撮影日誌

2015年01月

01/
20

【撮影日誌】1/20編集室にて

【撮影日誌】1/20編集室にて

「カァ〜」
「おっ、なんだ?」
「カァ〜」
「なんだ?なんだ?」
「オウオウ、オウオウ」
「なんだ?おまえ」
「アウアウ、ァ〜」
「なんだ?おまえ、ワタリガラスか? 」

 スタジオでの本編集に入っていた合間の日。いつも仮編集をしていた編集室にて。

 監督とともに必死に編集テープを作り上げた、編集室でのクリエイティブな作業も、最終日を迎えていた。様々な教わったことがあり、これでホントに終わるのかと感慨深さを噛み締めていると、思いがけない訪問者が現れた。

 編集室は13階にあるのでカラスがベランダに止まるのはよくあることだが、この日のカラスは少し様子が違っていた。何かを訴えかけるように監督に話しかけていた。私にはわからない言葉で、監督はそれに答える。しばらくやりとりが続いた後、カラスは去っていく。

 そしてそれまで正確に時を刻んできたはずの、室内の時計の動きも異様であった。朝、時間が狂っていたので直す。電池がないわけではない。夕方、また時間がずれていたので直す。ただ遅れているだけ。

 そしてその後、監督が時計を見ると、時間が逆回転をしている。私も目を疑った。物理的には考えられない、時間の歪みでも生じているのか?それともカラスの仕業なのか?もしくは「第八番」の何かを示唆しているのか?

 そんな意味不明の出来事がありつつも、監督はナレーション用の台本を書き上げ、最終の本編集に臨みました。これがどんな意味を持つかは「第八番」が完成してからわかるのでしょうか? だとしたら尚更、完成が楽しみですね。

(助監督 池田剛)

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2014年12月

12/
26

【撮影日誌】12/26「第八番」最新情報・編集室より

12/26「第八番」最新情報・編集室より
クリスマスも過ぎ、年明けまでわずかとなりました。ガイアの編集も半年以上が経ち、完成がいよいよ近づいてきました。この間、監督もスタッフに意見を聞きながら、迷い、苦しみながらも少しずつ前へ前へと進んできました。

私もどんな編集をしているんだろうか、と興味深さもありながら監督と共にしておりました。ひとつひとつのシーンに細かい意味付けをしていることに、驚きもあり感銘を受けました。出演者の言葉の紡ぎ出し方も「裏ではこんなことになっていたのか」と、表現のための構成を緻密にやっていることを知りました。

そして監督は編集に集中しすぎて、気がついたら昼ご飯も食べずに夕方になっていて、そのまま帰ることになったり。時にはカップ麺やおにぎり一つだけのこともあり。食べる気が起きない、なんてこともあります。

編集中は同じ姿勢でずっとモニターに向かっていますから、体をほぐす意味でもたまにジムに行かれたり。あまりの疲れからでしょうか、編集しながら気づくといつの間にか寝ていることもありました。私も同じ方を見ているので、監督が寝ておられることに気づきません。

あの年で満身創痍の身体ながら、必死になって作品完成へと歩み寄る姿を横で見ていて、自分もなんとか力になりたいと思います。仕上げまであと少しですが、リミットギリギリまで、少しでもより良い作品へと、皆さんに伝わる作品へと、監督はいまもまだ考え続けています。

おそらく監督は年末年始もなく、考え続けるはずです。あともう少しで皆さんの前へと、考えに考え抜いた作品を届けられます。監督はたまに「いままでにない環境で作っている」と口にしますが、それだけ想いの込もったものになることと思います。楽しみにしていてください。そして来る年も皆さんにとって素晴らしい年になることを祈っています。

(助監督 池田剛)

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2014年06月

06/
10

【撮影日誌】いよいよ「第八番」の編集が始まりました。

【撮影日誌】いよいよ「第八番」の編集が始まりました。

編集室のレイアウトやモニター、編集機など、
準備に手間取ってしまいましたが、素材も一通り揃って、
ようやく監督にも編集機に触れてもらえるようになりました。

まず最初に「阿古父尉(あこぶじょう)」の能面が復活していくパートから、
編集が始まりました。

いままで撮影してきた素材を、
丁寧に見直し、じっくりと吟味しながら、
その場面に合いそうな最良の映像を取り出していきます。

作品がどのような流れに仕上がっていくかは、
編集をしていく中で徐々に見えてくるので、
ピックアップした映像を何度も見たり、
映像のバックに別のシーンの音を流してみたり、
編集中に音楽を流したりして、試行錯誤を繰り返しています。

その中でも最初に編集を始めたところ、
作品の冒頭になるかもしれないという場面で、
映像がズームしていく長さと、監督の選んだ音楽の長さが、
奇跡的にピッタリと合うということがありました。

これから始まる編集の何かの前触れではなかろうか?
編集をやっているとこういうことが起こってくる、
と、監督もその出来事にとても喜んでいました。

監督は編集をしていると、
時間が過ぎるのも忘れてしまうほど集中しています。
全体の構造から、それぞれの映像の意味、出演者の言葉、
音楽のことなど含めて、たくさんのことをイメージしているようです。
まだ始まったばかりですが、つないでいく映像がどう変わっていくのか、
楽しみにしていてください。

(助監督 池田剛)

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2014年04月

04/
30

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・後編

【撮影日誌】4/20 春の室根山 

5)室根山を望む 

昨年10月に室根神社大祭(4年に1度)を撮影したところを 
桜のつぼみ越しに春の室根山を撮り終えて、クランクアップ!

