もまばらで、嵐の前の静けさの様でしょうか。目をこらさないと、あたりの様子を伺い知る事はできません。
頭上には、樹齢1000年を超える杉木立の隙間から、満天の星空がこぼれ出ていました。
天の川がほんとにミルクをこぼしたように夜空に流れているようです。こんなに空が澄んでいるのは、その進路を早めて通過していった台風27号の置き土産なのかも知れません。やがて赤い月も上ってきたというのに、星のまたたきも負けてはいません。
昨日の嵐あり、今日の星空有り、ほんとに自然には抗う事はできません。
しばし、標高900mから眺める野外劇場を楽しむ事かできました。
あとは、夜半から始まる大祭神事を待つだけとなりました。
(寒さとの闘いでもありました…)

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11/
26

【撮影日誌】10/26気仙沼・その4

10/26気仙沼・その4
10月26日、それは午前2時ごろの事だったでしょうか…
寝床の底から突き上げる様な大きな力が、何十秒もの間続いた様な感じがしました。
実際にはどれ程の時間だったのか定かではありませんが、そんな事を思い起こす暇もなく、窓の外からサイレンが聞こえてきました。
我々が宿泊していた宿は、気仙沼港のすぐそばだったので、あのテレビで何度も聞いた憶えのあるサイレン音が、けたたましく鳴り響いているのです。何か大きくてふわふわした不安定な中に、我々は立たされている、そんな感じが襲ってきました。
テレビでは緊急ニュースが流れ、各地の津波予想を知らせています。
幸い大きな被害はなかったものの、久方ぶりの余震の大きさに、我々同様現地の方々も驚きをもたれたと思います。
外を見ると、台風の時化のため港に戻っていた鰹漁船たちが整然と並んだまま、波の力で木の葉のように上下に揺れていました。
大祭撮影に向かう未明の出来事でした。

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25

【撮影日誌】10/25気仙沼・その3

10/25気仙沼・その3
10月25日、朝から台風の接近を知らせる雨模様です。
この日は、室根神社の大祭には欠かせない或る神事が密やかに行われる大切な日なのです。
その場所は、室根山を遥か臨む気仙沼湾の海上。
うねりの出始めた海に、雨脚が強くなった事を知らせるように雨粒が海面に踊っています。
内心「大丈夫かな?」と思う気持ちをよそに、白装束に着替えた畠山重篤さんたちが、黙々と出港の準備を進めています。
我々撮影クルーも、ばっちりの雨対の上にライフジャケットを着込み、ただただ波を切って走る重篤さんの船に伴走して舵を取っていきました。
(この伴走船の舵取り役をかってでてくれたのは畠山信さん、重篤さんの三男です。信さんもこの映画では重要なキーパーソンです)
頬を打つ水しぶきが、雨なのか波なのか分からなくなってきたその時、フット一瞬の静寂がおとずれました。
とその時、・・・・

>この撮影日誌の一連を読んだ龍村監督が、
「あまりネタバラシをするなよ!?」と一言。

なので、この続きは映画でお楽しみくださいね!

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21

【事務所だより】ダライ・ラマ法王 11月25日の両国国技館講演会の司会に早見優さん

ダライ・ラマ法王 11月25日の両国国技館講演会の司会に早見優さん
11月25日に両国国技館にて行われるダライ・ラマ法王講演会で早見優さんが司会をされる事になりました。
実はこのお話を繋いだのは地球交響曲との御縁でした。
早見優さんは第一番の頃から映画を観て応援して下さっており、第一番出演者・ダフニーさん来日イベントの際には司会もして下さっています。
今回、ダライラマ法王日本代表部事務所より「講演会司会に早見さんを紹介して頂きたい」とのご依頼を受け、監督・龍村ゆかりよりお繋ぎしたところ、快くボランティアで引き受けて下さったのです。

都内某所にてダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のラクパさんと早見さんを監督がお引き合わせしました。早めにいらしていた早見優さんはアイドル時代と変わらぬフレッシュさに大人の落ち着きが加わり、とても素敵な女性でした。