 
私はロケ撮影にほとんど立会っていないので今回は現場を経験でき、
何かと興味津々でもあり、また緊張感も走る2日間でしたが、
帰りの新幹線ではぐっすり寝てしまい、監督に帽子で頭を叩かれ 
目覚めた次第です。夢の中では撮影シーンだけではなく 
夕飯のあと部屋飲みで、岩手出身のカメラマンが海鞘(ホヤ)を 
さばいてくれてご相伴に預かったことなども。 
「海鞘にはビールだ!」と云うことご存知ですか。

撮影スタッフのみなさん、ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
第八番完成時には乾杯したいものです。
(第八番担当プロデューサー恩田映三) 

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04/
25

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・中編

【撮影日誌】4/20 畠山さんとあずさ丸 

3)西舞根(にしもうね) < 畠山さんのカキ養殖場 > 

  
監督:今回の春の甦りの撮影を終えると編集に入るんです。  
畠山:編集が大変なんですよね? 
監督:80時間ぐらい撮影したものを観ながら2時間に構成するのです。 
   最近やっと音楽が聞こえてくるようになってきたので
   まさに編集スタートかなと思っています。 
畠山:風が少し弱まってきたのでそろそろ、 
   あずさ丸(和船)で海へ出ますか。 

4)あずさ丸船上の畠山さんと孫たち 

 
畠山さんは孫たちに何故「あずさ丸」と言う名前か分かるかな? 
この櫓がね、「あずさ」と言う木で作られているからだよ。 
そんな話から櫓の漕ぎ方の説明になり、先ずは年上の子が漕ぎ始めました。 
船上で揺られながらカメラを回すスタッフを、
私も足場が不安定ながら何とか写真に収めました。 
  (第八番担当プロデューサー恩田映三) 

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04/
24

【撮影日誌】4/20気仙沼ロケでクランクアップ・前編

【撮影日誌】 4/20 撮影開始から気仙沼ロケまで 

2年前の2012年5月21日の金環日食のとき、
監督は太陽の活動が気になっており先ずは撮っておこうと、
奈良吉野の天河神社と大都会東京中野のビル屋上より 
それぞれの金環日食を撮影しました。 

その後、監督は東日本震災後の「真の復活とは?」と思う中で 
「第八番」ではその「真の復活」、「魂の甦り」を問うことを決意し、
1年後の5月26日に明治神宮・参集殿にて「第八番」制作宣言を行いました。

そして2年に亘る第八番の撮影もいよいよ大詰めとなりました。 
今回の撮影は気仙沼で「春の甦り」がテーマです。 

1)せせらぎ公園(大川べり)  
桜の開花が東京より2・3週間遅く、 
ちょうど今回満開のタイミングとなりました。 
この撮影器具(手動クレーンとでも言うのでしょうか)で 
上下左右スムーズに動き回っていました。 
モニターを覗いてはいませんが 
  気持ちのいい桜と川のせせらぎを想像します。 
 

 2) 神山川べりの桜並木

カメラの先は土手の両サイドに桜並木があり、 
まさに桜のトンネルでした。(お楽しみに) 
撮影スタッフは前日にロケハンしているので、カメラ位置など 
手早いセッティングですぐにカメラが回ります。 
しかし、少しでもモタモタするとピリッとした言葉が飛んできます。 
淡い桜の下ながら緊張の撮影でした。  
(第八番担当プロデューサー恩田映三) 
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04/
16

【撮影日誌】3/29 和船あずさ丸進水式

【撮影日誌】3/29 和船あずさ丸進水式

この日を待っていたかのように晴れ渡った空。
震災で流されてダメージを受けたあずさ丸が復活し、
早朝に舞根の海に到着しました。

復活の日を喜ぶように孫たちが集まってきて、
重篤さん信さんと一緒に櫓を漕いで、
少しの間、沖へ出ていきました。

着いたばかりのあずさ丸で、
親子3世代が一緒に船を漕いで行く微笑ましい風景に、
監督はとても喜んでおられました。

進水式は多くの人に見守られて始まりました。
神事が始まり、大漁旗がはためいて、多くのモチがまかれ、
監督もいくつかモチを手にしていました。
春の訪れを待っていたかのように、
皆が笑顔でその後の船出を見守っていました。

この進水式の撮影が入ったため、
尼崎で予定されていた「第八番」支援のための上映会に、
監督がやむを得ず行けなくなったため、進水式の日の午後は、
ガイア初のロケ地と上映会場の中継を行いました。

スマートフォンを使ったスカイプでの中継でしたが、
私が撮影していたこともあり、監督は会場の様子を目にできないながらも、
あずさ丸の上から現地の様子をお届けできました。
支援して下さる皆さんからいただいている想いが、  
「第八番」完成への力となっています。
(助監督 池田剛)

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2014年02月

02/
26

【撮影日誌】クランクアップに向けての第一歩:2/25気仙沼

クランクアップに向けての第一歩
昨年末から、しばらく撮影から遠ざかっておりました。
その理由は色々あるのですが、それはまた追々と。

で、ともかく本日2月25日の出来事をいち早くお知らせを!

気仙沼の畠山重篤さんと久々のミーティングをしてきました。
その帰りの新幹線の中でこれを書いています。

今回の打合せ内容は、この八番の根幹に関わるかもしれない、いや、きっとラストシーンに関わる案件になるかも!?と、感じずにはいれないひと時でした。
それは、先般の大降雪の跡がまだ残る、でも海の色が窓の外からでも何かを感じさせる重篤さんの書斎の中で、静かに始まりました。

今まで撮影させて頂いた内容をお互いが思い返し、そしてこれからさらに先を見据えた、過去と未来が否が応でもコラボレーションしている、そんな重篤さんと監督の一言一言の単音が発せられていた様にも思えます。
でもその単音どうしは、やがて和音の様に広がりを含めた音へ、瞬間瞬間つみ重なってきたのでしょうか?
何か次回撮影にむけ、龍村監督の中でもぼんやりと心で描かれていたものが、
この映画の終盤に繰り広げられるであろう大切な一コマのイメージとなって現れてきたように思います。
この春にいよいよクランクアップを迎える八番の大切なシーンが、龍村監督の心の中で灯がともった、そんな一瞬だったかもしれません。
監督本人でさえぼんやりとした何かは、我々スタッフには、%&#!??。
でもそれはきっと、「地球交響曲第三番」のビル・フラーがふと発した一言に、すでになぞらえていた何かなのかもしれません。

もう、ここまで話すと中にはお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが…

もしよければ、八番に向けてのカウントダウン上映が明治神宮で密やかにあるので、チェックしてみて下さい。
実は、毎回スペシャルゲストにもお越しいただいているのです。
近々では第二番の3月8日、第三番は5月31日に!

※第八番へのカウントダウン上映会の詳細はコチラ

これからクランクアップに向け、監督が抱いたそのイメージを皆さんにどうやってお届けできるのか、監督はもちろんスタッフ一同、思い、悩み、そして切磋琢磨してまいります。
是非、次回のご報告を楽しみにしていて下さい!
(ラインプロデューサー・西嶋)

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2013年12月

12/
26

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その6

クレモナにてポー川のほとり

イタリアでは、一日だけ雨の予報だった。

中澤さんがフレームに入って撮れるシーンは、ほぼ撮り切っていたこともあって、それ以外で何が撮れるか?という日だった。僕がふと思いついたのは、この日、土曜の朝は街の中心でマーケットをやっていることだった。とにかく何がある街、というわけでもないので、提案できるのもそれぐらいだった。

街の象徴でもある、ストラディバリ広場のストラディバリ像が、マーケットの屋台に埋もれて消えてしまうほど活気がある。と同時に庶民的すぎて、あまり画にならない。かろうじて大聖堂前の広場の花屋がきれい。でも雨のせいでテントが出ている分、見晴らしもよくなくて、残念なイメージ。。

そんな雨の中、ポー川に来た。ポー川は北イタリアを東西に走る大河川である。映画のタイトルになったり、パルマの生ハム製作の過程においても重要とされている川で、僕はクレモナにはポー川に訪れるためだけに来ていたこともある。

川のすぐ横には大きな公園があるものの、河川敷には運動ができるような場所があるわけではなく、対岸も林で覆われている。象徴的な何かがあるわけでもないが、このシンプルさが僕を引きつけていた。それと空気汚染がひどい街にいただけに、澄んだ空気に包まれた静かなこの空間がやけに愛おしかった。

撮影されていた川にはどんなものが映っていたのかといえば、大したものはないだろう。僕にはそこにあった空気を目で感じることができるかといえば、そうでもないのかもしれないが、そのときの生活と対比されたものが、そこには映っているのかもしれないと思うと、それこそが僕に必要なものなのかもしれない。

いつまでも忘れずに自分の中にしまっておきたいもの。それがこのクレモナの街にあったように感じた。

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12/
25

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その5

クレモナにてカパノーネ

僕にとって、よく見た風景が並ぶ。懐かしいというより日常。おそらく初めてこの街を訪れたときも、そんな感情を抱いていただろう。イタリアにいても特に人が優しく、すべてを受け入れてくれるような、温かさを感じる街。そしていつの間にか、この街のとりこになっている。

クレモナに行っていた頃、必ず歩いていた通り。そこがこの日の撮影のスタートポイント。パン屋やバールが懐かしく、ある出来事のあった思い出のある街角である。

中澤さんのヴァイオリン製作用のパーツを販売するお店がすぐそこにある。パネヴェッジオで切り取られた木が、一つ一つの木に印をつけられて、所狭しと並べられている。
ここで中澤さんにインタビューをする。パーツごとに説明を一生懸命にしてくれる中澤さん。気持ちが入りすぎて滑稽な感じになってしまっているのも、それもクレモナに関わる人の性なのだろうか。とても愉快でありながら、言葉が染み込んでくる。

この日の街は、修学旅行で来ていた学校の子供たちが、頻繁に通りを歩いていた。そんな光景を監督は気に入ったようで、お店での撮影の最中、しきりに「子供!子供!」というが、カメラを向けたときには過ぎ去ってしまっていた。

午後は街から少し離れた郊外にある、カパノーネという大きな倉庫のようなところへと向かった。
カパノーネという言葉を調べると、建物、小屋のような意味が並んでいて、工房なのかなと思ったところ、とんでもなく大きな施設が現れて来た。一つのフロアにバイオリンからコントラバスまでのそれぞれの木の材料が、ビッシリと詰め込まれている。