「監督、今でも自転車に乗ってらっしゃるんですか?」
「いやー、今日も乗って来ようかと思っちゃったよ。」「(笑)やっぱり~」
「優ちゃんは今はラジオはしてないの?」
監督は早見さんがパーソナリティーをしていたラジオ番組のゲストに出た事もあるのです。
久しぶりに会った監督もとても嬉しそう、楽しい思い出話に花が咲いてる頃にラクパさんご一行が合流、なごやかに歓談・打ち合わせは進みました。

25日は監督は佳境の海外ロケ出発の日のため、あいにく講演会へ行く事はできませんが、21・22日の静岡での「祈りの祭典」にて法王猊下とお会いする予定になっています。
もしかしたら「優ちゃん」の事もそっと伝えているかもしれません・・ね?

早見優さんのオフィシャルブログ
ダライ・ラマ法王来日講演情報

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【撮影日誌】10/24気仙沼・その2

10/24気仙沼・その2
10月24日、気仙沼対岸の大島にフェリーで渡りました。
大島にある亀山の頂は、気仙沼湾に注ぎ込む大川の河口がよく見渡せる撮影ポイントでした。
その姿は、一ヶ月前あの室根山で撮影した湧き水からは想像もつかないほど、雄大なものでした。
そして、静かに凪いだ湾の姿からも、この大島さえも乗り越えていった計り知れない自然の力をイメージする事は、その爪痕が残されていなければ困難な事かもしれません。
我々は、目に見えないモノを想像するという力を使って、少しでも何かに近づこうとしている、そんな営みを繰り返しているのでしょうか…
台風が近付いているというのに妙に凪いだ湾を眺めながら、ふとそんな事が頭に浮かびました。

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【撮影日誌】10/23気仙沼・その1

10/23気仙沼・その1
お天気の事ばかり考えていても仕方がありません。
小雨混じりの天候の中、ちょうどサケの遡上が始まった気仙沼周辺で撮影は開始されました。
ピシャピシャと川面にサケがはねる音がそこここから聞こえてきます。
1万キロを越える旅から、生まれ故郷に帰ってきたのでしょうか…
そんなサケたちを撮影しながら、赤平カメラマンが一言
「ちっちぇーなー」
そう、赤平カメラマンの生まれは岩手県のリアス式海岸のとある町だったのです。小さい頃から魚介類の宝庫で育ってきたその目には「まだまだ小振りで食するに値しない!」という風に映ったのでしょう…
その故郷も今は津波による甚大な被害を受け、更地のままだそうです。
ふとした一言から、今我々が立っている東北のこの地とのご縁を感じずにはいられない、そんな思いが立ち現れてきます。
まだ公表はあまりされていませんが、太古の昔から人々がこの地で豊かな暮らしをしていた、遥か5千年前のそんな光景が目に映る撮影になっていきました。

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【撮影日誌】10/23いざ、東北へ!

10/23いざ、東北へ!
10月23日、ロケ地に向かう東北新幹線の中で一番気がかりな事は、大型台風27号の北上進路でした。
天気予報からは、撮影スケジュールとドンピシャで東北地方にやって来そうな感が有り有りだったのです。
「やはりガイアの撮影には嵐がつきものなのか…」
もちろんスタッフ全員、雨対(業界用語で雨対策の事)はばっちりです。しかし今回の撮影のクライマックスは、26日から27日にかけ夜を徹して行われる室根神社の大祭です。標高900mほどにある社から夜明け間近の村里を目指し、御神輿が急峻な道無き道を伝って降ろされるのです。
ちょうどその頃を目指して、台風27号は東北地方に向かっている様に思えてなりませんでした。

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【事務所だより】11/12「吉凶は糾(あざな)える縄の如し」

11/12「吉凶は糾(あざな)える縄の如し」
思いがけないアクシデントと奇跡のようなシンクロニシティの連続、
監督が第八番撮影の事を語るときに
「本当につくづくこうだな~」とよく言っています。

なんとなく意味は知っていましたが
「糾(あざな)える」を調べてみると
「縄をなう。絡ませるようにして交え合わせる。」

もちろん吉だけであれば一番いいと思ってしまいますが
凶もあってこそ、というか凶がなければ
縄はなえないんですね。

激しい嵐と秋晴れの空のように変化する吉凶が
これからもやってくるでしょうが、
「今、やれる事を精一杯やるだけ」と、爽やかに語る監督でした。

(制作室から見た夕景)

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【撮影日誌】11/5中澤さん@工房・その2

11/5中澤さん@工房・その2
11月5日、前回から1ヶ月ほどが経った所で、ガルネリの修復された表板を元に戻す最終作業が行われました。ニカワで、再度本体に接着されるのです。
このニカワの原料は、ブタの爪から作られるそうです。まさに植物由来の木材と、動物由来のニカワが相まってヴァイオリンは形づくられているのかもしれません。
その接着後しばらくして、中澤さんが弦を指でつま弾く音がしてきました。
弓で奏でる艶やかなものとはまったく異なる、太初の音の様に感じられるその音色を聴いて、「うん、よし!」という中澤さんの小さな一言が、ガルネリに新たな生命を吹き込む様でした。
奇しくもこの数日前、ストラディヴァリウスの音色の秘密を解明するTV番組が放送されていました。科学的な解明が進められる中、依然その何かは不明の様です。
今回、中澤さんの作業を目の当たりにして、そこには科学の目ではすぐには見えない幾重にもわたる人技の積み重ねがあることを改めて教えられた様な気がしました。

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【撮影日誌】10/12中澤さん@工房・その1

10/12中澤さん@工房
「剥がれにくいけれども、剥がしやすいニカワとは・・」
10月12日、丁寧に剥がされたその表板は、今、中澤さんの手によってその木自身の一番居心地よいフォルムに戻されようとしています。
ヴァイオリンには音を奏でる際、表板の振動を裏板に伝える大切な役目を果たす「魂柱」と言う小さな円柱形のパーツが内部に配されています。
このガルネリの場合、その魂の柱ともいえるパーツの寸法がほんの少しだけ長かったのか、表板と裏板に長年にわたり負担がかけられていた様です。その結果、表板に思わぬ圧力がかかり続けていたのです。 中澤さんは言います。
「本来なら、10年かかって反ってしまったものは10年かけて元のフォルムに戻してあげたいんですけどね、でもそうも言えないので・・・」
これからは、その表板のフォルムを時間をかけてゆっくりと元に戻していく作業が始まりました。

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【事務所だより】10/28室根神社大祭ロケ序章

【事務所だより】10/28室根神社大祭ロケ序章
台風がダブルで接近しつつある中で出発した撮影隊、
ロケ真っ最中の26日未明には福島沖を震源とする地震まであり、
留守番隊としてはハラハラさせられた気仙沼ロケでしたが
28日の月曜日に制作室に出てきた監督は会心のこの笑顔でした!

手にしているのは室根神社から頂いた「祈祷御守護札」です。
地震の事は「津波警報も出て、まるで(3.11の)再体験のようだった」と
何か偶然でないものを感じたようです。

27日の大祭クライマックスは台風一過の爽やかな秋晴れになったとの事、
撮影隊よりの撮影日誌に乞うご期待!

(10/27 撮影)

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【事務所だより】10/23風の色

【事務所だより】10/23風の色
10月23日は監督のお母様の御命日、
そして今年は、「第八番」でキーになるであろう
気仙沼での大祭ロケの初日でもありました。

台風の影響が懸念される中、撮影スケジュールを確認しながら
何度か 「この日はおふくろの命日だな」と呟いていた監督。
監督のエッセイにはいくつかのお母様との想い出が収録されています。