下のフロアでは、木を切り分ける部屋や、バイオリン製作の部屋などがある。中澤さんは職人さんが製作している部屋を、行ったり来たりしていた。「木の厚みを0.2mm削る」など、とにかく細かく、懇切丁寧にやり方を教えている。

ヨーロッパだと、とかく人種に対する偏見が多く、特に日本人を含めたアジア人は、民族的に低級に見られがちだから、尚のこと、中澤さんから技術を吸収しようとしている様を見せられ、信頼されていることを感じた。「毎日、板を叩いて、耳を鍛える」職人としてのスタンスを伝えているようだった。それでも弟子の中にもプライドが見られるようで、伝えることの難しさを、その場でも口にしていた。

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12/
20

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その4

クレモナにてヴァイオリン博物館

極寒の中からやって来たクレモナの街。
さすがに雪は目にしないものの、息は白く、肌に痛みが走っている。

クレモナと言えば弦楽器。街の至る所に職人の工房があり、振り向けば職人同士が会話をしている。友達同士の予定もみんな知っている。

今年、新しくオープンになったヴァイオリン博物館は、僕もまだ足を踏み入れたことがなかった。以前は美術館の中にこじんまりとあったストラディバリ博物館と、市庁舎にストラディバリのコレクションがあった。オープンしたてということもあり、建物はとてもきれいでコレクションの数も多く、かなり気合いが入っている様子がうかがえた。

ガイアの撮影で中澤さんが修復する様子を追っていた、グァルネリのヴァイオリンが、今回このヴァイオリン博物館の中の、ヴァイオリン黎明期の製作者たちのコレクションのコーナーに加わることになり、博物館の方々に手渡すシーンの撮影がありました。

一般のお客さんはいなかったものの、展示用のガラスケースに入ったバイオリンを撮影したりするシーンも多く、ガラスに反射して自分がカメラのフレームに入らないように、それでいて撮影の補助をしなくてはならない。ジタバタアタフタしていた。

博物館の係の人から情報を仕入れていると、コンクールで優勝したクレモナの職人の楽器も展示さているようで、僕が個人で撮影していたマエストロの楽器も展示されているという。これは見ておかないと、と思うのも束の間。そんな余裕すらないままに撮影隊は突き進む。

職人さんにとって弦楽器以外に興味を示すことのない、小さく素朴でシンプルな街ではあるが、こと弦楽器といえば世界にその名を轟かす街だけに、その博物館のコレクションに、修復した楽器を納める中澤さんの腕というのは一体どれだけのものなのだろうか。

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12/
16

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その3

パネヴェッジオにて木の伐採

パネヴェッジオ2日目。
スプルースというヴァイオリンの表板にする針葉樹の伐採に立ち会う。
カメラがハイレベルから伐採の様子を狙う。監督はカメラの横で指示を出す。僕は下の位置で伐採をするレンジャーなどに作業工程を聞き、それを監督にトランシーバーで伝える。

300年という年輪を重ねた木を切るという。これはあのストラディバリが生存していた頃から育った木である。この木を切るとき中澤さんはどんな想いで立ち会ったのだろうか。

レンジャーが木に印を刻み、チェーンソーが徐々に木の中に入っていく。倒れる方向へよろめく木は、最後一気に倒れ、雪の煙が辺り一面に舞う。ここに何百年もあったものが、あっという間に姿を移す。木や辺りが感じていることは、悲しみなのか、喜びなのか、前進なのか、後退なのか、よくわからない。

監督から伐採する作業をする人に、この後どうするのかを聞きに行けと言われた。実は僕が不安に思っていたのは、彼らが何語を話しているのかがさっぱりわからなかったことだ。でも監督の指示があったので、何も考えずに話しに行くと、たどたどしいイタリア語ながら、会話が通じたのでホッとした。後々、コーディネーターに聞くと、イタリア語とフランス語が混じっている言葉を話しているという事だった。「君にはわかるはずないよ」レンジャーもスイス人だけに、この国境地帯では、僕の聞きなれたイタリア語は耳にすることはなかったようだ。

2本目の伐採が終わり、これはあまりいい木ではないということで、中澤さんが「これはいい木だろう」という3本目の木の伐採に取り掛かった。この木の伐採ともなると、さすがにみんな要領を得るようになっていて、僕が工程を聞く必要もなくなっていた。それでも伐採に時間が一番かかる木であった。

普段と同じように木を切る作業を進めるのだが、プルプル震える木を上に、その下でどんなに趣向を凝らしてみても、ガンとして木は反応しない。「ここから離れたくないのかな?」

かなりの時間を要しながらも、3本目の木を切り倒すことができた。やはりこれがいい木であると、中澤さんが確信したその通りであったようで、早速、切り取った木の一部をクレモナまで持ち帰っていた。

これだけの大きなものに刃を入れて、新しいものを作る。一体どんな想いで刃を入れていくのだろうか。その答えは、まだこれから先にあるのだろう。

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12/
13

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ・その2

パネヴェッジオにて白銀の風景
‐15℃。
はりつめた空気に、凍てついたかのような雪に埋もれたイタチの足跡。
この日の最低気温まではいっていないはずだが、スタッフ全員の気持ちはそこまで行っていた。

パネヴェッジオまでの移動の車中、朝の光が差し込んでくると、助手席に座っていた監督が叫び声を上げた。そしてすかさず中澤さんもカメラを手にした。そこには影が一つもないように見えた。「今回のロケを象徴しているようだな」

パネヴェッジオはイタリアの北、オーストリアとの国境近くにある山岳地帯で、一般的にはスキーリゾートとして楽しまれているような地域。カレンダーの12月で見た事のあるような、絵に描いたような針葉樹が広がっていて、雪の中に足を踏み入れようものなら前進できないほどに足を取られる。そしてその中で撮影は進んでいく。

「レディ、アクション!」

監督の怒声が森の中で鳴り響き、それに合わせて中澤さんたちが動き始める。どれがヴァイオリン作りにいい木なのか? 中澤さんは一つ一つの木を叩いて確かめる。樹齢300年の木と、ようやく出会えたことの喜びを噛みしめながら、言葉にならない言葉で、じっくりと対話をしているようだった。

カメラマンの手も、かじかんでまともに動かない中で、それでもそのワンカットワンカットをフレームにおさめていた。そして僕はせっかく用意していたコーヒーを、あまりの寒さに逆に、みんなに提供することを忘れてしまっていた。

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12/
11

【撮影日誌】11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ

今回の撮影日誌からスタッフが交代しました!

11/25~12/1クレモナ(イタリア)ロケ
今回、地球交響曲第八番の助監督を務めさせていただくことになりました池田剛と申します。監督からは「GOちゃん!」と呼ばれています。よろしくお願いします。

私は今年4月までイタリアに住んでおり、地球交響曲を参考に、北イタリア各地の職人さんを取り上げて、ドキュメンタリー映画を個人で製作しておりました。その中でも弦楽器製作の街として世界的にも有名な街クレモナの職人さんを主に取り上げ、クレモナには幾度となく訪れていました。今回第八番で弦楽器職人さんを取り上げるという事を知らなかったのですが、不思議な縁でクレモナのロケに同行することになり、どれだけ自分が作品に貢献することができるか楽しみでした。

クレモナはとても小さな街で、見どころや工房のある場所など、歩いて回れるくらい集約されています。なのでクレモナはもともと私の中でイメージが作り上げられていました。
そしてイタリアでは中澤さんがヴァイオリン製作に使う木を伐採する、パネヴェッジオというオーストリアとの国境近くの山脈地帯に行きます。ここはストラディバリもヴァイオリン製作のための木を取りに来たところだという事です。

どちらも零下の寒い中での撮影が続き、監督以下スタッフも凍えながら撮影に臨んでいました。このクレモナとパネヴェッジオでの撮影の様子をしばらく書いていこうと思います。

その前に、
第八番のランクイン記念で「地球交響曲第一番~第七番」のDVDセットが数量限定で販売されております。今回のロケでクレモナにある中澤宗幸さんのお店でヴァイオリンのコマをいただきましたが、こちらをDVDとセットでプレゼントいたします。

このコマの一つ一つには中澤宗幸さんの愛称である「ムーニー」のサインと、ヴァイオリンやf字孔の手書きのデザインが書き込まれております。ヴァイオリンの中でも音を奏でる上でとても重要なパーツです。作品の中でも中澤さんがとてもユニークな形で紹介されることと思います。
八番が完成するまでの間のこの機会に是非お求め下さい。

詳しくはこちらから。

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12/
02

【撮影日誌】10/26気仙沼・その6

10/26気仙沼・その6
午前2時、しばしの仮眠をとった後、撮影再開です。その頃には、神社周りには威勢の良い神輿の担ぎ手たちが集まってきていました。 いよいよ神事が執り行われるという緊張感の中、神官にいざなわれ社殿に入っていく重篤さんの姿をカメラは追っていきます。しかし、撮影は一旦ここまで。社殿の扉が固く閉ざされた後は、ごくわずかの許された者以外、一切の立ち入りを禁じられます。明かりが消され、暗闇の中で御霊移しの神事が始まりました。 この祭りの起源はおよそ1300年前、紀州牟婁郡本宮村(現在の田辺市本宮町)の熊野神を、東北の地にお迎えした事が始まりでした。 その際、熊野神の御神霊は和歌山の港から船で北を目指し、5ヶ月間もかかって宮城県唐桑(からくわ)町の港に到着したとされています。 その唐桑町とは、まさに重篤さん先祖代々の地だったのです。 室根山と畠山さんの住む気仙沼を結ぶ一筋の流れは、一千年を超える時で繫がっていたのです。 >おっと、龍村監督の渋い目線が・・・ という事で、気付けば午前8時を回っていました。 時間外労働です・・・ この日の帰りの新幹線は、寝台車の如くでした!
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2013年11月

11/
27

【撮影日誌】10/26気仙沼・その5

10/26気仙沼・その5
松明のはぜる音が、パチパチと闇の中に響いています。
ここは、4年に一度の大祭を待つ室根神社の境内です。
まだ人影もまばらで、嵐の前の静けさの様でしょうか。目をこらさないと、あたりの様子を伺い知る事はできません。
頭上には、樹齢1000年を超える杉木立の隙間から、満天の星空がこぼれ出ていました。
天の川がほんとにミルクをこぼしたように夜空に流れているようです。こんなに空が澄んでいるのは、その進路を早めて通過していった台風27号の置き土産なのかも知れません。やがて赤い月も上ってきたというのに、星のまたたきも負けてはいません。
昨日の嵐あり、今日の星空有り、ほんとに自然には抗う事はできません。
しばし、標高900mから眺める野外劇場を楽しむ事かできました。
あとは、夜半から始まる大祭神事を待つだけとなりました。
(寒さとの闘いでもありました…)