病院で寝たきり状態になったお母様をお見舞いした時、
「ゆっくりと目を開いた母がじっと私を見つめている。
長い沈黙が続く。私には、その時間が永遠に続くようにさえ感じられる。
ふと母の表情が和らいだ。そして、正確に私の名を呼んだ。その瞬間、私は、
自分自身のからだが、一気に桜吹雪になって散ってゆくような気がした。
動かなくなったからだ、 混濁する意識、そんな中でも母は私に何かを教えようとしている。
生命とは何かを教えようとしている。」

そして新宿御苑内での桜吹雪とお母様のエピソード。

「母が私をふり返った。母は微笑んでいた。
若い頃にも、入院生活にも見たことのない微笑みだった。
『歌ができたよ』 母は嬉しそうに笑った。
 

ゆったりと想い出のままに楽しみて
桜吹雪の中を行くなり

まるでひとり言のように二度ほどつぶやいてから、
母は再び白さの中に還って行った。」
 ~風の色’93~ 「地球(ガイア)のささやき」より

今、監督のデスク真正面には桜吹雪の中のお母様と歌をモチーフにした
睦稔さん版画が監督を見守っています。

「風の色 2010」 2010年、龍村仁監督の古希(70歳)のお祝いの時に、
地球交響曲20年の歩みを少しだけ振り返った映像作品です。
「母なる星地球」という意味を深く感じさせてくれる小作です。

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2013年10月

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【撮影日誌】10/29「サントリーホール」で

10/29「サントリーホール」で
10月29日、またしてもガイアのシンクロニシティーがなし得るコラボレーションが起こりました。
開演の時を待つまだ誰もいないサントリーホールの舞台で、その音は静かに奏でられました。
完成したばかりの中澤さんの津波チェロを、ちょうど来日公演中のヨーヨー・マさんが手にとったのです。
これが津波チェロにとっての、まさにファーストサウンドになりました。
この時まで、誰がこんな事を予期したでしょう?
出会うべくして出会ったコラボレーションなのかも知れません。
この日はちょうど公演最終日、
最後のアンコール曲は、急遽ヨーヨー・マさんの希望でこの津波チェロで奏でられました。

パブロ・カザルスの「鳥の歌」

この演奏に込められたシンクロ二シティーの音色は、これからも多くの人の心に響いていく事でしょう。
(津波ヴァイオリンに関してはコチラ

※番 外
予期せぬ事が起こってしまったこの日、赤平カメラマンは大阪で撮影をしていました。ダメ元で電話をした所、なんとすぐに新幹線に飛び乗り、アンコール直前にサントリーホールまで駆けつけてくれました!
わずか5分ほどの撮影でしたが、「鳥の歌」に込められた何かが、ガイア8番の中にも新たな生命を吹き込んでいく様でした。

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【撮影日誌】9/26室根の森・その2

9/26室根の森・その2
森に轟音を響かせ樹齢100年を超える杉の木が、大地に倒れていきました。
ここは、気仙沼に程近い森の中です。
この木は、震災による津波で流された畠山さんの木製の和船を復活させるための材料となるものです。
親の代から譲り受けてきたこの和船は、畠山さんにとって幼少の頃から海と自分の距離を、より身近に感じさせてくれるものでした。
なぜなら、船に使われている様々な木の材質やその所以、そして手こぎの櫓の使い方など、自分にとってまだ見ぬ未知のページを、その後の叡智の詰まったページに導いていってくれた大切な先生だったのです。
(詳しくは畠山さんの著書を手にとってみて下さい)
その手漕ぎの和船の復活を、8番の中で追っていく事になりました。
まだまだ道のりは長いのですが、これから船大工さんの手に渡り、さらにどんな展開が待っているのか?
宝箱を開いていく様なワクワクドキドキする予感が、秋の訪れを迎えた森には漂っていました。

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【撮影日誌】9/25室根の森・その1

9/25室根の森・その1
夜遅くまで続いた中澤さんとガルネリの対話を垣間みさせて頂いたその翌日、
撮影隊の姿は、岩手県の室根山の頂き近くに鎮座する室根神社にありました。
この神社の由来は、きっと8番の中で重要なキーポイントになってくと思われますが、今は伏せておきます。 この撮影の1ヶ月後の10月末、4年に一度の室根神社大祭も撮影させて頂く予定なのでが、そこでこの謎は少しずつ明かされていくことでしょう。