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26

【撮影日誌】10/26気仙沼・その4

10/26気仙沼・その4
10月26日、それは午前2時ごろの事だったでしょうか…
寝床の底から突き上げる様な大きな力が、何十秒もの間続いた様な感じがしました。
実際にはどれ程の時間だったのか定かではありませんが、そんな事を思い起こす暇もなく、窓の外からサイレンが聞こえてきました。
我々が宿泊していた宿は、気仙沼港のすぐそばだったので、あのテレビで何度も聞いた憶えのあるサイレン音が、けたたましく鳴り響いているのです。何か大きくてふわふわした不安定な中に、我々は立たされている、そんな感じが襲ってきました。
テレビでは緊急ニュースが流れ、各地の津波予想を知らせています。
幸い大きな被害はなかったものの、久方ぶりの余震の大きさに、我々同様現地の方々も驚きをもたれたと思います。
外を見ると、台風の時化のため港に戻っていた鰹漁船たちが整然と並んだまま、波の力で木の葉のように上下に揺れていました。
大祭撮影に向かう未明の出来事でした。

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【撮影日誌】10/25気仙沼・その3

10/25気仙沼・その3
10月25日、朝から台風の接近を知らせる雨模様です。
この日は、室根神社の大祭には欠かせない或る神事が密やかに行われる大切な日なのです。
その場所は、室根山を遥か臨む気仙沼湾の海上。
うねりの出始めた海に、雨脚が強くなった事を知らせるように雨粒が海面に踊っています。
内心「大丈夫かな?」と思う気持ちをよそに、白装束に着替えた畠山重篤さんたちが、黙々と出港の準備を進めています。
我々撮影クルーも、ばっちりの雨対の上にライフジャケットを着込み、ただただ波を切って走る重篤さんの船に伴走して舵を取っていきました。
(この伴走船の舵取り役をかってでてくれたのは畠山信さん、重篤さんの三男です。信さんもこの映画では重要なキーパーソンです)
頬を打つ水しぶきが、雨なのか波なのか分からなくなってきたその時、フット一瞬の静寂がおとずれました。
とその時、・・・・

>この撮影日誌の一連を読んだ龍村監督が、
「あまりネタバラシをするなよ!?」と一言。

なので、この続きは映画でお楽しみくださいね!

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【撮影日誌】10/24気仙沼・その2

10/24気仙沼・その2
10月24日、気仙沼対岸の大島にフェリーで渡りました。
大島にある亀山の頂は、気仙沼湾に注ぎ込む大川の河口がよく見渡せる撮影ポイントでした。
その姿は、一ヶ月前あの室根山で撮影した湧き水からは想像もつかないほど、雄大なものでした。
そして、静かに凪いだ湾の姿からも、この大島さえも乗り越えていった計り知れない自然の力をイメージする事は、その爪痕が残されていなければ困難な事かもしれません。
我々は、目に見えないモノを想像するという力を使って、少しでも何かに近づこうとしている、そんな営みを繰り返しているのでしょうか…
台風が近付いているというのに妙に凪いだ湾を眺めながら、ふとそんな事が頭に浮かびました。

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【撮影日誌】10/23気仙沼・その1

10/23気仙沼・その1
お天気の事ばかり考えていても仕方がありません。
小雨混じりの天候の中、ちょうどサケの遡上が始まった気仙沼周辺で撮影は開始されました。
ピシャピシャと川面にサケがはねる音がそこここから聞こえてきます。
1万キロを越える旅から、生まれ故郷に帰ってきたのでしょうか…
そんなサケたちを撮影しながら、赤平カメラマンが一言
「ちっちぇーなー」
そう、赤平カメラマンの生まれは岩手県のリアス式海岸のとある町だったのです。小さい頃から魚介類の宝庫で育ってきたその目には「まだまだ小振りで食するに値しない!」という風に映ったのでしょう…
その故郷も今は津波による甚大な被害を受け、更地のままだそうです。
ふとした一言から、今我々が立っている東北のこの地とのご縁を感じずにはいられない、そんな思いが立ち現れてきます。
まだ公表はあまりされていませんが、太古の昔から人々がこの地で豊かな暮らしをしていた、遥か5千年前のそんな光景が目に映る撮影になっていきました。

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【撮影日誌】10/23いざ、東北へ!