で、今回はこの地に湧き出る水を撮影させて頂きました。
この水は、室根山に貯えられた豊かな雪解け水がしみ出るように、ひそやかに湧いていました。
その一滴一滴が一筋の流れを作り、山肌を伝い、小川となり、やがて大川となって気仙沼に流れ込んでいるのです。
そこには、真水と海水が交わる場所、いわゆる「汽水域」が姿を現していました。
汽水域には多くの生き物たちが生命を宿し、人間にとっても豊かな漁場を授けてくれます。気仙沼とは、元来そういう場所だったのです。
25年前、畠山さんの呼びかけで発足したNPO法人「森は海の恋人」も、この水の流れを象徴するような活動を繰り広げています。
室根山と畠山さんの住む気仙沼を結ぶ一筋の流れ、それに室根神社のそもそもの由来、
8番ではそれらがスパイラルを描きながら、我々が見る事のできる世界にたち現れてくる、そんな予感を感じさせる撮影が続いています。

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【撮影日誌】9/24その2・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房

9/24その2・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房
「あれ、前回修復した人が少し良くなかったようですね・・・」
中澤さんの手先の感覚を伝って出てきたこの言葉、実はこういう事だったのです。
自然素材に由来するニカワの接着力は、扱う人の配合次第でいかようにもなります。
前回このガルネリを修復した人のニカワは、かなり強力な配合を施されていたのです。
その背景に、「表板が剥がれない様に・・」という意志が感じられる、と中澤さんは言います。
それ自体間違っているとは言い切れないのですが、「いつの日かまた、このヴァイオリンが修理される事があるかもしれない」という創造力を持てば、「ニカワの強度にも、その日への創造力を働かすものです」と、剥がされたばかりの表板を愛おしむような、中澤さんの視線が印象的でした。
「剥がれにくいけれども、剥がしやすいニカワとは・・」
そこには、木の精霊に問いかるような、そんな言葉が聞こえてくるようでした。
名器と言われるヴァイオリンたちは、誕生から200年、300年、そしてさらにその後も数百年、様々な演奏者と共に音を奏でながら生きていくのです。
一人の人間の一生をはるかに越えたヴァイオリンの一生は、どこか旅に似ているのかもしれません。
その旅をいかに創造し、次の旅へと送り出せるのか?
中澤さんは、その旅のコーディネーターなのかもしれません。

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【事務所だより】グレッグ・レモンからのメッセージ

【事務所だより】
ガイアの撮影にはつきものとはいえ、今回は更に大きな試練と
不思議なシンクロニシティのつづれ織りで進む八番撮影、
そんな渦中の監督に第七番出演者のグレッグ・レモンからメッセージが届きました。 

Jin,
you are such a great person, anything you want to do, you can do.
Thank you for the last time we’re in Japan.
   Greg Lemond

「Jin、なんて素晴らしい人なんだ、あなたが望むことはなんでもできる、
前回、来日した時の事は感謝してるよ」

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実は、親日家でもあるグレッグは10月初めに開催された復興支援レース、
「ツール・ド・三陸」参加の為に来日していました。

以下、関連記事です。
グレッグ・レモンが走った!「ありがとう!」被災地に響く声援 産経新聞記者が体験した「ツール・ド・三陸」

800人が被災地を疾走 岩手県沿岸部で 「ツール・ド・三陸」開催

命を落としかけた散弾銃事故から文字通り復活した自らの体験があるからこそ言えるのであろう、被災地と監督への力強いエールです。

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【撮影日誌】9/24その1・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房