10/23いざ、東北へ!
10月23日、ロケ地に向かう東北新幹線の中で一番気がかりな事は、大型台風27号の北上進路でした。
天気予報からは、撮影スケジュールとドンピシャで東北地方にやって来そうな感が有り有りだったのです。
「やはりガイアの撮影には嵐がつきものなのか…」
もちろんスタッフ全員、雨対(業界用語で雨対策の事)はばっちりです。しかし今回の撮影のクライマックスは、26日から27日にかけ夜を徹して行われる室根神社の大祭です。標高900mほどにある社から夜明け間近の村里を目指し、御神輿が急峻な道無き道を伝って降ろされるのです。
ちょうどその頃を目指して、台風27号は東北地方に向かっている様に思えてなりませんでした。

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【撮影日誌】11/5中澤さん@工房・その2

11/5中澤さん@工房・その2
11月5日、前回から1ヶ月ほどが経った所で、ガルネリの修復された表板を元に戻す最終作業が行われました。ニカワで、再度本体に接着されるのです。
このニカワの原料は、ブタの爪から作られるそうです。まさに植物由来の木材と、動物由来のニカワが相まってヴァイオリンは形づくられているのかもしれません。
その接着後しばらくして、中澤さんが弦を指でつま弾く音がしてきました。
弓で奏でる艶やかなものとはまったく異なる、太初の音の様に感じられるその音色を聴いて、「うん、よし!」という中澤さんの小さな一言が、ガルネリに新たな生命を吹き込む様でした。
奇しくもこの数日前、ストラディヴァリウスの音色の秘密を解明するTV番組が放送されていました。科学的な解明が進められる中、依然その何かは不明の様です。
今回、中澤さんの作業を目の当たりにして、そこには科学の目ではすぐには見えない幾重にもわたる人技の積み重ねがあることを改めて教えられた様な気がしました。

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【撮影日誌】10/12中澤さん@工房・その1

10/12中澤さん@工房
「剥がれにくいけれども、剥がしやすいニカワとは・・」
10月12日、丁寧に剥がされたその表板は、今、中澤さんの手によってその木自身の一番居心地よいフォルムに戻されようとしています。
ヴァイオリンには音を奏でる際、表板の振動を裏板に伝える大切な役目を果たす「魂柱」と言う小さな円柱形のパーツが内部に配されています。
このガルネリの場合、その魂の柱ともいえるパーツの寸法がほんの少しだけ長かったのか、表板と裏板に長年にわたり負担がかけられていた様です。その結果、表板に思わぬ圧力がかかり続けていたのです。 中澤さんは言います。
「本来なら、10年かかって反ってしまったものは10年かけて元のフォルムに戻してあげたいんですけどね、でもそうも言えないので・・・」
これからは、その表板のフォルムを時間をかけてゆっくりと元に戻していく作業が始まりました。

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2013年10月

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【撮影日誌】10/29「サントリーホール」で

10/29「サントリーホール」で
10月29日、またしてもガイアのシンクロニシティーがなし得るコラボレーションが起こりました。
開演の時を待つまだ誰もいないサントリーホールの舞台で、その音は静かに奏でられました。
完成したばかりの中澤さんの津波チェロを、ちょうど来日公演中のヨーヨー・マさんが手にとったのです。
これが津波チェロにとっての、まさにファーストサウンドになりました。
この時まで、誰がこんな事を予期したでしょう?
出会うべくして出会ったコラボレーションなのかも知れません。
この日はちょうど公演最終日、
最後のアンコール曲は、急遽ヨーヨー・マさんの希望でこの津波チェロで奏でられました。

パブロ・カザルスの「鳥の歌」

この演奏に込められたシンクロ二シティーの音色は、これからも多くの人の心に響いていく事でしょう。
(津波ヴァイオリンに関してはコチラ

※番 外
予期せぬ事が起こってしまったこの日、赤平カメラマンは大阪で撮影をしていました。ダメ元で電話をした所、なんとすぐに新幹線に飛び乗り、アンコール直前にサントリーホールまで駆けつけてくれました!
わずか5分ほどの撮影でしたが、「鳥の歌」に込められた何かが、ガイア8番の中にも新たな生命を吹き込んでいく様でした。

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【撮影日誌】9/26室根の森・その2

9/26室根の森・その2
森に轟音を響かせ樹齢100年を超える杉の木が、大地に倒れていきました。
ここは、気仙沼に程近い森の中です。
この木は、震災による津波で流された畠山さんの木製の和船を復活させるための材料となるものです。
親の代から譲り受けてきたこの和船は、畠山さんにとって幼少の頃から海と自分の距離を、より身近に感じさせてくれるものでした。
なぜなら、船に使われている様々な木の材質やその所以、そして手こぎの櫓の使い方など、自分にとってまだ見ぬ未知のページを、その後の叡智の詰まったページに導いていってくれた大切な先生だったのです。
(詳しくは畠山さんの著書を手にとってみて下さい)
その手漕ぎの和船の復活を、8番の中で追っていく事になりました。
まだまだ道のりは長いのですが、これから船大工さんの手に渡り、さらにどんな展開が待っているのか?
宝箱を開いていく様なワクワクドキドキする予感が、秋の訪れを迎えた森には漂っていました。

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【撮影日誌】9/25室根の森・その1

9/25室根の森・その1
夜遅くまで続いた中澤さんとガルネリの対話を垣間みさせて頂いたその翌日、
撮影隊の姿は、岩手県の室根山の頂き近くに鎮座する室根神社にありました。
この神社の由来は、きっと8番の中で重要なキーポイントになってくと思われますが、今は伏せておきます。 この撮影の1ヶ月後の10月末、4年に一度の室根神社大祭も撮影させて頂く予定なのでが、そこでこの謎は少しずつ明かされていくことでしょう。