9/24中澤さんの2回目の撮影@都内の工房
9月24日、中澤さんの2回目の撮影が都内の工房で行われました。
今回は、ストラディヴァリウスと肩を並べる名器、ガルネリの修復作業の撮影です。およそ280年前に制作されたものだそうです。
ふだん中澤さん、皆が寝静まった頃、静寂に包まれた中たった一人で作業をするそうです。
作業は、まず表板を剥がす所から始まります。
自ずと緊迫した空気がはりつめ、しばらくすると、ギィ、ギィと少しずつ少しずつ慎重に剥がされていく音がこだましてきました。
その音は、天河神社での神事の際、御扉が開かれる時に聞こえてくる音にどこか通じるものを感じさせるものでした。
その最中、中澤さんがポツリと言葉を発しました。
「あれ、前回修復した人が少し良くなかったようですね・・・」
ニカワで接着されているこの部分だけを見て、そう言ったのです。
その意味とは・・・
(つづく)
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【事務所便り】監督近況:9月秋晴れの朝

【事務所便り】
人間は自分のからだの内側に無限の宇宙を持っている。
その宇宙が外に向かって開かれてさえいれば、
どこにいても自然を楽しむことができる。
自転車的コーヒーブレイクは、その扉を開くための、ささやかなひとときなのだ。

~自転車的コーヒーブレイク~ 「地球のささやき」より
このエッセイを書いた時とは事務所が赤坂から新宿に変わりましたが、
監督のお気に入りの朝のスタート、
ゆっくりコーヒーを飲みながら原稿を書いたり撮影への想いをめぐらす時間、
「自転車的コーヒーブレイク~新宿篇~」は健在のようです。

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【監督雑感】9/16台風18号が関東直撃した日の朝に

監督雑感

今朝、人影の一切無い神宮外苑で嵐に堂々と耐える楠の大樹に会いました。
力を与えられた気がします。

(台風18号が関東直撃した日の朝に)

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【撮影日誌】8/31中澤宗幸さんの初めての撮影@妙高高原

8/31中澤宗幸さんの初めての撮影@妙高高原

8月31日、中澤宗幸さんの初めての撮影が新潟県の妙高高原で行われました。
初回という事もあり、中澤さんには子どもの頃のお話を伺いました。
兵庫県の山間部で過ごした思い出やお父様の事など、中澤さんが受け継がれてきたDNAが感じられる大変興味深いものでした。
さらにこの時は、子供たちのヴァイオリン製作教室でした。
ちょうどヴァイオリンの魂とも言える「魂柱」の取り付け作業の時で、中澤さんの口からはごく自然に珠玉の言葉が子供たちに語られていました。
このシーンは、きっと映画でもご覧頂ける事でしょう!

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【撮影日誌】9/4~7巨樹の撮影@紀伊半島

9/4~7巨樹の撮影@紀伊半島

去る9月4日から7日にかけて、ガイア8番の撮影が紀伊半島を横断して行われました
台風17号の余波で、初日は大雨の中で行われました。
「ガイアの撮影には嵐はつきもの」と監督はいつも言っていますが、まさにその通りになりました。
何故なら今回の撮影は、8番のキービジュアルになるであろう巨樹との対峙だったからです。撮影隊も、いかに巨樹に潜む精霊の声を聴くことが出来るか、そしてその声をカメラに収めることが出来るか?という事が試されます。
まずは禊ぎの雨で、清められた感じでした。

その後天河神社に移動し、スーパー能「世阿弥」の奉納を撮影させて頂きました。
実は、そこからがまた大変。
同日の午後に、奈良斑鳩で東日本大震災復興チャリティーコンサートを撮影するため、すぐに大移動です。 このコンサートは、中澤宗幸さんの奥様きみ子さんが、津波ヴァイオリンとストラディヴァリウスの両方の音色を奏でるものです。
こんなチャンスは、なかなかありません。
津波ヴァイオリンが奏でるなつかしい日本の心の風景と、ストラドの幾重にも重ねて来た年輪の厚みが盛況の会場を包み込んでいました。
今後まだまだ続く中澤さんの撮影を象徴しているかの様な、奥深いものに感じられました。

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