で、今回はこの地に湧き出る水を撮影させて頂きました。
この水は、室根山に貯えられた豊かな雪解け水がしみ出るように、ひそやかに湧いていました。
その一滴一滴が一筋の流れを作り、山肌を伝い、小川となり、やがて大川となって気仙沼に流れ込んでいるのです。
そこには、真水と海水が交わる場所、いわゆる「汽水域」が姿を現していました。
汽水域には多くの生き物たちが生命を宿し、人間にとっても豊かな漁場を授けてくれます。気仙沼とは、元来そういう場所だったのです。
25年前、畠山さんの呼びかけで発足したNPO法人「森は海の恋人」も、この水の流れを象徴するような活動を繰り広げています。
室根山と畠山さんの住む気仙沼を結ぶ一筋の流れ、それに室根神社のそもそもの由来、
8番ではそれらがスパイラルを描きながら、我々が見る事のできる世界にたち現れてくる、そんな予感を感じさせる撮影が続いています。

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【撮影日誌】9/24その2・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房

9/24その2・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房
「あれ、前回修復した人が少し良くなかったようですね・・・」
中澤さんの手先の感覚を伝って出てきたこの言葉、実はこういう事だったのです。
自然素材に由来するニカワの接着力は、扱う人の配合次第でいかようにもなります。
前回このガルネリを修復した人のニカワは、かなり強力な配合を施されていたのです。
その背景に、「表板が剥がれない様に・・」という意志が感じられる、と中澤さんは言います。
それ自体間違っているとは言い切れないのですが、「いつの日かまた、このヴァイオリンが修理される事があるかもしれない」という創造力を持てば、「ニカワの強度にも、その日への創造力を働かすものです」と、剥がされたばかりの表板を愛おしむような、中澤さんの視線が印象的でした。
「剥がれにくいけれども、剥がしやすいニカワとは・・」
そこには、木の精霊に問いかるような、そんな言葉が聞こえてくるようでした。
名器と言われるヴァイオリンたちは、誕生から200年、300年、そしてさらにその後も数百年、様々な演奏者と共に音を奏でながら生きていくのです。
一人の人間の一生をはるかに越えたヴァイオリンの一生は、どこか旅に似ているのかもしれません。
その旅をいかに創造し、次の旅へと送り出せるのか?
中澤さんは、その旅のコーディネーターなのかもしれません。

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【撮影日誌】9/24その1・中澤さんの2回目の撮影@都内の工房

9/24中澤さんの2回目の撮影@都内の工房
9月24日、中澤さんの2回目の撮影が都内の工房で行われました。
今回は、ストラディヴァリウスと肩を並べる名器、ガルネリの修復作業の撮影です。およそ280年前に制作されたものだそうです。
ふだん中澤さん、皆が寝静まった頃、静寂に包まれた中たった一人で作業をするそうです。
作業は、まず表板を剥がす所から始まります。
自ずと緊迫した空気がはりつめ、しばらくすると、ギィ、ギィと少しずつ少しずつ慎重に剥がされていく音がこだましてきました。
その音は、天河神社での神事の際、御扉が開かれる時に聞こえてくる音にどこか通じるものを感じさせるものでした。
その最中、中澤さんがポツリと言葉を発しました。
「あれ、前回修復した人が少し良くなかったようですね・・・」
ニカワで接着されているこの部分だけを見て、そう言ったのです。
その意味とは・・・
(つづく)
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【撮影日誌】8/31中澤宗幸さんの初めての撮影@妙高高原

8/31中澤宗幸さんの初めての撮影@妙高高原

8月31日、中澤宗幸さんの初めての撮影が新潟県の妙高高原で行われました。
初回という事もあり、中澤さんには子どもの頃のお話を伺いました。
兵庫県の山間部で過ごした思い出やお父様の事など、中澤さんが受け継がれてきたDNAが感じられる大変興味深いものでした。
さらにこの時は、子供たちのヴァイオリン製作教室でした。
ちょうどヴァイオリンの魂とも言える「魂柱」の取り付け作業の時で、中澤さんの口からはごく自然に珠玉の言葉が子供たちに語られていました。
このシーンは、きっと映画でもご覧頂ける事でしょう!

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【撮影日誌】9/4~7巨樹の撮影@紀伊半島

9/4~7巨樹の撮影@紀伊半島

去る9月4日から7日にかけて、ガイア8番の撮影が紀伊半島を横断して行われました
台風17号の余波で、初日は大雨の中で行われました。
「ガイアの撮影には嵐はつきもの」と監督はいつも言っていますが、まさにその通りになりました。
何故なら今回の撮影は、8番のキービジュアルになるであろう巨樹との対峙だったからです。撮影隊も、いかに巨樹に潜む精霊の声を聴くことが出来るか、そしてその声をカメラに収めることが出来るか?という事が試されます。
まずは禊ぎの雨で、清められた感じでした。

その後天河神社に移動し、スーパー能「世阿弥」の奉納を撮影させて頂きました。
実は、そこからがまた大変。
同日の午後に、奈良斑鳩で東日本大震災復興チャリティーコンサートを撮影するため、すぐに大移動です。 このコンサートは、中澤宗幸さんの奥様きみ子さんが、津波ヴァイオリンとストラディヴァリウスの両方の音色を奏でるものです。
こんなチャンスは、なかなかありません。
津波ヴァイオリンが奏でるなつかしい日本の心の風景と、ストラドの幾重にも重ねて来た年輪の厚みが盛況の会場を包み込んでいました。
今後まだまだ続く中澤さんの撮影を象徴しているかの様な、奥深いものに感じられました。

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